「顔だけじゃ好きになりません」5巻 安斎かりん
かわいい・・・(*'ω'*)
🌷「顔だけじゃ好きになりません」5巻 安斎かりん
書誌情報:安斎かりん「顔だけじゃ好きになりません」5巻(2022、花とゆめコミックス、白泉社、電子版)
収録作品:vol.21、vol.22、vol.23、vol.24、vol.25
vol.21
13ページの、ときめいたときの反応が「推しをカメラに収めたいという衝動を必死で抑える」なのがすごいおもしろかったです。。
ていうか!
前巻の感想で書き忘れたんですけど、奏人先輩の素敵なところって、「美形やイケメンを崇拝して推す才南を、それが才南らしさだと認めてくれてるところ」じゃないですか?!こじらせてるのにこういうところは達観してますよね……
でそれを思い出したのがこのvol.21のこの場面です。
これ一番うれしいですよね…!
十代の女の子や大学生くらいの、初めて彼氏ができる年齢の女の子たちって、パートナーからの無言や有言の欲求に戸惑う時期だと思うんですよね…今時そんなこと言う相手いないと思うけど、たとえば「こういう服着てほしい」とか「これ作ってほしい」とか「彼女と雰囲気のいいところで過ごしたい」とか「みんなの前ではこう振舞ってほしい」とか……私達の時代はとくにそうでした…。長い間、先達たちは『え…なんで?』と思いつつも、本人もとくにこだわりが無かったりしてパートナーの意向に沿った振舞いや行為をしたりしていましたよね。それで相手が満足するならいいか、と。
でもそれは違う!!!
『彼女』は相手の欲求を満たす舞台装置ではありません!対等なんです。女の子は、その人自身が自然で居られる振舞いをして過ごすことを当然に認められるべきであって、誰にもああしろこうしろと指図する権利はないのです!
愛情とは相手が自然でいる姿を愛することで、「自分の意向に沿っている相手の姿を愛する人間」は愛を持っていません。
「顔好き」の読者の子たちも、好きだと思える相手から奏人先輩みたいな言葉をかけてもらえる経験をしてほしいな… 性別問わずね!
そして、、、vol.19で「これ単行本1冊分くらい引っ張るでしょ!」とついツッコんでしまった奏人先輩の懸念は、やっぱり解決していなかったんですね。そりゃ一朝一夕には心境変化しませんよね。
まあでもそれは奏人先輩自身の問題だし。(急に冷たい)
本人が頑張るって言ってるから大丈夫だと思います。
vol.22
土井垣くん!👍
そっか才南は土井垣くんが奏人先輩に直談判したの知らないから、ふたりの繋がりが分かってないんだね!
そして、土井垣くんの「ついでに鍵閉めといて!」(p56)の声掛けに遠い日の思い出がリアルによみがえりました…
それは、高校生活に付き物の… 施錠 というイベント……
高校生になると部活動とかで生徒たちだけで特別教室や講義室を開け閉めする機会が増えるのですが、先生の許可とる、職員室で鍵借りる、復元して撤退する、鍵閉める、鍵返す……このルーティンの中でひとつでもまずいことをやるとめちゃくちゃ怒られるんですよね……
20世紀だったら教室はもちろん校内は誰でも出入り自由だったと思うんですけど我々のころには施錠文化がありましたね…。なにか、きっかけになる事件があったんですかね。池田小の事件は2001年でしたが…。
「顔好き」の高校は校舎がきれいでお金持ちそうなので私立なのでしょうね。vol.22で才南と奏人先輩がふたりきりになる場所はなんと校内スタジオという贅沢な場所でしたが、これまで無数の少女漫画が学校内の死角を描いてきました。
屋上、非常階段、建物内の人気のないエリアの階段、倉庫、ふつうに空き教室、…いろいろありますが、屋上はリアルからファンタジーへと変化したひとつの場所ではないでしょうか!昭和の漫画では屋上はよく使われていたし実際、屋上に出入りした経験のある人も当時は多かったと思います。ですが2000年以降は防犯や事故防止の関係で、屋上なんてふつうに立ち入り禁止です(自分は全国の屋上を研究しているわけではないので例外はあると思いますけど)。それでも屋上は漫画の世界では粘り強く描かれ続けてきましたが、、最近はどうなのでしょうね??
