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ショートショート

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「こうだったらいいな」「ああなりたいなぁ」「もしもこうだったら怖いなぁ」たくさんの「もしも」の世界です。
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アイコンの罪(ショートショート)【音声と文章】

アイコンと 少しは違う 言ってたけど 見た目が違う 性が違うわ SNS上の文字だけの交流の「仲間」のA美さんは 髪が長く目がパッチリでグラマラスなアイコン。 私は活発な女子って感じのアイコン。 「私たち、なんか気が合うわね。」 何度もやり取りしているうちに意気投合し、初めて会うことになった。 「実は私、アイコンとは少し違うの。驚かないでね。」と、A美が言う。 誰だって理想の姿をアイコンにしているものよ。 だから、そのあたりは了解済み。 某月某日、A美とあの銅像の前で会った。 始めはA美を探せなかった。 でも、キョロキョロしている私に声を掛けてきた男性がいた。 なんとA美は男性だった! アイコンと少し違うって言ってたけれど まさか男性だとは! 勿論、相手も私のアイコンとの違いに少し驚いていたけれど。 なんだそうだったのか! だから同じ匂いを感じていたのか。 それから僕たちはもっと仲良しになった。 note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1879日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad アイコンの罪(ショートショート)

食習慣の違い(短歌もどき)【音声と文章】

あなたから ランチの誘い 何食べよ コーヒー一時間 そりゃないわ 合コンで知り合った彼から 「今度の休日、一緒にランチはどう?」と連絡が来て 喜んで待ち合わせの時間に行ったら そこは既に長蛇の列。 「予約を入れてなかったの?」と私は心の中で思った。 信じられない。 仕方なく、近くの喫茶店に入ったの。 「おなか空いたよねぇ。」と聞いたら 「僕はそれほどでもない。」って言ってコーヒーだけ頼んだの。 私は彼との食事を美味しく食べようとお腹を空かして待っていたのに。 仕方なく私はフラッペを頼んで中に入っていたフルーツをお腹の足しにしたの。 バナナとキーウィがこんなに美味しいと感じたことはなかったわ。 彼ったら、コーヒーだけで一時間、ご機嫌な様子で話をしていた。 そして 「じゃぁ、また今度。」って別れた。 これがランチなの? note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1878日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad 食習慣の違い(短歌もどき)

嘘はお見通し(ショートショート)【音声と文章】

「あ、違う、訂正しなきゃ」 「でも、ま、いっか。どうせバレないし。」 ここは歯科医院。 以前、かぶせた歯が取れてしまい、のり子はかかりつけ医に行った。 口のレントゲンを撮り、先生からのお話があった。 「今、飲んでいる薬はないですね?」 「取れたところはしみたりしないですね?」 先ほど記入した問診票を見ながら先生はテンポよく次々に聞いていく。 のり子は先生の「ですね?」にすぐに「はい!」と応える。 それは掛け合いのようなテンポだった。 問診票が終わり、「ナイトガードは毎日されてますね?」と聞かれた時も合いの手を打つかの如く「はい!」とつい、言ってしまった。 その瞬間、「あ、違う。最近、ナイトガードをしないことが多い。」と思った。 「でも、私がナイトガードをしているかどうかなんて、分かるわけないから、ま、いっか。」 のりこは1秒間の間にそう自分と対話した。 すると、先生は顔の構造の図を手に持ちのり子に見せながら説明を始めた。 「これは通常の人のあごの骨。ほら、ここが綺麗に丸くなっているでしょ? そして、この山田さんのレントゲンを見ると、ここ、ここのカタチがとがっているでしょ? これは顎に異常に力が加えられているからなんです。だから、寝る時はナイトガードをしっかり付けてくださいね。」 先生は事前にレントゲンを見て、私がナイトガードをつけないで寝ていることが分かっていたのに、毎日つけていますねと聞いてきたのである。 その時、つい、のり子は「はい」と言ってしまった。 すぐに訂正すれば良かったがつい、のり子は魔が差してしまった。 嘘を言ってもどうせバレないだろうと思ったからだ。 しかし、専門家には嘘がお見通しだった。 先生の説明が終わるまで、嘘をついてしまった自分が恥ずかしくて先生の説明が頭に入らなかった。 自分は平気で噓をつくとても嫌らしい人間だと思った。 嘘をつくつもりではなかったが、はずみで「はい」と応えてしまい、それをすぐに撤回しなかった自分が恥ずかし。 すぐに訂正すればいいものをつい、魔が差して知らんぷりしてしまった自分。 誠実そうなふりをして、平気で嘘をつく人だと思われたかもしれない。 嘘はやっぱりいけない。 それがバレてもバレなくても、自分の気持ちが晴れない。 間違った時は「間違いました」と言える勇気と素直さを持とう。 お会計の際、次回の予約を決める時、のり子は相手の話をきちんと聞いて、しっかり考えてからお応えをした。 はずみで間違った返事をしないように気を付けようとのり子は自分に言い聞かせた。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1751日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  嘘はお見通し(ショートショート)

