~バッタさん~ ネガティブな過去を洗い流す【音声と文章】
山田ゆり
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※今回はこちらの続きです。
↓同じ病室だったNさんの死
https://note.com/tukuda/n/n7757ab342385
のり子の弟は無菌室で28歳を迎えた。
単調な入院生活にならないよう、二人はちょっとしたイベントを計画して楽しんでいた。
その中の一つに宝くじを買うことがあった。普段購入する機会がない二人だったが、夏と冬に大きな宝くじがあることは知っていた。
その宝くじはどこから買っても同じようなものだと思うが、「宝くじが当たりやすい」売り場があり、県内で一番というその売り場にのり子が買いに行くという計画を立てた。
その売り場は列車に1時間揺られていくところだった。
事前に大体の場所を地図で確認しておいた。今のようにスマホがあればすぐに検索できるが、1990年のその頃は、スマホどころか、Windows95も発売されていない時代だった。
のり子が習っているPCは、何やら英数字を入力すると画面が変わるようになっていた。0と1の二進法の説明があったが難しくて理解できていない状態だった。
宝くじを購入する日がやってきた。
二人は「壮行式」を行った。
「ただ今より、宝くじ購入の壮行式をおこないます。」
ベッドに横たわった弟が言い、のり子は少し離れたところから弟の目の前に大きく手を振りながら歩いて行く。
そして選手宣誓をのり子がするという、バカげたことをして二人は笑いあった。
「じゃぁ、行ってきます!」
のり子は右の耳辺りに手を挙げて敬礼をした。
無菌室のドアを開け、廊下から弟に向かって大きく手を振る。
そして廊下を進み、ドアを開け、そこで不織布の帽子と割烹着を脱ぎ捨て、マスクを外し、手指の消毒をしてエアシャワーを浴び一般病棟へ移った。
無菌室に入ってから何度も新しい「治療」という名の「実験」が繰り返された。
その度に弟は高熱と吐き気などに見まわれた。
そして、恐れていたことがとうとう起きてしまった。
薬の副作用で髪の毛が抜けてしまったのである。
今後の治療で髪が抜けることがあるかもしれないと医師から言われていた弟は、無菌室に入る前に、頭を五厘刈りにした。
しかし、髪が抜けることもなく髪の毛は1㎝位に伸びてきたところだった。
頭を触ると髪の毛が手にたくさん溜まって取れた。
弟はうつろな目でその髪の毛をゴミ箱に捨てていた。
どんな思いでいるのだろうか。
「大丈夫。薬が効いてきているから髪が抜けてきたんだよきっと!」
のり子は根拠が全くない励ましをした。
無菌室への面会は家族だけ許されていた。
たまたま、髪の毛が抜けたその日に母親が面会にやってきた。
そして、髪の毛が抜けた息子に向かって
「わぁ~、どうしよう。髪が抜けてしまったぁ。」と本人の不安な気持ちを煽るような言葉を発した。
尋常小学校しか出ていない無学な母親である。気の利いた言葉を発する知識がない人である。
だから素直な気持ちしか言えないのである。
弟の気持ちを察するのり子は、その素直過ぎる発言をする母親をその時はとても憎んだ。どうしてもっと気を配るような言葉がけができないのかと思った。
6月の下旬に入院し、暑い夏を肌で感じることもなく秋になった。
そろそろ稲刈りの季節である。
稲刈りをすると目の前からバッタの大群が
「大変だ、大変だ」と言って左右に飛び出していく。
もう、9月の中旬になっていた。
その日は風雨が強い夜だった。
部屋の窓のカーテンを閉めようと窓に立った弟は、窓にしがみついている一匹のバッタを発見した。
こんなに風が強いのにガラスにしがみついていたのである。
弟はそのバッタが気になった。
そしてそのバッタが明日の朝もいたら自分の病気も良い方向に向かうかもしれないと言った。
つるつるしたガラスに必死にしがみついているバッタと自分を同一化しているのだ。
落ちないで欲しいとのり子も思った。
外は相変わらずビュービューと音がし、木の枝が時々窓をバサッバサッと叩いていた。
翌朝めざめた弟は、自分で立ち上がることができず、のり子にあのバッタがいるかどうかを見て欲しいと言った。
「どうか、どうか、バッタさんがいますように」
のり子は祈る気持ちでカーテンを静かに開けた。
すると昨日のバッタはまだそこにしがみついていた。
「いるよ!バッタさん!」
のり子は思わず大きな声で言った。
弟はうんうんと頷き、とても嬉しそうだった。
あれほど風が強かったのに。
その生命力の強さに私たちは感動した。
無菌室での生活の中で一番うれしかった思い出である。
この出来事があってからのり子は、
バッタを見ると弟が来てくれたと思うようになり、
静かにバッタさんを見守るようになった。
※note毎日連続投稿1900日をコミット中!
