マガジンのカバー画像

田畑を相続した我が家の場合

12
代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「…
運営しているクリエイター

#毎日note

農業の未来【音声と文章】

我が家は代々、お米の専業農家だった。 祖父母が住む実家に住んでいた頃、母と伯母の二人姉妹のところへ父が婿入りした。 そして何町もの田んぼを耕していた。 一町はおよそ1万平方メートル(3千坪)で野球場のグラウンド部分くらいの広さになり、それを数か所所有していた。 それらを祖父、父、母、伯母、そして雇われている男性が数人で、稲作を続けてきた。 それから時代は流れ、いろいろな事情があって両親は祖父母の家から独立した。 一番の理由は50代の祖父が若いお嫁さんをもらい男の子が生まれ、母が跡取りではなくなったことだ。その男の子は母の第一子の二年後に生まれた。 父は数反の田んぼを遺産相続し、農業を続けていた。 祖父の息子は相続した田を全て売り払い、大きな家を建て、そこに一人で暮らしている。 あの頃、先祖代々から続いている田を全部売ってしまったその人に対し私は、なんてひどい人だと思っていた。 あれから数十年が過ぎ、私の夫が急逝し、私は夫から田畑を相続した。 気持ちの上ではその田畑を継続したかった。 しかし、正社員として働いている事、我が家は女性三人の娘しかおらず男手が無いこと。 みんな忙しくて農業をする時間が無かった。 農業をするために会社を辞めるのは正論ではない。夫は亡くなったが私たちはこれからも生きていかなければならない。 だから田畑を耕作するのは諦めた。そして農業委員会へ田畑を貸したいという申請を出した。 田畑を耕作しないと決めたらそれでいいと私は勘違いしていたことにすぐに気が付いた。 田畑は生き物である。草がどんどん生えていく。山奥の誰も住んでいない土地だったら放置しても良いが、周りが田畑の場所で草が伸び放題の我が家に苦情が来て初めて耕作をしなくても草刈りや堰の管理が必要であることを知った。 それを最初は自分たちの手でやってみたが私たち女性だけでしかも仕事を持っている身で、田畑の管理は難しいことが分かった。 結局、お金を出して草刈りや草取りをしてもらうことになった。 田畑からは何も生まれないのに、税金や管理費がかかる。それは年間で6桁の金額になる。 この先、何も生み出さない土地を持っているという理由だけで、お金を無駄にしないといけないのかと思うとやり切れなかった。 農業委員会に何度か出向き、タダでもいいから土地を誰かにもらってほしいとお願いした。しかし、土地をタダで譲渡することはできないと言われ、数年間、無駄金を出してきた。 その時、祖父の息子が何町もの田んぼを全て売り払った理由が分かった。 耕作できな田畑を持っている場合、その土地は「資産」ではなく生活を圧迫する「負債」でしかないのだ。 耕せば「資産」だが、放置していれば「負債」なのだ。 私の周りには年老いた農家の方しかいない。 草取りを依頼していた方は、「腰が曲がってきて、もうできない」と言われ草取りの契約が切れ、どうしようと困っていたところだった。 夫が亡くなって4年目に、我が家の田畑は売買と賃貸借がそれぞれ決まった。 もう、草刈りで悩むことは無くなった。 高齢化が進み、日本の農業に対する期待度は私はとても低く感じていた。 しかし、今回、我が家の田畑を売買、または借りて下さった方々は、30代後半か40代前半の若々しい方々ばかりだった。 体格も良く明るくて、お話をお聞きすると農業に対する将来の計画がしっかりしていて、嫌々でやっていないのが手に取るように分かった。 これからの農業は私が思っているほどは暗くはないのかもしれない。 若いやる気のある人が私の知らないところにたくさんいらっしゃるのかもしれない。 どうか続けていってほしい。 農業を諦めた私は切にそう思う。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1749日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  農業の未来