忌憚のない意見とは何?(ショートショート)【音声と文章】

「これを3日後までに提出してください。」 アキ子に所長から社内アンケートが渡された。 それは会社をもっと良くしたいから皆さんの意見を聞きたい。忌憚のない意見を記入し、それを直接社長へ提出するように、という内容だった。 見ると、「今の給料に満足しているか。」「年収どのくらい欲しいか。」「その金額を達成するために自分は何をするのか。また会社はどうすれば良いのか。」「休日の日数はどうか。」など、3枚の用紙にビッシリ書かれている。 アキ子は一瞥し、それを脇に置き作業を続けた。 アキ子は入社間もない頃を思い出していた。 アキ子はいろいろな会社を転々としていた。 例えばA社は求人票では休日は「土日祝」なのに、「業務に慣れるまでは日曜日のみ休み」となっていた。 B社は、代表者が納品の場に立ち会って、必ず納品されたものに対して罵声を浴びせて苦情を言い、無理な値下げを強要する場面にアキ子は遭遇した。 隣の席の人に聞いたらそれは日常茶飯事のことだと言われた。 また、C社は入社したての頃、産廃法違反でその会社が摘発され多額の罰金を納めることになり、最終的には廃業した。 真剣に就職活動をしているのに、会社の本当の姿は求人票からは垣間見ることができない。 実際、入ってみないと分からないというところだ。 アキ子は今の会社に就職できた時嬉しかった。 地元では名の知れた会社であり何よりもアキ子がやりたい職種に就けたからである。 小学生の頃からアキ子は絵を描くのが好きだった。 その延長線上で高校はデザイン科を選んだ。 学校の授業はとても面白かった。 地元の商店街のポスターを制作したり警察署のマスコットデザインの募集に応募し、見事大賞に選ばれ、アキ子が考案したデザインのマスコットが町中のあちらこちらで見ることができた。 その後、都内のデザインの専門学校に進学し更に知識と技術を磨いた。 地元に就職するためにアキ子は就職先を探した。 しかし、アキ子が求める職種の募集はほとんど皆無だった。 きらびやかな都会で暮らしてきたアキ子にとって地元は時間がゆっくりと進んでいると感じた。 令和の時代なのに地元はまだ昭和の雰囲気が漂っていた。 アキ子は何度も就職活動をしたのちに、不本意だったが「一般事務」として入社していた。 今の会社は冬の時期、会社の前の広い駐車場の雪かきは女性社員の仕事だった。 ひざのあたりまで積もった時はさすがに男性社員もスノーダンプで除雪をするが、普段は男性社員はしない。 また、雪国の家庭では家に大きな灯油のホームタンクがあり、そこから各ストーブへと配管されているのが一般てきなのだが、今の会社は全て持ち運びができるストーブばかりで、つまり、イチイチ灯油をいれなければならない。そのストーブの数は5~6台だった。 重いポリ缶を持ちフラフラしながらストーブの近くに持って行って給油をするのも女子社員の仕事だった。 その間、男性社員は何をしているか。 男性社員はPCに向かって見積書を作成していたり雑談をしている。 男性に頼りすぎるのはいけないが、しかし、小柄な女子社員がふらつきながら重いポリ缶を持っていても男性陣は助けようとはしないその光景がアキ子には信じられなかった。 更に、朝の清掃は「みんなでする」のが当たり前と思っていたが、この会社は女子社員だけしかしない。 アキ子はこれまでの会社でモップを持った男性社員、雑巾で窓を拭く男性社員を見てきた。男女平等で掃除をしていたのである。 この会社の男性社員は掃除の時間、PCに向かっていたり、コーヒーを飲んでいたりしている。 これらはどうしてそうなっているかと言うと、この営業所の所長が決めたルールだった。 ある入社したばかりの男性社員が、灯油のポリ缶を重そうに持っていた女性社員を見て代わりに持ってあげた時があった。 すると、奥の机でPCを打っていた所長が 「A君、それは女子社員の仕事だから、君は自分の仕事をしたまえ」と言われた。 つまり、雑用は全て女性がするべきものだということだ。それがたとえ重いものでも。 アキ子はガッカリした。 しかし、やっと入った会社だ。我慢しよう。 一週間が過ぎた頃、にこやかに微笑む所長にアキ子は聞かれた。 「君も入って一週間が過ぎたが、どうだね、ウチの会社は。忌憚ない感想を聞きたい。」とおっしゃった。 世間知らずだったアキ子は 「はい、この会社は男尊女卑の会社だと思います。」とお答えした。 その後、アキ子は社長に呼ばれた。 社長室でアキ子は 「君はウチの会社が男尊女卑だといったそうだが、本当かね?」 大きなお腹をさすりながら社長はアキ子に聞いてきた。 これはまずい。 本音を言ってはいけない会社なのだ。 アキ子は瞬間的にたくさんの思いが頭の中で巡った。 転職ばかりで親には心配を掛けてきた。 そしてやっと、世間的には良い会社に入れて親も喜んでいる。 もう少し我慢しよう。 アキ子は自分の言葉を撤回した。 社長に謝りその後も仕事を続ける事ができている。 あれから十数年が経った。 相変わらず掃除も灯油の補充も女性社員の仕事になっている。 そして今、「会社を良くするためのアンケート」が配られた。 忌憚ないご意見をお願いします。 その言葉はアキ子には関係のないことだった。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1747日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  忌憚のない意見とは何?(ショートショート)

