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夫がハブで繋がった関係【音声と文章】

山田ゆり
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※note毎日連続投稿1357日コミット中。1341日目
※音声・文章、どちらでも楽しめます。




おはようございます。
山田ゆりです。



今回は
夫がハブで繋がった関係
ということをお伝えいたします。




独身時代は山田家の親族の腹黒さに振り回されていた。
特に28歳の弟が不治の病で亡くなった時の葬儀の時は、
ハイエナのように私たちにたかってくる親族に辟易した。

あの時は本家から分家して初めての仏様が弟だった。

両親の気落ちはひどかった。
特に父は晩酌の時になると
声を出して泣いていた。

表向きの喪主は父だったが、
いろいろなものを用意したりするのは私だった。
初めての葬儀ということもあり、
全て親戚の大本家様のご指導を受けた。


大本家様は居間のソファに
ドカッと座りたくさんの指示を私にした。

ご本人は100kg近い肥満体で動くことをせず、
「ゆりさん、あれが足りません」
「ゆりさん、それはこうするのです」と
何でも私に指示を出してくださった。
口は出すが自分は動かない、という方だった。


仕出し屋さんにお手伝いの方ように盛り皿やお弁当を頼む時は
地域で一番の上等なお店を指定された。

家には頼んでいないのにご近所の奥様方が数人、
お手伝いに来てくださった。

当時の田舎は不幸があったらご近所の人が
黒いエプロンをしてお手伝いを率先してするのが普通だった。



ご近所の奥様方は朝6時には我が家に来られた。
それは良かれと思っての行動だったのだろうが、
私たちはその時間よりも早く起きなければいけなくて、
正直なところ迷惑だったがそれは口に出して言うことではない。



また、火葬・通夜・葬式などで我が家を開ける時は、
数人のご近所の奥様方が「手伝い人」として留守番をしにきてくれた。


あとで知った事だが、その留守番をしている最中、
家の中を全部見られていた。


下の部屋(仏間6畳、座敷6畳、居間8畳)の襖を全部開け放したために
下の部屋にあった箪笥やたくさんのモノ達を急遽、
二階へ寄せていたので、二階は足の踏み場もなかった。

その散らかった二階は、
私たちが出かけている間に全て見られ
周りの方に言いふらされていたということを
ずっと後になって私たちは人づてに聞き打ちのめされた。


家は全て襖で仕切られているだけで
鍵がある部屋はなかったから見放題だった。



いただきものの類を倉庫の一室にしまってあったが、
その居場所も教えていなかったのに踏み込まれ、
それぞれの箱を私たちに断りもなしに開け
鍋や汁椀や食器が使われていた。

つまり、家中も二階建ての倉庫も全て
手伝いと称する奥様方に見られていた。


そして、あんなものやこんなものがあるのに使っていないと、
そんなこともご近所の奥様方に話をしていたのもあとで聞こえてきた。
もしかしてその中のいくつかは無くなったものもあったかもしれない。


そのお手伝いの人達の食事も大本家様の勧めで、
当人たちが普段は食べられない高額なものを選んでいた。



一つ一つが高価な出費だったがその頃は
何も分からず大本家様の言いなりだった。

法要も
ひと七日
ふた七日
み七日
四十九日
百箇日
一周忌
と、普通のご家庭では省略するであろうことも
全て大本家様の勧めで行い
その都度、高い仕出し料理を注文し
夜遅くまで宴会のような騒ぎをしていた。




弟の葬儀があまりにも
お金と時間をかけすぎたものだと気づいたのは
数年後に大本家様で不幸があった時だった。

私が手伝いを志願しても断られ
通夜・葬式の後の法要は我が家は呼ばれなかった。


ひと七日、ふた七日、三七日、そして四十九日。

そのお宅の座敷では人が多く集まっているらしかったが
我が家に連絡は来なかった。


「山田親族」の中で我が家は
一番下か二番目に下の位置にいた。
だからいつもないがしろにされているのは感じていた。


やがて私は
「親戚づきあいとはそういうものだ」と諦めるようになった。




だから夫と出会い結婚した時、
夫の親戚の方々とうまくやって行けるか心配だった。

あんな嫌な関係がもう一つ増えるのかと思った。

しかし夫の親戚は「山田親族」とは月とスッポンだった。


夫の親戚はとにかく相手に不要なお金を使わせないという主義だった。
それなのに向こうからは
たくさんのいただきものを私たちは受けていた。
相手にはお金を使わせないのに
自分たちは人様にたくさん与える人なのだ。



そして、買うよりも
今あるものを工夫するのが軸になっていた。


夫の実家に行くといつも手作りの料理がたくさん出てくる。
専業主婦をされているお義姉様の手作りは
全て美味しい。




元日に夫の実家に娘たちと一緒に行ってきた。

玄関のブザーを押すと
「はーい」といつもの明るい夫のお兄様の奥様が出た。


目じりにいっぱい皺を寄せて
歯並びの良い口がニーッとなっていた。
いつものお義姉さんだ。


私たちは夫の家族が大好きだ。


お仏壇にそれぞれお線香をあげて合掌し
薪ストーブがある大きな居間(18~20畳くらい)で
お義姉様としばし談笑した。



帰りに、リンゴをスライスしてそれを干したものを
袋いっぱいいただいた。
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薪ストーブを一日中つけているので
それを利用して
りんごのスライスしたものを天井で干しているのだ。

実際に干している天井を見せていただいた。
ご主人様が大工さんなので
どこにもない工夫が天井に施されていた。



また、手編みのソックスカバーを2ついただいた。

「大きさはどうかなぁ、小さくないかなぁ、履いてみー」
男勝りのお義姉様はシャキシャキと話された。

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履いてみるとそれは私にぴったりだった。

長女が
「シンデレラだ」って言ってた。
ピンクと紺色が優しい。嬉しかった。



お義姉様は170cm以上の方だから
こんな小さなカバーは履けない。

つまり、私の為に編んでくださったということだ。




お正月とお盆に夫の実家に挨拶に行くが
私たちが持って行った手土産以上のものを
私たちはいつも持ち帰ることになる。

お義姉様の実家から送られてくる日高昆布も毎回、
北海道の新聞に包まれたままいただいている。

本物の昆布を使って料理するのは
夫と結婚してからの習慣になった。




ギブ精神がいっぱいなのは夫の実家だけではない。
夫の二番目のお兄様のお宅も同じだ。

いつも笑顔で迎えて下さり
帰りはたくさんのモノをいただいてくる。
私たちが来るであろうことを予想して
いつも事前に渡すものを玄関につんでおられる。




あなたの親戚関係は良好ですか?


コロナ禍になり冠婚葬祭のカタチが激変した。
対人関係も大きく変わってきたが
夫の親族との関係は以前と変わらず良好である。



私たちは夫の親族が大好きだ。



極端な話、山田親族とは縁が切れても
夫の親族とはつながっていたい。



夫がハブの役目をして繋がったこの関係を
これからも大事にしていきたい。







今回は
夫がハブで繋がった関係

ということをお伝えいたしました。

本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。 

ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。

山田ゆりでした。



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