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真っ白な自分を自由に変えられる希望【音声と文章】

山田ゆり
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友達が欲しい
誰かと話をしたい

でも、何て話しかければいいのか分からない。

変なことを言って相手が不快になったらどうしよう。

そう思うと自分から声を掛けることができなかった。


私は小6の一年間、番長的な男の子にいじめに合い
それからは内にこもる性格に自分を変えてしまった。

そして、高校を卒業するまでの7年間
友達のいない寂しい学生生活を送った。




なぜ生きるのだろうか。
私は生きる意味があるのだろうか。



私は何者なのだろうか。
一人ぼっちは寂しい。
こんな自分の存在を消してしまいたい。




友達が欲しいという思いがあるのに
自分から声を掛けることができず
「ひとりが好きな人」と見えるように虚勢を張っていた。




交差点に立つ。
目の前には知らない人ばかり。

私は今、「ここにいる」のに、他人から見たら私はタダの通りすがりの人。
「私を中心にした世界」からしか自分には見えていない。
目の前のこの人にはこの人が中心の世界があり、私が見えていなければ私の存在はないのだ。

だから、交差点に立つと異常に虚無感を感じるようになっていた。




その意味が最近の学びで分かった。

そもそも、この世は空なのである。
交差点に立っていて、向こうにいる人は私をただの通行人と認識する。
もしも相手が娘のお友達のお母さんだったら私は「○○ちゃんのお母さん」と相手は認識する。
私の目の前で背を向けて立っている人は、私が見えない。
だからその人にとって私は「いない存在」なのだ。

つまり、相手が私とどんな関係かという「情報」で私の存在が変化するのだ。

私は「私」という物体があると思っていた。
しかし、私を認識する相手によって「私に関する情報」で「私の存在」は変化する。


「○○ちゃんのお母さん」「通りすがりの通行人」
私が見えない位置にいる人にとって私は「ここにいない人」


私という人間は、相手によっていくらでも変化する「情報」だということを知った。
私という「物体」ではなく「相手から見た私に関する情報」だということ。

相手が私とどういう関係かによって、「私」の存在が変化するのだ。
ということは、私は誰なのだろうか。


私は何者なのだろうか。
一人ぼっちは寂しい。
こんな自分の存在を消してしまいたい。


十代の頃の疑問が今、解けた。



私は何者でもないのだ。
自分の存在を消してしまいたいと落ち込んでいたが
そもそも、自分の存在はないのだ。
私を見ている相手によって


○○ちゃんのお母さん

同僚
ただの通りすがりの人  になる。


自分は何者でもない
ということは

白色の絵の具に別の色を足していくように
何者でもない自分を自分で定義付けていけるということ。


この世は空である。


それは寂しいことでも虚しいことでもない。


真っ白な自分を
自分が自由に変えることができるという希望なのだ。



私は何者なのだろうか。
一人ぼっちは寂しい。
こんな自分の存在を消してしまいたい。


十代の頃の疑問が今、解けた。

人は何者でもないのだ。
自分の存在は自分を見る相手によって変化する。
つまり、自分の存在の定義は決まっていないのである。
だから、人は何者にもなれるのだ。


この世は空なのである。

空だから
自分の思うように生きればいいのである。











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真っ白な自分を自由に変えられる希望

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