リストラ(ショートショート)【音声と文章】

「あっ、こんにちは。」 マリは平静を装って佐藤さんに挨拶をした。 マリは書類が入った黒い鞄を左手に持ち、窓口にすぐに出せるようにと、書類一式をクリアファイルに入れそれを右手に持って歩いていた。 玄関の3段だけの階段に足を乗せる瞬間、階段を下りる佐藤さんに会ったのだ。 佐藤さんはマリの顔を見て一瞬、ギョッとした。 その顔を逃さなかったマリは身体を弓矢で射られたような痛みを感じた。 佐藤さんがそんな態度になるのには訳がある。一番会いたくない人に会ったのだから。 マリの会社は経営不振が続いていた。 複数の借入先の中で、メインバンクから「このままだとこれ以上、お宅には協力できません」と言われていた。 つまり、合わせて億を超える金額になる短期借入金と長期借入金を一気に返せと言うことだ。 それは会社が倒産することを意味する。 社長はそれだけは回避したいと考えた。 どうすればいいか。 ここまで読まれたあなたは、会社の経営を立て直すために一番に思い浮かぶことが何なのかお分かりだろう。 経営不振の対策で、一番簡単なのが「人件費の削減」である。 つまり、従業員の給料を減給したり、賞与を支給しなかったり、更にはリストラも考えられる。 それによって、毎月の給料は減る。給料が減るということはそれに伴う社会保険料の負担も少なくなる。 更に翌年度には雇用保険料・労働保険料も減る。 マリの会社では「業務改革委員会」が発足し、これからのことについて話し合いが連日行われた。 そして、役員報酬の10%カット、従業員は当分の間、昇給も賞与もなしにすることが決まった。 また、対外的なアピールのために毎年行っていた社員旅行も当分の間、中止することにした。 しかし、人件費のカットはそれだけではなかった。 今回、会社としては初めて「リストラ」をすることになったのだ。 そして、製造部門から数名、候補者が決まった。 会社はその数名と個別に面談を繰り返し、本人に納得してもらい、書面を取り交わして、「会社都合による解雇」ということで退職することになった。 その件を社長から聞かされたマリは心を痛めた。 リストラに選ばれた数名は、特に素行が悪い訳でもない。 たまたま、上層部が選んだだけだから。 マリからしたら、「あなたが手を挙げてお辞めになったら」と思える上司もいたが、それは口が裂けても言えない事だ。 人事課のマリはリストラに選ばれた方々の退職手続きをしたが、「自分はリストラされなくて申し訳ございません」という思いしかなかった。 マリはハローワークに書類の手続きに来た。 入り口までの階段を上がろうと足を上げた時にリストラされた佐藤さんに出くわしたのだ。 マリはこれまで、退職された元従業員の方に街中などで偶然お会いすることはあった。その時は普通に接することができたが、佐藤さんの場合、マリはどんな顔で挨拶をすればいいのかとっさの判断ができなかった。 佐藤さんもギクッとした態度になったのは仕方ないことだ。 しかも会った場所がハローワークだ。 佐藤さんは複数の求人票を片手に下を向きながら歩いていた。 一方マリは制服を着て、私は求職者ではないという雰囲気で闊歩していた。 同じ会社で一時期働いていた二人が再開したのがハローワークだった。 しかも相手の辞め方が通常ではなかったからマリは心臓をギュッと握られる思いがした。 私が残ってすみません。 その気持ちだった。 マリの会社は人件費の他に、交際費・諸会費・広告費・材料費・外注費・リース料・保険料などの見直しをした。 役員の生命保険は大きく変更した。 会議室は使い終わったら電気を消す。廊下は歩き終わったら電気を消す。 また、従業員用のお茶は低単価のものにし、白黒と比べて10倍の単価になるカラー印刷は極力しないと決め事をつくり、小さいことまで皆で徹底して経費削減に努めた。 一時期、どうしてもお金が足りなくて給料日に給料を支給できそうもない時があった。 その時は上層部の方々を呼び、給料日は3分の2だけ支給し、売上金が入金された後にあたる5日後に残りの3分の1を支給した時もあった。 更には販路を拡大して売り上げを伸ばし、数年後に会社は奇跡のV字回復を果たした。 数年後に創立記念祝賀会が久しぶりにホテルで行われた。 マリの襟元のピンクのフリルが華やいだ場にふさわしい。赤いリボンを胸につけた受付係のマリはお取引先の対応に追われていた。 式典開始まであと30分という時が一番忙しかった。 いつもより頬紅がピンク色で口角を上げ終始笑顔で対応していたマリは受付でごった返す中に、ある人物がその人波をチラリと見ながら通り過ぎる姿を見たような気がした。 それはあの佐藤さんに見えた。 今、会社が存続するのは在籍する者の努力だけではない。リストラされた数人の方々の犠牲の上に私たちの今の生活が成り立っているのだ。 私たちはそれを忘れないようにしようとマリは思った。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1746日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  リストラ(ショートショート)

暗闇の記憶(ショートショート)【音声と文章】

ノゾミは今月もまたこの作業に取り掛かった。 ここは2階の財務室。 机の上には財務専用のブラウン管のPCがある。隣にはA3まで印刷できる大型の複合機がある。 他には歴代の偉い方々の遺物が大きな机の上や開くこともない書棚の中に置かれている。 どうみても物置にしか見えないその部屋でノゾミはPCの電源を入れた。 電源を入れてから使えるまでには時間がかかる。 今どきこんな古いPCを使っているところがあるんだと、転職して来た時に驚いた。 PCが起動するまでの間、ノゾミは周りの整理を始めた。 ドットプリンターで出力された誰かの書類が新しく山積みされていた。 「も~!ここは物置じゃないんだから!」 ノゾミはその束を奥の方に押した。 PCの画面が明るくなった。 ノゾミはかなり厚みのあるキーボードを叩いた。それはしっかり押さないと押したことにならず入力ミスをおこす、かなり旧式の代物だ。 押す力が必要だから、このひと作業が終わった頃のノゾミの指は疲れ切ってしまうほどだ。 ノゾミは着ていたダウンコートの前のファスナーを首の上まであげ、寒さをしのいだ。 今は1月。 外は20㎝以上の積雪だが、この部屋に暖房は無い。 この部屋は会社には「無かったことにしたい」ものが置かれているから、暖房機器を置こうという配慮がされていない。 暗い部屋でPCの光が無表情なノゾミの顔に映る。 ノゾミは暗い気持ちで気乗りのしない毎月の作業を開始した。 ノゾミは1年前にこの会社に転職して来た。 「○○といえば△△株式会社」と言われるほどの、地元では有名な会社に入社することができ、ノゾミは嬉しかった。 家族も喜んでくれた。この間は、姉のご主人様から「いいところに入れたね。」と喜んでくれた。 ノゾミは希望を胸に入社した。 しかし、入社して3か月後にノゾミは天から地へ一気に突き落とされた感じを受けた。 「毎月、それをするのか。」 ノゾミが転職した会社は複数の金融機関から借り入れをしていた。 だから毎月、各金融機関に試算表と借入金の内訳書を提出している。 それはどこにでもありえることである。 それ自体は何でもない。 問題はその借入金の内訳である。 事務所は1階にあり、PCはそれぞれの机の上にある。普段は自分の机で仕事をしている。 しかし、ノゾミだけは月に1回、2階の財務室でその内訳書を作ることになった。 内訳書ができた。 ノゾミはそれを「提出用」「会社控用」「自分用」に3枚プリントする。 それが終わると内訳書の中の金額を動かしてまた3枚プリントする。 それが終わったら更にまた内訳書の金額を動かし3枚プリントする。 出力された書類をそれぞれ見直す。 先月分からのつながりに間違いはないかを入念にチェックする。 そして会社控えをファイリングする。 ファイルを開くその手がかじかんでファイルを落としそうになった。 「来月は指先が出ている手袋を持って来よう。」 ノゾミはPCの電源を落とした。 ダウンコートを着ているが真冬に暖房なしの部屋にいて、身体は芯から冷え切ってしまった。早くあの温かい1階に戻ろう。 ノゾミは薄い布をPCに掛けてその部屋を出た。 「こんなこと、いつまで続けなければいけないのだろうか。こんな会社だと分かっていたら絶対入っていなかったのに。」 ノゾミはそう思いながら部屋に鍵を掛けた。 その会社の借入金の内訳には実在する金融機関の他に「その他」という項目がありそこに金額が載っている。 そして決算書には「その他」は載っているのに各金融機関への毎月及び決算の時の内訳書には「その他」がない。 どういうことかというと、例えばA、B、C、3つの金融機関があるとする。 A金融機関に提出する内訳書には、「その他」の分をBで調整する。 Bに提出する分はCで調整し、Cに提出する分はAで調整する。 このように提出する先の金融機関に合わせて他の金融機関の残高を調整して「その他」を記載していない内訳書を作っているのである。 毎月の返済額を間違わないように、先月から今月にかけて、辻褄が合うように作る。 それを数年前から始めたために、今さら正しい内訳書を提出することができなくなっている。 その理由を言えないために会社は数年にわたりこの作業を続けていきたのである。 ノゾミが入社し、3か月が過ぎた頃にこの作業を社長から指示された。 恐らくそれまでの期間、ノゾミの人格を見ていたのだろう。 そして、この人なら大丈夫と信じて社長がノゾミにその作業の指示をしたのだろう。ノゾミが入社してからの3か月間はノゾミの上長がそれをされていたのを後で知った。 上長が長い時間、席を外している時があり、どうしたのかなと思っていたが、あの時、2階にいたのだと後で察した。 ノゾミは社長のお話をお聞きして、ショックだった。 毎月、不正行為をしなければいけない。 曲がったことが嫌いなノゾミにとってそれは苦痛でしかなかった。 辞めようかな そう思ったが、やっと就職できた会社である。 家族も姉弟も喜んでくれている。 しかも地元でも名の知れた会社だから、その会社を僅か3か月で辞めたという事実は、自分にとってプラスにはならない。 「あの会社を僅か3か月で辞めたということは、この人は何か問題があるのかもしれない。」と思われて、次の就職試験の時に不利になるかもしれない。 いろいろな思いがノゾミの脳内を去来した。 そしてノゾミは会社を辞めないと決めたのである。 心を「無」にしよう。家族の為、自分の生活のため。そう割り切って我慢することにした。 最初は、「社長からの指示で仕方なくやっているのだから、私には罪はない。」とノゾミは自分に言い聞かせていた。 しかし、月日を重ねる内に、これは会社の指示であっても、それを拒否しなかった自分に罪があるのではないかと思うようになってきた。 毎月、自分との対話をその部屋でしていた。辞めるなら早い方がいい。でも、それを言い出す勇気がない。 ずるずると月日は流れ、2年目が過ぎた頃、ノゾミは手術を伴う入院をすることになった。 後で考えると、それはノゾミにとって希望の光だった。 そして退院して1か月が過ぎた頃に「体調がどうしても思わしくないので」という理由でノゾミは会社を辞めた。 あれから10回目の冬を迎えた。 窓の外には車にこんもり積もった雪が見える。 今の勤務先ではあのような不正はない。 ノゾミは正しいことを正しくできる今に感謝している。 あの会社は 今は存在しない。 ノゾミにとってあの数年間は暗闇の記憶である。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1745日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  暗闇の記憶(ショートショート)