田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その2~【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1625日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その2~ をお伝えいたします。 農業をする気がない人は田畑を相続してはいけない。 これは我が家の田畑に関する淡々とした記録である。 これまでのお話はこちらをご覧ください。 ◆変わったもの。変わらないもの。 https://note.com/tukuda/n/nb9de05878cca ◆先祖代々の田畑を引き継いだけれども https://note.com/tukuda/n/n49f3726e57bd ◆田畑を相続した我が家の場合~大きい畑~ https://note.com/tukuda/n/nbec0c6bd9e3c 今年になって「大きい畑」を借りたいという人が現れた。 その話は、農業委員会からではなく、ご本人が直接我が家へ交渉しに来た。 その方は他にも借りている畑が3か所あり、農業委員会の手続きには慣れているから調整委員の方を間に入れずにまっすぐ農業委員会へ出向いて手続きをしたいとおっしゃった。 しかし、なんとなくそのやり方に私はしっくりこなくて、いつもの調整委員の方に相談してみた。 土地の賃貸借だけではなく、放置しているトラクターや耕運機、トラクターの荷台など それらをその方へ譲り渡すことも話の内容にあるからだった。 ビニールハウスの中に放置してあるトラクターの座席は割れている。 そして、キーを挿し込んでみたら動かない。 どうやらバッテリーが上がってしまっているようだ。 それはそうだろう。3年以上も使っていないのだから。 畑の周りのビニールや焼酎のペットボトルは、その方が時間をみて片付けて下さるといってくださった。 そして草も刈ってくださると。 願ったり叶ったりだった。 それならトラクターは無償で上げよう思ったが少しですがお金は払いますと言ってくださった。 トラクターは買い取って下さる。 畑の周りに放置している農業資材のビニールや焼酎のペットボトル、そしてビニールハウスの中にあるものも片付けて下さる。 そして、年間の賃料がいただける。 これでその畑を片付けるという呪縛から解き放たれることになる。 私たちはとても喜んだ。 諸手を挙げて喜んでいる私に調整委員の方はおっしゃった。 「山田さんの大きい畑の方は、道路に面していてとても条件の良い土地です。 だから、例えば今回の話が無くなっても、すぐまた欲しい方が現れます。 だから、こちらはあまり低姿勢ではなく堂々といきましょう」と言われ、そういうものかと思った。 来年の3月から賃貸借が始まるため、まだ、書類のやり取りはこれからになる。 しかし、この「大きい畑」を借りてくださる方が先日、我が家へ突然お越しくださった。 そして次の2つのことを話された。 ① まず、ボウボウに生えた草はその方が刈ってくれるということで全てお任せをしている。草刈りの方はそれでよい。 問題は、農業資材のビニールや焼酎のペットボトル、ハウスの中のゴミのほうである。 それらをその方が「片付けてくれる」とおっしゃっていたから、私たちはその方にお任せしている。あとはその方が「片付けてくれる」と思っていたから。 しかし、世の中、自分が思っているようにはうまくことが運ばないものだ。 その方が言っている「片付ける」は、畑の中でバラバラに散らばっているビニールなどを一か所に集めるところまでのことを「片付ける」とおっしゃっていたとのこと。 それで、あの畑のどのあたりに集めておけば良いのかをその日、確認に来られたとのこと。 農業資材は一般の家庭ごみに出す事は禁じられている。 お金を払って処分してもらわないといけないのだ。 つまり、専門業者に収集しに来ていただき処分料を払って処分するのは私だということ。 そうだったのか。 私はてっきり、その方が全て畑からなくして下さるものだと勘違いをしていた。 ゴミを片付けるために新たにお金がかかる。 取りに来ていただく代金と処分する代金。 あぁ、何という事だ。 ② 2つの大小のビニールハウスがその畑にある。 そのハウスを使いたいとその方がおっしゃっていたので、どうぞ自由に使ってくださいと申し上げた。 その方は数十万円でそのハウスを補強できると思っていた。 しかし、業者に見積もってもらったら、足りない骨格があり、それらを補強すると百万円を超えるということが分かったそうだ。 その方はその金額は今はだせないのでハウスを使用しない計画に変更するとのことで もしも、私がそのビニールハウスを使わないのなら、取り壊すのはどうかと言われた。 ビニールハウスを取り壊す提案の理由は、ハウスの鉄骨はお金になるということで、 今回、ビニールなどの産廃の費用に充てることができるかもしれないということだ。 その方がハウスが無い方が作業がしやすいということもあるとおっしゃっていた。 なるほど。 ただ、鉄骨はお金になるが、そのハウスを解体する作業代は差し引かれるからいくら残るのか、または逆に支払いが多くなるのかは、業者さんに見積もりを取ってもらわないといけないとのこと。 つまり、私は、 「ビニールなどの農業資材の収集運搬料と処分料」、そして 「ハウスの解体費用と鉄骨代金の回収」という、 2つの課題が発生した。 やはり、夫が残した負の遺産は私が何とかしないといけないということだ。 もぉ! 人は誰でも目を開ければ いつもの朝日が自分を迎えてくれると そう信じて床に就くのだ。 この、農業資材のごみの処分がどうなったのかは、後日、お伝えしたい。 簡単そうだった「大きい畑」の賃貸借はまだまだ落ち着かない。 他に「小さい畑」に関しても大きな動きがあった。 こちらも後日、お伝えしたい。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑 その2~ をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

