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【小説】私の明日はどっちだ?7-②

何を食べるかというささいなことから人生の大きな決断に至るまで、生きてる間は選択だらけ。でも、ちゃんと考えてるのに思い通りにいかないことばっかり。私はいったいどこへ行くの。

これまでのおはなしはマガジンからどうぞ。

自分がいちばん欲しいものは何か

あわてて職場に戻ったものの、結局何の役にも立てないまま家に帰った。気持ちだけでは動けないんだ。あたりまえか。

昨日、ニワカさんは自分の力のなさを嘆いていたけれど、そんなに落ち込むことかなあと内心思っていた。友だちになってとか自分の都合のいいように…とか、わからないところの多い人だ。

「昨日、大変だったみたいね。今日はゆっくり休んで」

夜勤明けで帰ろうとするハルカくんに、琴音さんが声をかける。秋の行事はひととおり済んだので、しばらくは落ち着いた日々を過ごせるだろう。ぺこんと頭を下げてハルカくんが帰っていくと、またいつもの日常が始まった。

トミさんは、サクラに対して特別な思い入れがあるんだろうと思う。いつもは忘れようとしている何かに触れると、周りの人が何気なく言った言葉にも反応してしまうのだ。

「琴音さんはトミさんのサクラのこと、何か聞いたことあります?」

私も、知らないうちにトミさんを傷つけることがあるかもしれない。できることはやっておきたい、と思った。

「うーん。私もあんまり詳しくは知らないんですけど。春になると、サクラの木をじーっと見てるんです。お好きなんですかって聞くと、そうねって。それ以上のことは話されないので、ご主人がお好きだったから思い出されてるのかな、くらいに思ってました」

そこまでは私も知っている。もし自分がその場に居合わせたとき、余計なことをしないといいんだけど。

その日のお昼ご飯は、普段通りスムーズに終わった。昨日のことを言い出す人も別にいなかったし、外の空気はすっかり秋らしくなっていて、のんびりとした午後の時間が流れている。

ふと私は、ここに何年もいるような気がした。がむしゃらにつかみ取った仕事ではなかったし、知らないこともいっぱいある。毎日何かしらことが起こって、走り回っている感じだ。でも、イヤではないのだ。ここが。それがどうしてなのかは、よくわからない。

「琴音さんて、いつもおしゃれですよね。私なんてもう、なりふり構わず、だから。けっこうハードな仕事なのに、なんでそんなキレイにしていられるんですか?」

「え、そうですか?そうだったらうれしいな。前は、いちおう美容師だったんです」

「美容師さんですか?なるほど。あ、でも看護師さんの資格もあるんですよね。どうしてまた。何かあったんですか」

「私、小さいときからずっと美容師にあこがれてたんです。ロンドンにも留学したりして。すっごい勉強しました」

「すごーい!ロンドン?すごいわ。私なんてその辺ウロチョロしてただけだもん。え、じゃあ、ますますどうしてここに?せっかく夢がかなったのに」

「私も、ずっとそれが自分の夢だと思ってたんです。とにかくいろんなとこ見て感覚磨いて新しいもの取り入れて…ってガシガシ進んでたんです。でも、順調にいってるはずなのに、あ~しあわせ~とか思ったこともなかったんです。必死過ぎて。駆け出しなんてそんなもんかと思ってましたから、疑問にも思わなかったけど」

「うん。私もそう思う」

「新人賞みたいなのもいただいたりして。あ、地域のちょっとしたコンテストで。そのまま続けていくことに、何の疑いも持ってなかったんです」

「そんな夢みたいな生活してて、どうしてこうなったの」

琴音さんは私の言葉に苦笑いしながら、迷いのない顔でこう言った。

「私がいちばんうれしいのは“ありがとう”だった、ってわかったからです」

「“ありがとう”は確かにうれしいと思うけど、美容師さんでもありがとうはあるでしょうに。何も辞めなくても」

たった今ここで働いているのに、しかも自分から望んでここにいるというのにこんなこと言って…と私は後悔した。

「休みの日に、スーパーで買いものしてたんです。そしたら乾麺の棚のところでウロウロしてるおばあさんがいたんです。気にしないでそのままぐるっと買いものして、でもおばあさん、まだそこにいて。どうしたんですかって声かけたら、高い棚のうどんが取れなくて、店員さん探してもいない、どうしようって言われて。何だそんなことならと思って、背伸びしてうどん、取ってあげたんです」

「まあ、そういうことよくあるよね」

「そしたらおばあさんが、“ありがとう、ありがとう”って」

「そういうちょっとしたことって、助かるもんね。私も時々あるよ。で、なんでうどんが看護師に?」

「おばあさんにそう言われた途端、私、ワーッと泣き出しちゃって」

「え?なんで!」

「わからない。その時は私にも全然わかりませんでした。スーパー出て、歩きながら思ったんです。いつも緊張して、もっと新しいこと、もっと多くの技術、ってばかり追いかけるのに疲れちゃったのかなって。でも私は今、うれしくて気持ちがホカホカしてる。巧いとかセンスあるって言われたときより、ずっと満たされたような気分になってるんじゃないかって」

「確かに、疲れてるときそういうのはしみるよね」

「で、私気がついたんです。私が美容師になりたかったのは、誰かに“ありがとう”って言われたかったからなのかも。トップスタイリストがゴールじゃなかったのかもしれないと。ずっとそこ目指してきて、それこそが自分の目指すもので、簡単に諦めたらいけないんだと思ってましたから、弱気になってはダメだと言いきかせてみたりもしました。でも、思えば思うほど自分の中で違う、違う、という気持ちがわいてきて…」

「それで美容師やめちゃったの?」

「そんな簡単にではないですけど。その日は、家通り過ぎてずっと先まで歩いちゃったくらい考えてました。毎日毎日悩んで、半年くらい経って仕事は辞めました」

「なかなか勇気いるよね。私なんか、もったいないと思っちゃう

けど」

「そうですね。正直、自分の目指してたものが違ってたのかもって認めるのはキツかったです。途中で逃げだすのかっていう罪悪感もあったし。でも、手放すものとこれから向かおうとしてる場所で得られるかもしれないもの、どっちを持ってたらしあわせだろう?って考えてみたら、私にはあのスーパーで味わった気持ちの方が大事だって迷わず思えたんです」

「琴音さんて、ハキハキしてるけど意志も強いんだね。尊敬する」

「強い、ですか?うーん。というより、たぶんその方がラクなんだと思います。川下と反対の方に全力でこいでも、ちっとも進まないけど、流れに沿ってだと、チカラ入れなくても進んでるみたいな感じです」

全力でこいでもちっとも進まない…という琴音さんの言葉が、頭の中でぐるぐる回り続けた。まるで、自分のことを言われているような気がした。


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