波打つ書類~パワハラ~(ショートショート)【音声と文章】

「あ!危ない!」 のり子が水を飲もうとタンブラーに左手を伸ばした時、服の袖が左に置いてあった書類に引っかかり、その書類がずれて、つい先ほどたっぷりな水を入れてきたばかりのステンレス製のタンブラーが傾いた。 書斎の床はあっという間に水浸しになった。 机の引き出しから床へポタポタと水がしたたる。 机の上に置いていた書類が水にぬれて波立ってしまった。 ピンクの付箋は触れたところだけ色が濃い。 靴下にも少しついて足が冷たい。 雑巾を持って来て床や引き出しを拭く。 想像以上に濡れてしまった。 大事なデータが入ったSSDには水がかからなかったのは不幸中の幸いだった。 気を付けよう。 床を拭きながらのり子はふと、20年前の美智子さんのことを思い出していた。 当時、勤めていた会社には女性4人、男性1人が勤務していた。 のり子たち女性4人はとても仲が良かった。 その中でちょっとふくよかで、ころころと笑う美智子さんがいた。 彼女はのり子より2年遅くその会社に転職してきた。 明るい性格の彼女はすぐに職場の雰囲気に慣れていった。 ある日、彼女はトイレに頻繁に行っていた。 お腹が弱いのり子は美智子さんのことを案じた。 「そういう日もあるよね。」 そう思っていた。 しかし、何度目かのトイレから戻った彼女に社長は 「トイレは〇回までにしてください。」 と苦々しい顔でおっしゃった。 私たち女性は耳を疑った。 人間だもの、体調が思わしくない日もあるでしょう。 特に女性は毎月、体調の変化があるのに。 社長の心無い言葉に私たちはがっかりした。 その後、なぜか社長は美智子さんに事あるごとに小言を言うようになった。 それは私たちからするとどうでもいいようなことが多かった。 鼻をかむ時はもっと静かに。 付箋の貼り方が雑。 あまり笑わないように。 こんな、どうでもいいことを社長は美智子さんに何度も言っていた。 社長だったら何を言っても許されるのか。 あの頃、男性社員が一人いた。 女性陣からみると、彼こそ社長から注意を受けるべき人物だと思う。 彼は居眠りの常習犯だ。 あなたは一般的な事務椅子の背もたれが、45度近く右に曲がったのを見たことがあるだろうか。 彼は背もたれによりかかりいつも居眠りをしていた。 巨体の彼を支えていた背もたれは、身体をねじって寝ているためにどんどん曲がって行って、どうしたらそうなるのかと思うほど、椅子の背もたれは45度近く右に曲がってしまったのだ。 普通の人だったら彼を注意してあたり前と思う。 女性社員の鼻をかむ音を注意する、こそくな社長はどうしたか。 「最近飲んでいる薬に、眠くなるものが入っていると言っていたなぁ。」 と誰に言うでもなく、私たちに聞こえるようにつぶやき、そして胸に差していた櫛を出して寝ている彼の後ろに立ち、寝ぐせで絡まっている彼の髪をすいた。 のり子たちはそんな社長と息子を心から軽蔑していた。 当時、女性社員だけで近くの喫茶店に行き、いつも社長や息子へのうっぷんを晴らしていた。 ある日、美智子さんがPCの近くに置いていた飲み物を倒し、PCを交換しなければならなくなった。 誰にでも起こりえる事故である。 美智子さんは平謝りしたが社長は美智子さんを強く叱責した。 (あんたの息子はどうなのよ。) のり子たちの心の中は真っ暗だった。 その後、美智子さんは社長からの執拗な言葉に耐えられなくなり辞めていった。 その後、一人、また一人と辞めて行き、のり子が最後に辞めてその事務所のメンバーは一新された。 その後、仲良し4人が集まって近況を報告しあった。 美智子さんは出逢った当時と同じくコロコロと笑う素敵な女性に戻っていた。 テーブルの脇には水で濡れて凸凹になった用紙がたくさんある。 また印刷し直せば済むこと。 美智子さんたち、どうしているかな? また会いたいな。 乾ききっていない波打つ用紙を眺めながら のり子は美智子さんたちと過ごした日々を思い出していた。 ※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1743日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  波打つ書類~パワハラ~(ショートショート)

