情報に関する雑感。

生きている上で、「見たい情報」と「見たくない情報」という枠組みが誰しもあると思う。

細かく分類するなら、「見たい情報」「どうでもいい情報」「見たくない情報」「未知の情報」だろうか。人によってはもっと細かくあるかもしれない。

情報は一方だけを鵜呑みにせず、噛み砕いて、精査して飲み込むのが重要だと教わった。けど見たくないものは触れずにいられるならそうしたい。

そこに虫がいることは知っていてもできるだけ見ないでいられるならそれがいい、みたいな。排除はしないけど、目にしたくはない、みたいな。我が儘だろうか。

見たい情報。好きなもの。新しいもの。興味のあること。起こったこと。人によって様々だろうがそんな感じじゃないだろうか。自分の場合、追っている作家さんの新刊とか。好きなアーティストの新曲とか。ものづくりとか。新しい技術とか。出来事とか。基本的にネガティブになりやすい性分なので、飲み込むならできるだけポジティブで明るい、ネガティブよりでも正しい情報であってほしいと思っている。

見たくない情報。苦手なもの。グロテスクなもの。嘘が真実かのように並べられているもの。とか、まあこれも人によって様々だと思う。自分はいじめに関するものはできるだけ見たくない。起こって欲しくないのは勿論、自分の身に起こったことを思い出してしまうからだ。文章を読んで状況を追体験することは誰にでもあると思うのだが、トラウマを呼び起こされるのはあまり気分がよくない。(ところでいじめ抑制に関する取り組みはよく聞くけど、被害者に対するケアについてはあまり聞かないのは何故なんだろう。トラウマという一括りにされてしまうからだろうか。閑話休題。)

どうでもいい情報。これは一番人によって異なると思う。どれも興味ないものであることには変わりない。自分は恋愛に関して、全くもって興味を持てない。特に(誰でもそうかもしれないが)他人の惚れた腫れたについて興味がない。芸能人のなんやらとか。幸せであってほしいとは思うけど、詳しく知りたいとは思えない。だが、自分が興味ない、必要ないからといって知らせなくていい、無くなればいいとかいうのはあまりにも自己中心的すぎると思うので、詳しく知りたい人だけ詳しく知れるみたいな仕組みがあればいいのに、と思う。ネットのニュースが理想に近いかもしれない。

未知の情報。知らないもの。今まで生きてきた中で関わりがなかったり、知る機会がなかったりしたもの。知識はあるけど、体験したことのないもの。好きとも嫌いとも言えないが、どうでもいいと一笑に付すかどうかも決めかねるもの。世の中の大半の情報はそんなものだと思う。

見たくない、関心がないからといって、目と耳を塞いでいるのはよくないと思う。「見たくないから伝えなくていい」というのは、その情報を必要としている人に対しての思い遣りが足りてないと思う。そういうことがあったことをうっすら知ることができる、くらいがちょうどいいと思うのだが、現代の高度な情報化社会はそれを許してくれないらしい。(受け取る側の取捨選択が自動でできないことのどこが高度なんだ?)時代を動かすような凄惨な事件のように、知識としては知っておくべきだけど、心の健康のために見たく無い情報とか。何でもかんでも情報の解像度が高いと精神が疲弊する。

見たい情報しか見えない、見たい情報しか見ないみたいな情報の壁を「フィルターバブル」と表現するが、逆フィルターバブルみたいなことはできないのだろうか。見たく無い情報の分類をあらかじめ社会的な重要度と解像度を荒くした情報にして提示してくれるような。AIなどの技術がもう少し進歩しないと難しいかもしれない。


現代はどうも、一つの事柄、事象に対する情報量の疎密差が顕著な気がする。情報化社会、インターネットが発達したことによる功罪、とでもいうべきか。

インターネット上には世の中の大まかな事象の説明がされているが、無いか、あっても表面的な情報も多い気がする。玉石混交というか。あと、むやみやたらと何でもかんでも過剰に通知してくるのはどうかと思う。

誰かの言った「インターネットは嘘を嘘と見抜ける人でないと難しい」みたいな言葉のように、ネット上にあるものが全てではなく、正しい知識と思考を持って落とし込むのが重要なんだろう。

水や食料がそうであることが望ましいように、情報も必要な人に必要な密度で届くようになる時代であってほしいと切に思う。

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