1824日目。
※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。
どちらでも数分で楽しめます。#ad
~バッタさん~
ネガティブな過去を洗い流す
↓同じ病室だったNさんの死
https://note.com/tukuda/n/n7757ab342385
のり子の弟は無菌室で28歳を迎えた。
単調な入院生活にならないよう、二人はちょっとしたイベントを計画して楽しんでいた。
その中の一つに宝くじを買うことがあった。普段購入する機会がない二人だったが、夏と冬に大きな宝くじがあることは知っていた。
その宝くじはどこから買っても同じようなものだと思うが、「宝くじが当たりやすい」売り場があり、県内で一番というその売り場にのり子が買いに行くという計画を立てた。
その売り場は列車に1時間揺られていくところだった。
事前に大体の場所を地図で確認しておいた。今のようにスマホがあればすぐに検索できるが、1990年のその頃は、スマホどころか、Windows95も発売されていない時代だった。
のり子が習っているPCは、何やら英数字を入力すると画面が変わるようになっていた。0と1の二進法の説明があったが難しくて理解できていない状態だった。
宝くじを購入する日がやってきた。
二人は「壮行式」を行った。
「ただ今より、宝くじ購入の壮行式をおこないます。」
ベッドに横たわった弟が言い、のり子は少し離れたところから弟の目の前に大きく手を振りながら歩いて行く。
そして選手宣誓をのり子がするという、バカげたことをして二人は笑いあった。
「じゃぁ、行ってきます!」
のり子は右の耳辺りに手を挙げて敬礼をした。
無菌室のドアを開け、廊下から弟に向かって大きく手を振る。
そして廊下を進み、ドアを開け、そこで不織布の帽子と割烹着を脱ぎ捨て、マスクを外し、手指の消毒をしてエアシャワーを浴び一般病棟へ移った。
無菌室に入ってから何度も新しい「治療」という名の「実験」が繰り返された。
その度に弟は高熱と吐き気などに見まわれた。
そして、恐れていたことがとうとう起きてしまった。
薬の副作用で髪の毛が抜けてしまったのである。
今後の治療で髪が抜けることがあるかもしれないと医師から言われていた弟は、無菌室に入る前に、頭を五厘刈りにした。
しかし、髪が抜けることもなく髪の毛は1㎝位に伸びてきたところだった。
頭を触ると髪の毛が手にたくさん溜まって取れた。
弟はうつろな目でその髪の毛をゴミ箱に捨てていた。
どんな思いでいるのだろうか。
「大丈夫。薬が効いてきているから髪が抜けてきたんだよきっと!」
のり子は根拠が全くない励ましをした。
無菌室への面会は家族だけ許されていた。
たまたま、髪の毛が抜けたその日に母親が面会にやってきた。
そして、髪の毛が抜けた息子に向かって
「わぁ~、どうしよう。髪が抜けてしまったぁ。」と本人の不安な気持ちを煽るような言葉を発した。
尋常小学校しか出ていない無学な母親である。気の利いた言葉を発する知識がない人である。
だから素直な気持ちしか言えないのである。
弟の気持ちを察するのり子は、その素直過ぎる発言をする母親をその時はとても憎んだ。どうしてもっと気を配るような言葉がけができないのかと思った。
6月の下旬に入院し、暑い夏を肌で感じることもなく秋になった。
そろそろ稲刈りの季節である。
稲刈りをすると目の前からバッタの大群が
「大変だ、大変だ」と言って左右に飛び出していく。
もう、9月の中旬になっていた。
その日は風雨が強い夜だった。
部屋の窓のカーテンを閉めようと窓に立った弟は、窓にしがみついている一匹のバッタを発見した。
こんなに風が強いのにガラスにしがみついていたのである。
弟はそのバッタが気になった。
そしてそのバッタが明日の朝もいたら自分の病気も良い方向に向かうかもしれないと言った。
つるつるしたガラスに必死にしがみついているバッタと自分を同一化しているのだ。
落ちないで欲しいとのり子も思った。
外は相変わらずビュービューと音がし、木の枝が時々窓をバサッバサッと叩いていた。
翌朝めざめた弟は、自分で立ち上がることができず、のり子にあのバッタがいるかどうかを見て欲しいと言った。
「どうか、どうか、バッタさんがいますように」
のり子は祈る気持ちでカーテンを静かに開けた。
すると昨日のバッタはまだそこにしがみついていた。
「いるよ!バッタさん!」
のり子は思わず大きな声で言った。
弟はうんうんと頷き、とても嬉しそうだった。
あれほど風が強かったのに。
その生命力の強さに私たちは感動した。
無菌室での生活の中で一番うれしかった思い出である。
この出来事があってからのり子は、
バッタを見ると弟が来てくれたと思うようになり、
静かにバッタさんを見守るようになった。
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1824日目。
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