「私のこと好き?」(ショートショート)【音声と文章】

※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1722日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad  あなた:「俺は〇〇(私)が一番好きだ」 わたし:「何言ってんの?!」 一升瓶の半分が無くなり、ろれつが回らなくなったあなたは必ずそう言う。 私は言われてまんざらでもないが、これ以上黙っていたら、あなたは何を言い出すか分からない地雷の様な人。 この間なんて、酔ったあなたは二人にしか知りえない事を平気で口に出していた。 その時、周りには誰もいなかったのが幸いだった。もしも思春期の娘たちに聞かれたらと思うとヒヤリとする。 白のシャツがお風呂上がりで少し汗ばんでいる。 あなたは背中を丸めて椅子に崩れるように座り、飲んでいるのか寝てるのか分からない。 食べるつもりで自分でよそったご飯には箸が2本、立っているだけ。 そんな不作法は娘たちの立派な反面教師になっていた。 当時のことを振り返って娘たちは口々に言う。 「あの頃、お父さんとお母さんののろけ話を聞かされていたこっちの身にもなってよ。」 私たち二人のやりとりが思春期の娘たちには、流行りのラブストーリーのドラマを見るよりもドキドキしていたのだと、今になって知る。 「俺は〇〇(私)が一番好きだ」 この言葉は 「俺のこと好き?」 と暗に聞いていたと思う。 その答え、言わなくても分かってるでしょ? あなたの気持ちは知っていた。 だからあえて私は言わなかった。 一本の白い煙がまっすぐ天井に向かって上っていく。 壁に飾った複数の写真の中の一枚を見上げて私は問う。 今でも「私のこと好き?」 今回は、三羽 烏さんhttps://note.com/miwa_karasu の企画に参加させていただきました。 ↓ https://note.com/miwa_karasu/n/n286e4b01811c 三羽さん、素敵な企画をありがとうございます!

叶わぬ思い(ショートショート)【音声と文章】

※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1721日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad  おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 叶わぬ思い(ショートショート) をお伝えいたします。 「大好きです」 そう言っても大丈夫な関係 それを言っても絶対 それ以上進展する心配がない相手だから堂々と言える 「大好きです」 奥歯まで歯並びの良い真っ白な歯が見えるほど大きな口を開けて君は笑う それに合わせて僕も笑う 君は僕の本当の気持ちを知らない 知っていたらそんな無防備な笑い方はできないはずだ 僕は君の笑顔を見ることができて幸せだと思う そんな君をずっと見ていたい 君を困らせてはいけない 「大好きです」 本心なのになぜか笑いに変えられてしまう言葉 まぁいいさ これが僕の本当の気持ちなんだから 今回は 叶わぬ思い(ショートショート) をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

謎の10連休(ショートショート)【音声と文章】

※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1720日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad  おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 謎の10連休(ショートショート) をお伝えいたします。 今回の年末年始は12月30日から10日間とします 年末年始休暇まであと2週間という時に会社の代表から全従業員へ向けて休暇の件でメールが届いた。 えっ! ウソ! 今日は4月1日? いや、外は窓の周りに雪がこびりついている。 これは本当に社長からのメールなのかと真っ先に疑った。 しかし、どうやら本当らしい。 「海外旅行に行ける!」 どうせ行けないのに、そんなことを思って見ていたら、自然に顔がにやけてきた。 しかし、メールを読み進めて行く内にガッカリしてきた。 連休の真ん中で、新年会がホテルで行われる。 特に参加できない人は社長へ理由を提出すること。当日は出勤扱いはしないとのことだ。 つまり、出勤扱いではないが絶対に参加しないといけないという意味だ。 これを10連休と言えるのか? 社外関係者宛ての年末年始休暇のお知らせが配布された。 そこには10連休の大きな文字が記されていた。 それを手渡しすると必ず先方は 「10連休ですか!凄いですねぇ!」と驚く。 実際は、真ん中で強制的に出席する新年会がある、とは、恥ずかしくて言えない。 長期休暇は嬉しいが、素直に喜べない。 外部に対して嘘をついているような後ろめたさを感じるからだ。 果たしてこれを10連休と言えるのだろうか。 新年会はホテルで盛大に行われた。 座るテーブルは入り口でくじを引き決まる形だった。 僕は社長のテーブルの隣のテーブルだった。 乾杯の挨拶が行われ、新年会は始まった。 僕は右手にビール瓶を持ちながら社長の席に近づいた。 社長に新年の挨拶を再びして社長のグラスにビールを注いだ。 大学時代ラグビー部だった社長は今はその面影もなく、タダの太めで体格がいい人になっている。 しかし、威圧感は十分あり、細めの僕が傍に立つと、獲物に睨まれた小鹿のように感じた。 社長に挨拶を終え、自分のテーブルに座った。 テーブルには前菜として「赤魚茸みそ焼き」と「紅白なます」が運ばれてきた。 僕はのんびりとそれを味わった。 その後、僕は同僚の高橋のところに行き長々と話をした。 高橋は一瞬小声で 「実は俺、今日、来たくなかったんだ。」と言っていた。 それを聞いた周りの人も 「俺もだ」「そうそう」 と口々に言っていた。 新年会には随分とお金をかけているというのが伝わってくる。 こんなことするよりも、僕たちのボーナスを多くしてくれた方が嬉しいのにと、口々に言い合った。 何はともあれ、義務の新年会はお開きになった。 休みの半分、あとどう過ごそうか。 独身の僕はなんでもできる。 どこでも行ける。 自由なのにその自由を満喫するすべを知らない。 こんなに長く休めるのに。 どうしようか? 僕はとりあえず身体を動かしてみることに決め、ジムに通い始めた。 入り口で手続きを済ませトレーニングルームをぐるりと見回す。 ランニングの機械で耳にイヤホンをし、長い髪を高い位置に結んだ女性がいた。 僕はそれから毎日そのジムに通うようになった。 謎の10連休は新しい僕の始まりのきっかけになった。 今回は 謎の10連休(ショートショート) をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

