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去年の花火は綺麗だった

花火

大きな音を聞いたわけでも、嬉々としてカメラを構えたわけでもなく。“上から見るか下から見るか”そんな花火な話でもなく。というか寧ろ花火のような熱を帯びた眩しい“何か”だった。過ぎた今振り返ってみても、どうにも上手い説明は出来ないでいる。

夏の香り

若さ故にどうにも毎日“磯臭い”。桃色の葉が木々を離れて若草で満たされる季節。そんな日々を容赦なく照らし続ける陽射し。時に厳しく(基本厳しい)、時に穏やかな陽射し。

あぁ、そうだね。やっぱり夏はこうでないと。澄んだ青に欲しいのは君だけ、そう。アナタだけ。

四季折々

どの季節が好きかと言われれば、どうも毎回返答に困るし、時には答えが変わってしまう。それぞれの良さと、眩しさと個性と。似合ってしまう音楽と、固結びした思い出。今更紐解けもしないけど、そっとしておこうと思う結び目。気づけば365日かけて結び目でいっぱいになる。あの日あの時を思い出して。

あぁ、そうだね。この曲沢山聴いたもんね。こんなに苦しい曲になるなんて、きっとあの日は考えてなかったね。

夏が好きなんだけど

一番好きなのは夏。眩しい青。容赦のない陽射し。渇きに耐え、走り抜く理由はその先に得る何かをみたいから。そうは言っても季節は移ろい、時は流れる。ただベットの上で羊を数えて夜を噛み締めても、朝から晩まで何かの為に尽くしてみても。終わりが突然来ない限りは、何食わぬ顔で朝日が顔を出す。

“あと何日続くんだよ。”

終わりがあると知ってはいても、終わらせるのは私達じゃない。誰かの掌の上で何も知らずに踊りながら次の季節を待っている。

『秋を寂しいと感じるのは何故か』

夏と比べて、どうも寂しい秋の雰囲気。アナタは説明出来ますか。

“夏の日差しが弱まるように心に影がさすから”

私はこれが今のところ、一番しっくりきています。竹内まりやさんのSeptember 。あれだけ眩しく、青々していた夏が。秋と出会って振り返ると急にセピア色になる。

“セピア色の過去達”を可能な限り掻き集めて、目の届くところに飾っている。「あの日が無ければ今は無いでしょ」そう言って上書きせずにタイトルをつけて、“名前をつけて保存”する。そうして毎年、懐かしいのか恋しいのか、捨てきれない日々を振り返っては、セピア色を眺めている。

しょうがない。綺麗だったんだ。初めて見た景色だったんだ。国語の授業で出逢った夏目漱石。あれからことある事に彼を恨んでいる。“月が綺麗だ”、“星が綺麗だ”、“虹が綺麗だ”、“夕日が綺麗だ”。彼もまた私の好きな空と手を取り、時に私を苦しめる。

過去一感動した景色、二度と忘れない、忘れたくない景色に私は

“この夏は私の知らない味がした”

と名前をつけて保存している。


願い事

また逢おうねが叶わない。いつでも逢えるが突然終わる。急に明日が怖くなる。どうして昨日が終わったのかと悔やむ夜がやってくる。今もそしてこれからも、私が忘れない限り、片道切符の思いは変わらず褪せずに遺るだろう。

私だけでも忘れない為に、“好きを駆使して”最大限に抗うだろう。過去に囚われた私の、明日を笑顔で迎える為の答え。

あの日眺めた花の名前も

あえて頼んだカクテルも

わざと聞こえないフリをした一言も

あの日眺めた空の色も

全部私が憶えておく為の布石。

「この花好きなんだよね」

私が好きな花知ってるよね。私が好きな季節も、好きなお酒も知ってるよね。

『貴女らしいね』って笑ってくれればいいのにな。

覚えておきたい、忘れたくない私は多分。

私はきっと、去年の花火に囚われたまま。

思い出は奇麗だ。


君は気づいてくれるかな


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