見出し画像

青天を衝け第17回/2回目の平岡円四郎ロス()

前回大好きな平岡円四郎が死んでしまったけど
死に様がこれぞ平岡円四郎って感じで
妙な納得感があった。
そのせいかなのかなー?
平岡ロスが思ってたよりも酷くはなかった。

ところがそれを見事に覆しやがったのが
今回の第17回。

てなわけで第17回の個人的メモはこちら。

元治元年6月江戸に向かう篤太夫と成一郎たちは、まだ平岡の死を知らない
よく笑うもじっけぇ子
うちの人が死ぬわけないだろう!?
前回休んだことを謝罪する徳川家康
口でも引っ張るのじゃぞ
戦となれば芋たちが手を叩き喜ぶだけ
長州の挙兵
元治元年7月19日禁門の変
勇ましい一橋慶喜
攘夷を諦めた長州
天狗党の首領に担ぎ上げられる武田耕雲斎
人と人との縁ってのはまことに不思議なもんだ
めっぽうおかしれぇに違ぇねぇ
掛け軸に隠していた円四郎の文はやすへの愛が詰まった恋文だった
ここがまっさかぐるぐるしておる
篤太夫と成一郎を一橋の大事な家臣と言い切った猪飼勝三郎かっこよ
私にはわかる、円四郎は私の身代わりとなったのだ
武田耕雲斎は慶喜公をある意味信じて京へ向かうのだろう
篤太夫と成一郎、天狗党討伐に
筑波山神社

いつも通り公式がつぶやく【#青天ナビ】もいくつか。

今回歴史的な話でいけば
一番大きな出来事は
禁門の変であり
長州が朝敵になってしまったことなんだろうけど
話の主役は前回暗殺されてしまった平岡円四郎。

よくよく考えてみたら
視聴者や平岡円四郎の側にいた人たちは
彼の死を知ってるんだけど
円四郎の妻のやすや栄一じゃなくて篤太夫や成一郎は
まだその死を知らされていない。
立場上、何かしらに巻き込まれることはあっても
平岡円四郎なら
うまいこと生き延びてくれるはず
そんな風に思っていたかもしれない。

それでもやっぱり
やすはどこかで覚悟もしていたと思う。
信じていたい気持ちと相反して
そういう時が訪れることも。
それは、やすが円四郎の死を告げられた際に
如実にあらわれていたのではないだろうか。
平岡の死を告げられても
笑い飛ばすかのように
『うちの人が死ぬわけないだろう!?』
と言い放つものの
すぐに泣き崩れてしまったやす。
常に明るく気丈な姿を見せてくれていたやすだけど
そういう強い女性で有り続けられたのは
最愛の夫である平岡円四郎の存在が
大きかったのではないか。

特に印象的だったのは
円四郎の死を知らされた時に
前述のセリフをやすが言う前に
ほんの少し『間』があったことだ。
長すぎず短すぎずのちょうどいい『間』で
その一瞬の『間』の中には
円四郎の死を告げられてから連想されたであろう
やすの様々な気持ちが混ざり合い絡み合い―。
その結果でてきた言葉が
「死ぬわけがない」という完全否定。
ある意味現実逃避の言葉なのかもしれないけど
あの一瞬の『間』から生み出されたであろうことを考えると
やすの悲しみが痛い程伝わってくる気がした。
毎度のことだけど
役者さんってすげぇなって思う瞬間でもあった。

そういえば、円四郎が掛け軸に隠していた文。
あれはもしかして
円四郎の身に何かあった時のために
遺書として残したものなのかな
とぼんやりと考えていた。
本当に自分は浅はかでおかしろくもねえ人間だと思う(笑)
思い起こしてみれば円四郎は
『寂しくなった時は掛け軸の小鳥にでも話しかけてみろ』
と篤太夫にやすへの伝言を頼んでいた。
それに円四郎は死ぬ間際に
『まだまだ死にたくねぇぞ』
とも言っていた。

そうなんだよ
円四郎はまだまだ死ぬことなんて
これっぽっちも、微塵も考えてなかったんだ。
たとえ戦になって生死どっちつかずな状況に置かれたとしても
彼は踏ん張って、生き残る道を必死で探したはずなんだ。
それはきっと円四郎が目にしたい未来を
一橋慶喜公と共に実現したいからであり
そうして作り上げた未来で
妻のやすと平和でおかしれえ日々を過ごしたかったからだ。
だからあの掛け軸に残した文には
円四郎が死んだ前提の言葉が一つもなかった。
彼はあの文のなかでまだ生きていたのだ。
そして文に書かれた一言一言が
江戸に一人で寂しがってるであろう妻やすを想う
愛と優しさで包まれていた。
円四郎がやすを想う気持ちで溢れていた。

なるほどなー
平岡円四郎が書いたあの文は
妻やすへの恋文のようなものだったんだ
自分はそう理解した。
そう思うとまた哀しみがドバっと押し寄せてきた。
物理的に一人にされてしまったやすも可哀そうなんだけど
それ以上に
道半ばで殺されてしまった平岡円四郎の無念さが
哀しくて哀しくて堪らなかった。

ああもう今日は平岡円四郎の死の哀しみで
お腹いっぱいすぎるよ
やすも篤太夫もみんなが悲しんでる
これが真の平岡円四郎ロスってやつかー
前回以上に今回のが哀しすぎるじゃないか
と打ちひしがれていた自分に
更なる止めを刺した人がいる。

それは平岡円四郎の主君である一橋慶喜公。
最後の最後で致命的な一撃を与えてくる辺り、
さすがとしか言いようがない。

一橋家の家臣を集めて帰ってきた篤太夫に
何故円四郎が水戸の者に殺されねばならなかったのか
それを問う慶喜公。
わからないと答えた篤太夫に対して
慶喜公は即座にこう言った。

『私にはわかる。
円四郎は私の身代わりとなったのだ』

これが自分には止めの一撃だった。
このセリフを聞いた瞬間に
悲しい気持ちが大津波みたいな塊となって
自分の感情を一瞬で覆いつくしていくような感覚に襲われた。

常にその傍らで思うがままに意見をしてくれた
「直言の臣」平岡円四郎。
誰よりも慶喜公を慕っていた円四郎だけど
慶喜公が誰よりも信頼していた家臣は円四郎だったはず。
『円四郎は私の身代わりとなった』という短い言葉には
慶喜公と円四郎の深い絆と
円四郎を失った慶喜公の深い悲しみが
刻み込まれているような気がする。

そうか、青天を衝けの最終回は今回だったかー(違

いただいたサポートはポテチに還元されます←