田畑を相続した我が家の場合~大きい畑~【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1624日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑~ をお伝えいたします。 先祖代々の土地を持ち続けること~大きい畑」の場合~ 農業をする気がない人は田畑を相続してはいけない。 これは我が家の田畑に関する淡々とした記録である。 お米と野菜の専業農家だった夫が急逝し、田畑の管理と言う大仕事が降ってきた。 相続した田畑は、大雑把に言うと、「田んぼ」と「大きい畑」と「小さい畑」の3か所になる。 「大きい畑」の方は道路に面しているところで、以前は田んぼだったところである。 亡くなった父の後を継いで、会社員から専業農家になった夫が、 田んぼから畑に変えたのだ。 だから周りは田んぼで、私のところだけが畑になっている。 夫の急死で私は田畑を相続した。 夫が亡くなり初めての春、周りの田んぼに水が入り清々しい状態なのに 私の畑のところだけが1m以上の草が生えていて 遠くから見ると砂漠の中に突如現れた密林のようで、異様さを感じる。 カマを手に草を刈ったが、思ったほど進まなかった。 我が家には夫が使っていた草刈り機があるが、それは重くて持つことができない。 仕方なく、女性でも使えるといううたい文句の草刈り機をホームセンターから購入した。 最初の印象は体重43㎏に満たない私でも使いこなせると感じた。 人力に比べて驚くほど早く草を刈ることができるだろうと私は意気込んだ。 颯爽と機械を繰る自分の姿を想像した。 しかし実際は、へっぴり腰で私はフラフラしながら畑の草を刈っていた。 わずか一時間後、のどがカラカラになり休憩した。 用意していた飲料は砂地に水が落ちていくように乾いた体の中に入って行った。 刈ったところを見る。まだ全体の10分の1にも満たない。 結局その日は一枚の畑の4分の1もできなかった。 草刈り機の重さが肩にずしりと食い込んでそれ以上草を刈ることはできなかった。 もっと体力があればきっとできたのだろう。 「世の中そんなに甘くはない」 そう言われているようだった。 娘が仕事帰りに少しずつ、手にカマを持って草を刈ってくれた。 私も時々、草を刈りに出かけた。 しかし、一週間に1度の休みの時は買い物や家事などが優先され、 毎回畑に行くことは無理だった。 また、時間的には行ける日でも、雨で行けない日もあった。 だから、畑の草は私たちが頑張っても成果は目に見えず、失望しかなかった。 田畑を貸そうと思い、調べてみた。 田畑の移動は「農業委員会」に届け出なければいけないということをその時初めて知った。 「農業委員会」の存在さえ私は知らなかった。 相続した田畑は、まずは「貸す」という選択を私は選んだ。 その手続きをして市役所を出た時「これで草刈りから解放される」と思った。 しかし、その後、「借りたい」と言う人はなかなか現れなかった。 やがて、そこを「買いたい」と言う人が現れた。 農業委員会と農家の仲介役である調整委員の方が我が家に訪れ、その話をしてくださった。 その方に売ったら私たちの苦労はもうなくなる。売ってしまえば楽になる。 そう思ったが、しかし、私はその土地をまだ売りたくはなかった。 その土地は道に面しているとても使いやすい土地だった。 今はできないけれど、将来、定年退職したら畑をやりたいとその時は思っていた。 そして一番の理由は、その土地は私が保育園児の頃、祖父や両親、姉や弟たちと稲刈りをしていた土地だった。 我がふるさとのお山が向こうに見えるその場所は、私の心の基地のようなのだ。 まだその思いは捨てきれない。 この景色を人に渡したくはなかった。 私は娘たちに自分の気持ちを伝え、娘たちは納得してくれた。 せっかく「買いたい」と言ってくださる方がいたが、その話は無かったことになった。 実は、夫が残してくれたこの「大きい畑」を畑として使用するには難問がいくつかあった。 ・草がボウボウ ・畑の周りに農業資材のビニールがたくさん無造作に置かれている ・同じく畑の周りに特大の焼酎のペットボトルが散乱している ・大小2つのビニールハウスがあるが、ビニールがかかっていないところがある ・大きいビニールハウスの中にトラクターが放置されている 広大な畑には、大小合わせて2つのビニールハウスがある。 そのビニールハウスにはトラクターや農機具などが置かれている。 そして、畑の周りには、露地栽培用のビニールがところどころに無造作に置かれていた。 素人の私からすると、使わないならビニールハウスの中に置いておけばいいと思うのだが、夫はところどころにビニールを置きっぱなしにしていた。 それを寄せようと私はビニールを持ってみた。 しかし、それは予想以上に重かった。 長さが数十mのビニールハウスは女性の私では持てなかった。 だからそれを片付けることができない。 また、その畑には水があまりない。 父が健在だったころは井戸を掘ってその井戸水を機械で汲み上げて作物に掛けていた。 しかしその後その井戸は枯れてしまった。 そこで父は使わなくなったバスタブを持って来て雨水をためておいてそれを使っていたが、それだけでは足りなかった。 夫は毎晩、焼酎を飲む人だった。片手で持つのは重いと感じるあの大きなペットボトルに入っている焼酎を飲んでいた。 夫はそのペットボトルに水を入れて畑の周りに置くことにした。 その数は数個ではない。あの広大な畑の周りには数十個、もしかしたら百は超えるかもしれないそのペットボトルが散乱していた。 知らない人はなぜペットボトルを畑の周りに捨てているのだと思うかもしれない。 私は夫が健在なころから、そのペットボトルの存在が嫌いだった。 どうみても見苦しい。 でも、夫がしている農業に口出しはしないことにしていた。初めての農業を夫なりに頑張っているのが分かっていたから。 夫が急逝し、田畑の管理を私がしなければならなくなり、たくさんの問題を抱え込むことになった。 畑に散乱した農業資材のビニールと大きなペットボトル。それらを片付けなければいけない。 汚れものを運ぶためには軽トラックが必要だ。 夫が亡くなってすぐに軽トラックはもう使わないと思い、会社でお世話になっている自動車会社に買い取っていただいたが、それは早すぎた行動だったと後悔している。 私たちの軽自動車にあの汚いものを乗せて運ぶことはできない。 今年になってその「大きい畑」の方を借りたいという人が現れた。 農業委員会の調整委員に間に入っていただき、話はトントンと進んだ。 実際の賃貸借契約は来年の3月からで、それまでに、畑として使えるように借主が整備してくれるとのことだった。 長くなりましたので、続きは別の日にいたします。 今回は 田畑を相続した我が家の場合~大きい畑~ をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