ちなみに今日Twitterでつぶやいた吉田秋生「櫻の園」にはもちろん屋上シーンがありまして、、やっぱり好きですね~。屋上の風がほんとうに気持ちよく描かれています。場面を思い浮かべただけで80年代の青春、春の生暖かい空気が鼻の奥に入ってくるようですが、実際自分が80年代に10代だったらヤンキー多くて脱落してたかもしれません。。。2000年代の青春でよかったー
「屋上」だの「施錠」だのでくどくどと話を拡げてしまいましたが、才南の矜持、、すばらしかったです!!!(読んで)←
vol.23
この、周囲の人(モブ)が優しい感じって令和ですよね…。
なんで炎上しないんだろ…
この記事書いててふと思ったんですけど、一条ゆかり版の「顔好き」読んでみたいですね。。(??)
「知見ちゃんだ~~!」(p77)から始まる一連のやりとり…自分なりに感じたのは、、モブのやさしさって、本質的なやりとりをしていないからこそ生まれるのでは??
才南もモブが去ったあとに「恋人だとはつゆほども思われていない悲しさ」(p79)とホッとしつつ自虐していますが、
モブは才南にやさしい=才南が奏人先輩と現実に関係をもつ可能性を捨て去っている
モブは奏人先輩の前で臆せず「かっこい~~~!!」と叫ぶ=対象が観察対象で、真の愛情ではないからこそ臆せず言える
才南の立場はモブの無理解、無関心によって逆に救われている
才南自身も、少し前までモブの心理を体現していた(可能性を捨てていた、真の愛情ではない部分の心を使って一喜一憂していた)
…という心理かなと考えると、、令和、複雑……
やっぱり推しへの感情って昔からあったけどここまで一般的になったのであれば、2000年代に入ってからは、他の怒りとか愛とか親しみとか悲しみとかの歴史の長い感情と肩を並べるようになったんじゃないかなぁ。
↑の箇条書きではうまく言葉にできなくて「真の愛情ではない」と書いてしまったけど、推し愛やモブとしての感情って、偽愛情とか、愛情にひとつ劣った段階とかではなく、もう立派なひとつの感情の単位になったのではないかなあ…と思いました。
あと「依存」についての結論がこのvol.23ででた!奏人先輩がだした!
自分の意志で選択した依存ならば、いいだろう!(何様、、)とわたしは思いました。
vol.24
「予防線」という言葉は嫌な思い出があるので、嫌いです……でもこういうふうにふつうに使うんだな…
奏人先輩はお洒落さんなのですが、この回の洋服選びの様子をみて「ご近所物語」の茉莉子のようにスタイリストとか美容系の道に進むといいのではないかと思いました。(高校生が主人公の少女漫画って最終回に近づくにつれて進路の話になりますからね…)
あと先輩のバイトの話が!
さて、なんのバイトでしょうか??(読んでみてー)
奏人先輩の気づき、いちいち偉いよなー😭
vol.25
↑がちょっとおもしろかったです。「葬式」もおもしろかった…!
ほんとに、奏人先輩、「特技あるじゃないですかあ」(p150)ですよね。
いやーほんと才南の言う通りですよね。。
なんか何やるにも恩着せがましい人っていますもんね(台無し)
わたしも分かってたよ!才南!😆
何巻だったか忘れたけど←
ラストシーンで思い出したんですが、、、
「嬉しいと笑う男キャラ」って何が発祥なんですかね????
自分が思い出したのは矢沢あい「パラダイス・キス」のジョージなんですけど… 小学校5年生のときに1巻を読んだので、「なにが可笑しいの?!」とツッコむ紫(ゆかり)に、イザベラが「ジョージは嬉しいと笑うのよ」と教える場面の、意味がさっぱりでした。。
中学生?になってお小遣いでパラキスを全巻買って全部読んだ後は、「嬉しいと笑う」ということについてなんとなく分かってきたのでそういうものなんだろうなあと思ったんですが…。
大人になった今も、好きな人と話していてケラケラ笑っているひとをみると、うれしいんだろうなあと思ってしまいます。
交際編でした。今後のイベントもたのしみです。
今回試験期間のシーンもありましたが、、
9割って、全科目9割とらないと9割にならないから、
大変なんですよね~…
どうでもいいことでした。失礼しました。
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