見出し画像

私の明日はどっちだ?1-③

ちょっとした読み物を書いています。立ち読み気分でお気軽にどうぞ。

1-①②はこちらから。

ああ器用な人になりたい

一身上の都合で職を失ってから、はや数ヶ月。ひとり暮らしの身の上では、さっさと仕事を探さなければ食べていくこともままならない。とはいえ若さなし、資格なし、誇れるキャリアなし。なんとか綱渡りで生きてきた自分に、堂々と飛び込んでいく土壌がそうそうあるわけもなかった。

かろうじて挑戦してみようか、と思えた求人にも…あっけなく落ちた。きれいなまま戻ってきた履歴書の、個人情報らしき部分を細かく破く。『薮 田信 子 4 9 歳 配偶者 な し…』落ち込むというより、もはや空っぽという方が今の自分には合っていた。

さて。これからどうしよう。

勤めていた頃、朝の通勤途中で、周りの家を見ては(ああ、もう自分の家を持つということはないんだな)と思い、ビュンビュン通り過ぎていく車を見ては、(車を持つこともないな)と思い、多くの人たちが普通にできていることを、自分はなぜできないんだろうと思ったりもした。時給で働いている身で、そんなことは不可能だ。

年を取ると、自分にできないことがわかってきて、むしろ楽になるという人もいる。確かに、逆にこれとこれとこれはできる、という具合に可能なことがより明確になるから、選択肢がはっきりするということはあるかもしれない。

でも自分の場合はどんどん選択肢が減ってきて、「可能性は無限大」みたいなことももちろんもう思えなくて、いのちの灯がどんどんか細くなっていく気がしている。

いやまて、それは早すぎる。

この多彩な転職経験が活かされる働き方、もしくはそこから生まれる考え方もきっとある(はずだ)。

ああやっとここまでたどり着いた。

物事がなかなかうまく進まないとき、netや本、TVやほかの人の意見など様々な内容からアプローチをしてみるけれど、あちこち漂ってみて最終的に自分の中で納得できる着地点に来るまではどうにも居心地が悪い。

その瞬間はいつ来るかわからないし、別にたどり着かなくても次の道を選べるときもある。どちらにせよ私の場合、自分の中から出てくる何かに気づかないとぼーっとして動けなくなってしまうのだ。

とはいえ、何かが解決したわけでは決してない。現実は何も変わっていない。残り少ない勤労のチャンスを、どこで使ったらよいのか。

もはや普通の就職を期待するのは無理と心得、少しでも長く働けるステージを探すか。(全然気が乗らないけど)

何の脈絡もなく方針を変更し、手あたり次第数を打つ作戦に出た。(それでいいのか自分!?)

あー私はいったいどこに向かっているのだろう??




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?