覚悟ができなかった(ショートショート)【音声と文章】

※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1716日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad  おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 覚悟ができなかった(ショートショート) をお伝えいたします。 これまでたくさんの悪さをしてきた俺だが、最期に謝りたい人が一人だけいる。 戸籍上未婚の俺だが、実は一度、結婚式を挙げている。 彼女とはお見合いだった。 小柄でほっそりした彼女は、笑うと歯並びのいい白い歯が印象的で彼女が人差し指と中指と薬指で髪をかき上げるしぐさに俺は毎回、心臓がドクンとしていた。 彼女はそれまで特定の人と付き合ったことがなく、世間知らずなところがあった。 彼女は初めてのデートの日、俺が運転する車に乗る時に、後部座席に乗ろうとしたほどだ。 彼女はいつも上質な服装をしていて、服装に無頓着な俺でも彼女の服は確かなものだと何となく感じていた。 俺たちはデート初日から意気投合し、「結婚」に向かって話が動き出した。 世間知らずな彼女は、俺の運転で行く海や山に毎回喜んでくれた。 俺は子犬のようにはしゃぐ彼女を見るのが楽しくて毎週、朝7時には彼女の家に車で行き、夜10時頃までデートを重ねた。 出逢って1か月後に、運転しながら彼女の右手を優しく握った。 彼女は最初驚いて手を引きそうになったが、その内、指をふんわり広げて俺の指に絡ませてきた。 「実は、こんなことしてみたかったの。」と彼女は小悪魔のように微笑み、挑むように俺の目の奥を覗き込んでくる。 普段の清楚な彼女からの変わりように俺の心がぎゅっと掴まれてしまった瞬間である。 そこに彼女の覚悟を感じた。 そして、話はとんとん拍子に進み、出会って3か月後に挙式ということになった。 毎週俺たちは逢瀬を重ねた。 しかし、挙式の日が近づくにつれて俺は胸の中がモヤモヤしてきた。 彼女を嫌いになったわけではない。むしろ出会う度に新しい発見がある彼女にノックアウトされている自分がいた。 「俺が結婚する」「どんなことがあっても俺が彼女を守っていく」 結婚とは、楽しいことばかりではなく、「覚悟」が必要なのだと段々分かってきたのだ。 自分にはその覚悟があるのだろうか。 彼女を幸せにすることが俺にはできるだろうか。 今の会社は転職してまだ2年も経っていない。安月給の今の仕事を果たして続けて行けるだろうか。 これまでのように「何となく気に入らないから」と転職を繰り返してきた俺だが、もうそんなことは言っていられなくなる。 自分にはその覚悟があるのか。 上司に叱られた日には「こんな会社、辞めてやる!」と心の中で叫んでいる自分に、「本当にこのまま結婚していいのか」と自分に問いかける毎日だった。 「結婚」を軽く見ていた自分はこのまま流されてしまうことが怖くなった。 明日が挙式という夕方に俺は彼女に電話した。 「俺はこれから旅に出る。探さないでくれ。」 彼女はとても驚いていた。「とにかく話を聞きたい。」と彼女から言われ、俺の車で真っ暗な山の中に車を停め、話をした。 そして彼女が可哀そうになり、明日の結婚式と結婚披露宴には出席すると彼女に約束した。 翌日俺は時間通りに式場に出向いた。 何事もなかったようにその日の式次第は進んだ。 俺は得意の笑顔を招待客に振りまいた。 彼女も人生で一番輝いていた。 しかし、俺の心は晴れなかった。 結婚披露宴が終わり、友人たちとの二次会の時に、楽しそうに友達と話す彼女の耳元で俺は小さく囁いた。 「俺が今、どんな気持ちでいるか、お前は分かるか!」 彼女は口角をこれ以上上げられないというほどの笑顔だったが、俺の言葉で一瞬、凍り付いたような顔になり、俺の目の奥を覗き込んだ。 そして、「おめでとう!」という友人たちに再び笑顔を振りまいていたね。 そして俺たちは新婚旅行に出かけた。 入籍は帰国後にするということで日本を離れた。 場所が変われば気分も晴れるだろうと思ったが、俺の気持ちは真っ暗だった。高い金を出して外国に観光に来ている状態は俺には「地獄」にしか思えなかった。 帰国後、彼女と一緒に住み始めたがその内俺は家には帰らなくなった。 「結婚」は俺にはまだ覚悟ができていない。 もう、偽りの生活はできない。 俺は婿入り道具を大型トラックに乗せて引き上げた。 結婚式と結婚披露宴を行ったが、役所には結婚届を出さなかったから、二人とも戸籍上は「未婚」のままだった。彼女に「バツ」が付かなかったのがもしかしたら不幸中の幸いだったのかもしれない。 その後、一度だけ彼女から「会いたい」と連絡が来て会った。 その時も彼女を愛してはいたが、自分には戻る覚悟はなかった。 同じ市内に住んでいては未練が残ると思い、俺はすぐに地元を離れ、県外の工場に住み込みで働きだした。 あれから30年以上が経った。 彼女がその後、どうしているか俺には分からない。 点滴の液がポタッポタッと落ちる。 看護師さんの足音がばたばたと足早になる。 あの時「覚悟」をしていたら、俺の人生はどうなっていたのだろうか。 やがて、雑然とした音が聞こえなくなり真っ白な世界がふわぁっと俺を包んだ。 脳裏の中に歯並びの良い真っ白な歯を見せて笑う彼女の笑顔が一瞬浮かび、そして消えた。 今回は 覚悟ができなかった(ショートショート) をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

