【仲間と作る本】子ども達の未来のために【音声と文章】
山田ゆり
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【仲間と作る本】が9月15日に発売されました。
発案者は拓さんです。
こちらのnoteから購入できます。
⇒https://note.mu/takusansoudan/n/ncdbb0ca2f3d3
*****************
2011年(平成23年)3月11日に起きた
東北の震災により両親、家族を亡くし、
未だ十分に教育を受けられていない
子ども達を支援している団体にこの本の
売上金全額を寄付するのが目的です。
これに賛同した参加者それぞれが、
これまでの人生の中で嬉しかった事、
悲しかった事、感謝したい事などを文書にまとめ
34のエピソードにまとめられた本です。
私もこの企画に賛同し、
エピソードを書かせていただきました。
東日本大震災のあの日
2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分
東北地方に住む私は、
明日がお休みでもう少しで午後3時という
少しのんびりした気分で仕事をしていました。
突然グラグラと揺さぶられ
今までにない強い揺れに不安を覚えました。
壁に掛けていた賞状などが落ちてきましたが、
社内的には停電以外、
特に大きな被害はありませんでした。
そのまま業務は続けるのかと思いましたが、
全員帰宅するようにと上から指示が出ました。
社内にそれほど被害が無かった事で、
私はまだ何が起こっているか分かっていませんでした。
しかし、帰宅のために車を運転してみて、
事の重大さが分かりました。
道路の信号機は停電していました。
普段、信号機に従って走行している道路が、
交差点に来るたびに
前にも右にも左にも進めないのです。
「隙あれば我先に」という一部の車が、
ビュンビュン走り抜けていきます。
道路は無法地帯と化していました。
でも優しいドライバーさんもたくさんいらっしゃって、
私は人様の情けでやっとの思いで
交差点を通過しました。
通常の何倍も時間を掛けて
神経をとがらせて帰宅いたしました。
小学生の三女と中学生の次女は
徒歩で帰れる距離でしたので
何とか帰宅していました。
しかし、電車通学していた長女だけが
まだ帰って来ていませんでした。
車で僅か30分のところです。
いつもならホイホイ迎えに行っています。
しかし、停電によって道路の全ての信号機が
止まったままで、
規律がなくなった道路を走るのは
何時間かかるか分からない状況でした。
幸い、長女は、同じ方向に帰ってくる友人の車に乗せていただき、
数時間後になんとか帰宅できました。
数日間停電し
ろうそくと懐中電灯の生活になりました。
電気・水道・電話を使えて当たり前の生活が
どれほど幸せな事か失ってみて初めて分かりました。
しかし、生活のライフラインは寸断されたままでも
家族全員が一緒にいられる幸せを噛みしめていました。
あって当たり前と思っていたものが無い。
数日間、電気がないので、
世の中がどうなっているのか分かりませんでした。
その後、電気や水道が復旧し
徐々に普通の生活に戻れましたが、
テレビや新聞で報道される被災地の状況を知り、
事の重大さを初めて知りました。
この震災でたくさんの尊い命が犠牲になりました。
そして、残されたご遺族が
今でも大変な思いをされていらっしゃいます。
私たちは幸いにも家族全員無事でした。
家族全員揃っている事が当たり前。
ずっとその当たり前が続くと思っていたのに
突然それが当たり前でなくなる。
突然、独りぼっちになってしまう
そういう可能性は誰にでもあります。
だから、今、苦しんでいらっしゃる方々の
お役に立てるなら
明日を明るいものだと
思えるようになれるのならと思い
私は今回の企画に参加させていただきました。
「仲間と作る本」の売上金は全額寄付されます。
どうか、一人でも多くの方に、
この「仲間と作る本」を読んでいただき
今も大変な思いをされていらっしゃる
被災地の子ども達に
明るい未来がある事に
気づいてもらえたらと思います。
発案者は拓さんです。
こちらのnoteから購入できます。
⇒https://note.mu/takusansoudan/n/ncdbb0ca2f3d3
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2011年(平成23年)3月11日に起きた
東北の震災により両親、家族を亡くし、
未だ十分に教育を受けられていない
子ども達を支援している団体にこの本の
売上金全額を寄付するのが目的です。
これに賛同した参加者それぞれが、
これまでの人生の中で嬉しかった事、
悲しかった事、感謝したい事などを文書にまとめ
34のエピソードにまとめられた本です。
私もこの企画に賛同し、
エピソードを書かせていただきました。
東日本大震災のあの日
2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分
東北地方に住む私は、
明日がお休みでもう少しで午後3時という
少しのんびりした気分で仕事をしていました。
突然グラグラと揺さぶられ
今までにない強い揺れに不安を覚えました。
壁に掛けていた賞状などが落ちてきましたが、
社内的には停電以外、
特に大きな被害はありませんでした。
そのまま業務は続けるのかと思いましたが、
全員帰宅するようにと上から指示が出ました。
社内にそれほど被害が無かった事で、
私はまだ何が起こっているか分かっていませんでした。
しかし、帰宅のために車を運転してみて、
事の重大さが分かりました。
道路の信号機は停電していました。
普段、信号機に従って走行している道路が、
交差点に来るたびに
前にも右にも左にも進めないのです。
「隙あれば我先に」という一部の車が、
ビュンビュン走り抜けていきます。
道路は無法地帯と化していました。
でも優しいドライバーさんもたくさんいらっしゃって、
私は人様の情けでやっとの思いで
交差点を通過しました。
通常の何倍も時間を掛けて
神経をとがらせて帰宅いたしました。
小学生の三女と中学生の次女は
徒歩で帰れる距離でしたので
何とか帰宅していました。
しかし、電車通学していた長女だけが
まだ帰って来ていませんでした。
車で僅か30分のところです。
いつもならホイホイ迎えに行っています。
しかし、停電によって道路の全ての信号機が
止まったままで、
規律がなくなった道路を走るのは
何時間かかるか分からない状況でした。
幸い、長女は、同じ方向に帰ってくる友人の車に乗せていただき、
数時間後になんとか帰宅できました。
数日間停電し
ろうそくと懐中電灯の生活になりました。
電気・水道・電話を使えて当たり前の生活が
どれほど幸せな事か失ってみて初めて分かりました。
しかし、生活のライフラインは寸断されたままでも
家族全員が一緒にいられる幸せを噛みしめていました。
あって当たり前と思っていたものが無い。
数日間、電気がないので、
世の中がどうなっているのか分かりませんでした。
その後、電気や水道が復旧し
徐々に普通の生活に戻れましたが、
テレビや新聞で報道される被災地の状況を知り、
事の重大さを初めて知りました。
この震災でたくさんの尊い命が犠牲になりました。
そして、残されたご遺族が
今でも大変な思いをされていらっしゃいます。
私たちは幸いにも家族全員無事でした。
家族全員揃っている事が当たり前。
ずっとその当たり前が続くと思っていたのに
突然それが当たり前でなくなる。
突然、独りぼっちになってしまう
そういう可能性は誰にでもあります。
だから、今、苦しんでいらっしゃる方々の
お役に立てるなら
明日を明るいものだと
思えるようになれるのならと思い
私は今回の企画に参加させていただきました。
「仲間と作る本」の売上金は全額寄付されます。
どうか、一人でも多くの方に、
この「仲間と作る本」を読んでいただき
今も大変な思いをされていらっしゃる
被災地の子ども達に
明るい未来がある事に
気づいてもらえたらと思います。
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