震災で見えた人の優しさと強さ / Love and Compassion Shown after the Kobe Earthquake
阪神大震災が起こったとき、
わたしと家族は神戸の隣の市に住んでいました。
自宅には壁にひびが入った程度で
住むには全く問題がありませんでした。
ただ
水・電気・ガスの供給すべてが途絶えてしまいました。
①父
父の当時の職場は、
神戸からかなり離れた市にあり、
そこではライフラインも復旧していて
当日の朝から車で出社しなければいけませんでした。
(心細かったよ~)
父はまず、
車でコンビニまで行き、水や食料を購入しました。
その後、
以前住んでいた、近くの木造アパートを
見に行き、
駐車場の車の中に
(長い付き合いがあった)お隣さん一家が避難しているのを見つけ、
お水と食料をおすそ分けしました(💗)
(迷わずおすそ分けしていたことは、
わたしが成人してから初めて知りました。
それまでは、父を嫌っていた母に遠慮して、
父と会話していなかったんです~)
そして
自宅に戻り、家族にお水と食料を届けてくれました(💗)
②母
普段は、精神的に不安定になりがちだった母でしたが、
こわがる娘2人に穏やかに優しく接してくれました(💗)
父とも穏やかに接してくれました(💗)
夜、目を閉じるのがこわかったわたしは、
母に「寝んといてよー」と甘えて、
「うん、わかったよ^^」と応えてくれ(💗)
子ども2人が眠る中、
くたくただっただろうに、限界だっただろうに…
寝ずに見守ってくれました(💗)
本当に、とてもよく頑張ってくれました。
子供たちを守ってくれました。(💗)
③姉
わたしには1歳上の姉がいます。
小さいころから妹と比べられ、
家族や親戚、先生などの注目を妹に取られたと感じ、
劣等感や嫉妬を抱えて、愛情 飢餓状態で育ちました。
徐々に、
それはわたしへの憎悪へと変わっていったように思います。
けれど、
震災の朝、一緒の部屋で寝ていた姉は、
強烈な揺れがおさまった後
起き上がってまず、
「かな?(大丈夫か?)」と名前を呼んでくれました。
どんなに嬉しく、安心したことか。。(💗)
④母といがみ合っていたお隣のおばちゃん
わたしたち家族は、震災が起こる前に
アパートから同じ市内の一軒家へと、引っ越していました。
その後、
お隣に新しいお家が建ち、家族が引っ越してきました。
お隣さんの奥さまと、うちの母は
土地がなんやかんやと揉めており、
すれ違っても挨拶もしない犬猿の仲でした。
震災発生から数日後くらいかなぁ、
近くの浄水場で住民にお水が配られることになりました。
近くといっても、身軽で歩いても15分。
お水は重い。母は華奢。
唯一わが家で車の運転ができる父は仕事で不在。
母も、
おびえる子供たちを家に置いて一人で出かけることができない。
子供たちは、何もかも怖くて家から出たくない。
すると、
お隣のおばちゃんが、浄水場から
もらってきたお水を分けてくださったんです!
お隣さんは車を2台持っていて、ご夫婦ともに運転ができました。
おばちゃんも、おばちゃんの家族も困っているときに、
おばちゃんが列に並んでもらってきた、貴重な貴重なお水を、
おすそ分けしてくださった!!!(💗)
(母がお願いしたわけでもないんですよ)
あのときの感動は、今でも涙がでるほど。
一生忘れません。忘れないようにしたい。
あの極限状態で、人が他者へあたえてくれた優しさや愛は、
神聖といってもよいと思う。
人のやさしさのエネルギーを集めたら、
地球を1000周は軽くできるんとちゃうかな。
みんなありがとう💗
わたしも自分の人生を使い、
恩返し、していきます😊
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