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芝生の青さと自分の人生

「他人の芝生は青い」ということわざがある。
他人が持っているものがやたらと良く見えてしまうことを表すことわざで、私はしばしば、他人の芝生が青く見えてしまう時があった。

他人の芝生が青く見える時。

私の場合、大抵心が狭くなっていて、傲慢な気持ちになっている時にこの現象に陥ることが多い。
今だって充分素敵な毎日なのに、それに慣れてしまったり、マイナスなところばかり見ているとついため息が出て「いいなぁあの人はこうで」と思ってしまうのだ。


でも、他人の芝生が青く見えても自分の芝生は別に変わったりしない。
そもそも、前からずっと自分の芝生は自分の芝生で育ってきたから、他人の芝生を見て「いいなぁ」と思ったところで、自分の芝生が急に枯れる訳では無いし、急に青々とする訳では無い。
自分の芝生はずっと変わらず自分の芝生なのだ。

その事に気づいたのはつい最近だった。

人の芝生も人の芝生で、本当に青々としているかは本人じゃないと分からない。
分からないのに、ある一面だけを見て「いいなぁ」と思うのは違うよなぁと感じる。


なんにせよ、自分のこの時間を大切にできていない証拠だったりするのかなと私自身思っているので、他人の芝生が青く見えた時こそ、日常の何気ない心地良さを感じていこうと意識する日々なのであった。

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