先祖代々の田畑を引き継いだけれども【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1621日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 先祖代々の田畑を引き継いだけれども をお伝えいたします。 先祖代々の土地を持ち続けること ~農業を継ぐことができない我が家の場合~ 農業をする気がない人は田畑を相続してはいけない。 耕作しない田畑を持つということは、そこから収入が上がらなくても税金や維持管理のためにお金がかかるということ。 私のnoteは、「我が家の記録」の為に続けているのだが、最近、それを忘れていたのに気が付いた。 よって、これは我が家の田畑に関する淡々とした記録である。 お米と野菜の専業農家だった夫が急逝し、田畑の管理と言う大仕事が突然、降ってきた。 相続した田畑は、大雑把に言うと、「田んぼ」と「大きい畑」と「小さい畑」の3か所になる。 私は田畑の相続を甘く見ていた。 名義が夫から私に変わるだけで、固定資産税と土地改良区の賦課金さえ滞納しなければ、あとはその土地で農業はしなくてもいいものだと思っていた。 いや、正しくは、できれば何かの作物を作ってみたいが、フルタイムで働き残業や休日出勤もたまにあり、更にマイビジネスをしている私は、農業をする時間がとれないのが現状だった。 秋に夫が亡くなり初めて迎えた春に、隣の田んぼの方が我が家に見えた。 そして、「田の周りの草をきちんと管理してくれ」と苦情を言われた。 私は稲作はやれない、だから田んぼはそのままでいいと思っていて、一度も田んぼに足を運んではいなかった。 その方がお帰りになって早速、田植え用の長靴を履いて田んぼを見に行った。 そして自分の田んぼだけ、密林のように草がぼうぼうと生い茂っているのを見た。 これではいけない。 そこで私は、翌朝から少しずつ田んぼの周りの小さな堰の草取りを始めた。 田植え用の長靴は薄く、水の冷たさが直に伝わってきて、世の中、甘くはないと言われているようだった。 2~3週間かけて草を取り除き、やり終わった後ろを振り向くと、最初のあたりにまた草がうっすらと生え始めていた。 こんなことをしていては追いつかないと思った。 私にも他にやることがある。今はどちらかというと、別のことに時間を使いたい。 私は田んぼの堰の草取りをしてくださる方を教えていただき、その方に代金をお支払いしてやっていただくことにした。 これで田んぼの草取りからは解放された。 でも、何も収益が上がらない田んぼに対して毎年税金と賦課金を納め、更に、年数回の堰の草取りのために手数料を払うことになった。 田んぼの相続は農業をする気がないのならするものではない。 これは私の実体験からくる結論だ。 畑の方もいろいろと問題が起こった。 長くなりましたので続きは別の機会にいたします。 今回は 先祖代々の田畑を引き継いだけれども をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

