推し、燃ゆ 感想
この記事は、宇佐見 りん女史著の小説、「推し、燃ゆ」に対する私の感想をつづったものだ。
この記事の受け取り手はすでにこの本を読んでいるものだという前提で話を進めているので、未読の人はここでブラウザバックをしてほしい。
あかりは、家でも、学校でも、バイト先でも馴染めていなかった。別に意地悪されてたわけではなかった。むしろ、姉をはじめとした家族にも、バイト先の人も、先生も、あかりのことは気遣っていてくれていたように思う。けれど、その分、あかりは何者にもなれずにいた。
ただ、見えない膜のようなものが、そこにはあって、気味悪さを生み出していたのだと思う。
でも、真幸とは違った。
あかりと真幸の間には壁があった。見えない膜より、もっと確実な隔たり。その壁こそがあかりにあかりらしく推しへの愛を持たせることができたのだ。
あかりは彼との友好関係を重視するというより、彼のことを壁の向こうから可愛がりたいようなファンだった。彼のことを本当の意味で何もかもを知ることはできない代わりに、あかりなりに情報をまとめて、頑張って覚えて、知ろうと努めた。
あかり本人は、あかりのまじめさを否定していたけれど、まじめでなくてもとびきり彼女は誠実だった。熱心な推し活もそうだし、インターネット掲示板での推しの蔑称や住人の傾向を把握してしまうのも、そういう誠実さの一部なのだと思う。
あかりの真幸への思いは本物だった。真幸があかりを本物にしてくれたから。
この本の中のあかりから真幸への気持ちが書かれている表現が、私は好きだ。
真幸を推し始めた時のときめき。 スキャンダルに対する不安。 解散への虚しさ。
こうして書き並べると、全部、あかりを本物にしてくれた感情なんだと気づかされる。
この本を読んで、あかりの推し活の行く末を見届けた人の中には、アイドルなんかに肩入れするからこんなに惨めなことになるんだ、と思う人だって、別に少なくないと思う。
けれど、私はそうは思わなかった。
私はこの本をあかりの成長物語として解釈している。
彼女は推しにやっぱりきっとすべてを捧げたのだけれど、それでも推しが彼女を本物にした、というのは事実で、ぬぐい切れない推しへの思いを背負って四つん這いになってでも、それでも生きていくことにしたのだ。
人を愛する人は、美しくて強い。これが私がこの本を読んだ感想である。
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