みんなの母さん(ショートショート)【音声と文章】

※note毎日連続投稿1800日をコミット中! 1707日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。どちらでも数分で楽しめます。#ad  おはようございます。 山田ゆりです。 今回は みんなの母さん(ショートショート) をお伝えいたします。 あのね、僕、今日がんばったんだよ。 ドリルを一人で3ページもやったんだよ。 いつもはお母さんが来てからするよね。 でも今日はひとりで頑張ってみたんだ。 それはやりたくてやったんじゃない。僕はお母さんに「よくやったね」って言われたい、そう思っただけ。 ガラガラと斜め向かいの雑貨屋さんのシャッターを下ろす音がする。ガチャッと床について鍵を掛ける音が響く。 お母さん、早く帰ってこないかな。 お母さんは看護師さんだ。 困っている人達のためにがんばるお仕事だってお母さんは言っている。 お母さんと一緒に見ているいつもの番組が始まったがお母さんは帰ってこない。 テレビの中ではゲラゲラ笑うお客さんでいっぱいだが、お母さんがいないとそれも全然楽しくない。 いつ、帰って来るんだろう。 窓を開けて下を見る。 コンビニは目がチカチカするくらいの明るさで夜になったことを教えている。 それとは対照的に、周りの商店街はシャッターが下り、今日はもう終わりだよって僕に教えているみたいだ。 お母さんはいつもあの角を曲がったところから見える。 頬を暗闇の手がつかむ。下に引き落とされそうな気がして僕は慌てて窓を閉める。 お母さん、早く帰ってきて。 「ドリル、がんばったね」って褒めてほしいだけ。 僕は夕飯を一人で食べてお母さんの帰りを待った。 そして、待ちくたびれて布団に入った。 玄関のドアがカチャリと音を立てた。 僕は布団から飛び起き玄関に向かった。 そこにいつものお母さんが立っていた。 コンビニの袋を持ったお母さんの顔は最初、ほっぺたがへっこんで僕が知っているお母さんではなく、胸のあたりがドキッとした。 でも、僕を見るとすぐにニッコリしてくれた。 僕はドリルのことを伝えたいだけだったがお母さんの顔を見たらどうでもよくなった。 僕は両手を広げてお母さんに向かって走った。 お母さんはコンビニの袋を床に置いて床にひざをついて僕を受け止めてくれた。 「今日も僕、一人でお留守番できたんだ。偉いでしょ。」 僕は顔を見上げてお母さんに早口で言った。 「うん、うん。そうなの。がんばったねぇ。」 いつものお母さんの顔がそこにあった。 僕のお母さんは看護師さん。 困っている人のお役に立つお仕事をしているとお母さんは言っている。 今日も急患があったそうだ。 お母さんのお仕事はみんなのためになっている。そんなお母さんを僕は誇りに思う。 でも、時々、「みんなの」お母さんではなく「僕だけの」お母さんでいて欲しいと思う時があるんだ。 僕がもっと大人にならなきゃいけない。もっと僕は強くならなきゃいけないんだ。 大きくなったら僕がお母さんを守ってあげたい。 でも、甘えたい時もあるんだ。 その大きな手で僕の頭をよしよししてほしいと思う時もあるんだ。 でも、それを言ったらお母さんを困らせるのは分かっているから言わない。 でも、僕だけのお母さんでいて欲しいのはほんとなんだ。 今回は みんなの母さん(ショートショート) をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

苦手意識は幼少期の出来事が起因している(ショートショート)【音声と文章】

※note毎日連続投稿1700日をコミット中! 1623日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも数分で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 苦手意識は幼少期の出来事が起因している(ショートショート) をお伝えいたします。 「今、おじいちゃんからもらったお金、よこせ!」 その人は鬼のような顔でテツコをにらんだ。 保育園児のテツコは目に涙を溜めながら、右手に握りしめていた五円玉をその人に渡した。 開いた掌は五円玉の穴の模様がかすかに見えた。 テツコはつい今しがた、おじいちゃんから手招きされて木の陰で五円玉をもらったのだ。 おじいちゃんは厳格な人だったが孫にはいつも優しかった。 おじいちゃんはいつもあの人がいないところでお金をくれた。 テツコは嬉しそうに家に戻る。 おじいちゃんはそのまま田んぼに向かった。 するとその人は鬼のような形相でテツコの前に立ちはだかった。 そして、おじいちゃんからもらったお金はその人によってとりあげられ、その人の薄汚れたモンペのポケットに移った。 おじいちゃんはその人がそんなことをしているのは知っていたからこそ、その人に隠れて孫のテツコ達にお金を上げていたのだ。 食事中にテツコは悔しくなって泣きながら言った。 「おじいちゃんからもらったお金、おばあちゃんに盗られた~。えーん。」 一瞬、しーんとなる。 「そりゃぁ、おじいちゃんのお金は私のもんだからだよ!」 強気なその人は恥ずかしくもなく当たり前のように言った。 母も、お婿さんである父も、何も言わない。 ** テツコの本当のおばあちゃんは身体の弱い人だった。 何度も妊娠し、7~8人産んだが、おっぱいがうまく出ない人だった。 だから赤ちゃんはほとんど数日後に亡くなったそうだ。 ご近所でたまたま出産したばかりの人がいらして、「もらい乳」でテツコの母と伯母の二人は生き延びたのだそうだ。 そして、母が10代の頃に病弱なおばあちゃんは亡くなった。 その後、母と伯母が家のことをしながら家業の農作業も手伝っていた。 祖父は当時、何町(ちょう)もの田んぼを持っていた。 1町(ちょう)はおそよ100m×100mで、野球のグラウンド部分くらいの広さと考えてもいいかもしれない。 当時の我が家は大農家の部類に入っていた。 男手がいなかったから数人の人を雇って稲作を続けていた。 母と伯母は家事と農作業で明け暮れる毎日だった。 やがて跡取りの母が父をお婿さんに迎えることになった。 それと前後して祖父は「その人」と再婚した。 それはなぜかと言うと、母が今後、赤ちゃんを産み育てるようになれば、家のことをする人が必要だからと言う理由からだった。 その人は色白できれいな顔立ちで、微笑むと女優さんのようだった。 しかし、その人の心の中は、美しい顔とは全く逆で鬼のような性格だった。 人を疑い、ねたみ、相手を悪く思う人だった。 しかし、とても愛想がいい人で口から出てくる流暢な言葉は、その人の本性を知らない人を圧倒させるものがあった。 その人は離婚歴があった。 生まれた子は何歳になっていたのか何人いたのかは分からないが、実家の方に置いてきたとテツコは母から聞いたことがある。 その人は、顔は綺麗だが家事が全くダメな人だった。 家の片づけもできない人で、その人が来てから家の中はゴミ屋敷に変わっていった。 やがて母が妊娠し、テツコの姉が生まれた。 しかし、ここで番狂わせが起こった。 テツコの姉が産まれたあと、その人が妊娠し出産したのだ。 そしてその一年後にテツコが産まれ、更に二年後に弟が生まれた。 つまり、当時、立て続けに4人産まれたのだ。その人の子どもはテツコにとって一歳年上の叔父さんにあたることになる。 その人はもともと家事も片づけもほとんどしない人だったが、出産をして更にしなくなった。 嫌々で家事をする程度の人だった。 気にくわないことがあるとすぐに大声で叫ぶ人で、華奢な体つきなのに声は地獄の底から湧いてくるようなドスがきいていた。 そんな人の下で育った叔父もその人と同じようにすぐキレ、大声を出す人に育った。 叔父の出生で跡取りではなくなったテツコの父と母は家を出ることを決断した。 そしてテツコたちは同じ町内の借家で暮らし始めた。 やがて祖父が92歳で天寿を全うした。 祖父が持っていた田んぼの内、数枚を婿養子だった父に相続してくれた。 残りは全て祖父の子どもである叔父さんのモノになり、それらは一つ残らず売り払ってしまった。 その人は年をとり、どんどん痩せていった。 歳をとりながらも人様にご迷惑をかけ続ける人だった。 その人は全く片付けないようになり、家の中は足の踏み場もないほどになっていった。 「あの人の売掛をなかなか精算してくれない」と町内のお店から母に苦情が来た。 ・広い敷地内の草がボウボウで何とかしてほしい。 ・使わなくなったテレビやPC、ゲーム機を庭に山積みに放置していて、とても見苦しいので何とかしてほしい。 ・町会費を何年も滞納している。 それらは叔父さんがするべきことなのだが、町内の人が苦情をその人の家に言いに行くと逆に怒鳴られてしまう。 だから、テツコの母に苦情がいつも来ていた。 「あの人が死んだ。」 テツコの母が嬉しそうにテツコに話してきた。 ある年の8月、布団の中でその人は亡くなっていた。 暑い日が連日続いていた頃だった。 「熱中症」と言う言葉は当時なかったが、その人は今でいう熱中症で亡くなったのだ。 夜勤の息子と高齢の母親(その人)は、同じ屋根の下で暮らしているのに、顔を合わさない日もあり、息子が母親の死に気づいた時は既に亡くなっていた。 テツコは流暢に話をする人が苦手でそういう人からずっと避けてきた。 話しがうまい人には気を付けないといけない。 その観念がずっとあった。 その考えに囚われているのはなぜなのかずっと分からなかった。 しかし、その人との思い出からきているのだと、あの頃のことを振り返ってみてテツコは気づいた。 人の性格は幼少期の出来事が起因していることが多いと感じる。 今回は 苦手意識は幼少期の出来事が起因している(ショートショート) をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+