変わったもの。変わらないもの。【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1620日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 変わったもの。変わらないもの。 をお伝えいたします。 祖父がまだ健在だったころ、祖父、両親、叔母たちと一緒に まだ小学生だった私たち3姉弟も手伝って 稲刈りをしていた風景が今でも心の絵画として残っている。 稲を刈るとバッタが「大変だ、大変だ」と言わんばかりに飛び跳ねる。 赤とんぼが稲を刈っている母の麦わら帽子の上にとまる。 手で刈った稲を束ねて棒に差して干したり こま犬のような形にして田んぼに立てて置いたりしていた。 私たち子どもは10時と3時の休憩時間が特に楽しみだった。 いつも食べ慣れているリンゴや梨、葡萄の他に袋菓子が出された。 あの頃は普段、袋菓子を食べる習慣が無かったから、 私たちはそれを目当てにお手伝いをしていたところもある。 母が大きなやかんに水を入れて持って来てくれ、 私たちは普段使っているコップに水を入れて飲んだ。 みんな、田んぼに藁を敷いてそれに体育座りのような格好で座っていた。 藁を厚めに敷かないとお尻がひやひやした。 足元にはバッタが飛び交っていた。 どこもかしこも稲刈りが進んでいて、 その光景をふるさとのお山は静かに見守っていた。 夕焼けの匂いがしてきた頃にお山は赤く染まり始め、 あっという間に日が落ちて実りの秋の終わりを感じさせた。 帰りは父が運転するトラクターの荷台にみんなが乗り家に帰った。 手に持った藁はザラザラして、その先にトンボが止まる。 私は藁を左手にそっと持ち替えて 右手でトンボの羽をつかもうとする。 しかし、トンボは大きなたくさんの目で私を捉え スーッと上に飛んで行ってしまった。 それを見て姉や弟が笑う。 私も笑う。 あの頃は、これがずっと続くと思っていた。 祖父と弟が亡くなった。 私はお婿さんをとった。 父が亡くなり、夫が会社を辞めて専業農家になった。 叔母と母が亡くなった。 それでも夫と私と3人の娘たち5人で田畑を守ってきた。 夫以外はお手伝い程度しかできなかったが、しかし、 我が家が作ったお米を食べられる幸せを味わっていた。 やがて、予告もなく夫が急逝した。 田畑を夫から相続はしたが、農業をすることができない。 稲刈りをしないで冬がやって来るなんて お米を買って食べるなんて 赤とんぼと戯れていたあの頃は思ってもみなかったことである。 田植えや稲刈りをして当たり前だった我が家は、それができなくなった。 刈り取った田んぼに藁を敷いて座り 果物やお菓子を食べながら でき秋を喜び季節の節目を感じる。 何代も続いたその風習を 次の世代は体感できないのかと思うと それを選択した私は胸が痛い。 しかし、我がふるさとのお山は それでも大きくすそ野を広げて 今日も変わらず私たちを見守ってくれている。 今回は 変わったもの。変わらないもの。 をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+