死角のポスト(ショートショート)【音声と文章】

※note毎日連続投稿1616日をコミット中! 1616日目コミット達成!! ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む、 どちらでも短時間で楽しめます。 おはようございます。 山田ゆりです。 今回は 死角のポスト(ショートショート) をお伝えいたします。 そこはなぜか事故の多い場所だった。 T字路になっていて少し上り坂になっている。 右側は駄菓屋さんで家の角には小さな郵便ポストが壁にあった。 そのポストが死角になり右側からの車を見逃すことが無きにしもあらずだった。 だから上り坂でアクセルを少しだけ踏んで、上体を前のめりにして左右の確認をしなければならない。 私は今朝も時間が差し迫っていてそのT字路で左右を確認していた。 T字路のぶつかったところにはミラーが二つ設置されている。 たかがミラーだが、その存在のありがたさは毎回感じている。 二つのミラーで車が来ないのを確認し、上体を前のめりにして車を静かに発進させハンドルを右に切ろうとした。 しかし、何と、右側から車が1台すぐ目の前まで来ていた。 おかしい。 確かにちゃんと確認したのに。 次の瞬間、視界は寸断され私は真っ白な世界へ入った。 一瞬、赤い靴が見えたような気がした。 *** コンビニやスーパーがない小さな街にヒロシは住んでいた。 ひとり娘のユイは今年、小学校にあがり、お友達も少しずつ増えてきて楽しいと話してくれていた。 そんな娘を妻と一緒に目を細めながら見ていた。 その日、郵便を出す用事があった。 それほど急ぎではないが、それでも気が付いた時に出さないとうっかり忘れてしまうからすぐに出そうと思った。 郵便を出しに行ってくると言ったら 「ユイがポストに入れたい!」と言った。 じゃぁ、一緒に行こうかということになりその街に一つしかないポストへ車で出かけた。 ポストは駄菓子屋さんのお店の角にあった。 車を角直前に止めるのは危ないから、角よりずっと手前で止めた。 そして、郵便物を持ったユイが車からでた。 「気を付けていってくるんだよ。」 「うん!分かった!」 ユイは嬉しそうに最近できるようになったスキップをしながらポストに向かった。 レースのついた靴下と赤い靴が小刻みに動いていた。 これまで何度も私たちは一緒にこのポストにやってきていた。 今までは郵便を持ったユイを抱え上げて、ユイがポストに入れていた。 ポストの真下には大きな岩があり、今はその岩に登ると楽々ポストの投入口に手が届くようになった。 我が子の成長が嬉しい。 来年の春にはユイもお姉ちゃんになる。 そんなことを考えていたら、ポストの視線の向こうに左から黒い乗用車が見えた。 そこはT字路になっている。 その車はあたりを見回しながら右折しようとしているのが分かった。 その瞬間、ヒロシの後ろから白い車がやってきてグゥ~ンとヒロシの車を追い越した。 その白い車は追い越した勢いのままでT字路に直進し、右折した黒の車と衝突した。 ぶつかったはずみで白い車が大きく飛ばされポストめがけてぶつかった。 ユイ! ヒロシは慌てて車から降りた。 ユイは白い車に飛ばされ壁にぶつかりぐったりしていた。 もう少しで入るところだった郵便物はポストの下に落ちていた。 右折しようとした車はポストが死角になっていた。 さらにポストのところに人がいたこと。 その向こうに車が止まっていた事も悪条件が重なっていた。 ポストがそこになければ事故は防げたかもしれない。 ヒロシはその後、その街をあとにした。 今でもそのT字路は事故多発地帯とされている。 今回は 死角のポスト(ショートショート) をお伝えいたしました。 本日も、最後までお聴きくださり ありがとうございました。  ちょっとした勇気が世界を変えます。 今日も素敵な一日をお過ごし下さい。 山田ゆりでした。 ◆◆ アファメーション ◆◆ .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。.。*゚+.*.。 私は愛されています 大きな愛で包まれています 失敗しても ご迷惑をおかけしても どんな時でも 愛されています .。*゚+.*.。.。*゚+.*.。゚+..。*゚+