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【小説】私の明日はどっちだ?5-①

おばさんだって働かなくちゃ食べていけない。やっと仕事は掴んだけれど、本当にこれでいいのか。毎日は選択と決断の連続。私はいったいどこへ向かっているのか…。

これまでのお話はこちらからどうぞ。

私はここで鏡になる

トミさんが無事にご飯を食べ終えるのを横目に見ながら、これはこっち、あれはあっちと琴音さんが出す指示の多さに目が回りそうだった。…仕事が多すぎる。何の資格もない分、幅広く関わるということなのか。初日だから用意しておいた方がいいかも、とおにぎりを持ってきたのは正解だった。

あっという間に夕方になり、こどもたちがぽつりぽつりとやって来た。
なぜこどもが?と思っていたら、外出していたはずのニワカさんが言った。

「ここね、高齢者だけじゃなくて誰でも来れるの」

「どういうことですか?」

「学校が終わったこどもたちとかなかなか外に出づらい人とか、来たければ誰でも入れる。今のところは、ご近所さんだけなんだけどね。いろいろ模索中で」

とその時、男の子がひとり入ってきた。

「あれ、ボンちゃんおかえりー。今日暑かったでしょう」

「…ただいま。なんか飲みたい」

「よっしゃ、じゃあニワカさん特製の麦茶を持ってきてあげよう!」

「なんだ麦茶か…」男の子はボソッとつぶやいた。
え?今ボンちゃんって言った?この子がボンちゃん?何者?

「ニ、ニワカさん、ボンちゃんて…あの」

「あ、そうそう、ボンちゃん!このおばちゃんが命の恩人にお礼が言いたいって」

「ニワカさん、どういうことなのか私ぜんぜんわかってないんですけど」

そのボンちゃんに麦茶を持ってくると、ニワカさんは私を隣に座らせて話し始めた。私が自転車で宙を舞った日、ちょうどボンちゃんが通りかかった。前の方にとがった石が見えたので、ボンちゃんはとっさに持っていた給食袋を投げたのだそう。その袋がクッションになり、私は顔面を直撃せずにすんだらしい。全身の筋肉痛と擦り傷だけで大事に至らなかったのは、ボンちゃんの機転と行動力のおかげだったのだ、と。

「そんな、ニワカさん早く言ってくださいよ。ボ、ボンちゃん、ほんっとにありがとう!もう、お礼のしようがない…」

「と、言っておりますが?ボン様?」

「やめてよ。いいよ別に。大したことないよ」

「よくない!ほんとにありがとう。え、でも私のせいで、給食袋汚しちゃったんじゃないの?」

「そうそう、ボンちゃんなんにも言わないからさ。学校でもおうちでも怒られちゃって」

「だって。なんて言えばいいかわからなかったんだもん」

「そこは、事実を話していいのだよ、ボン君。どこかのおばちゃんが自転車で空を飛んだので、危ないと思って袋投げましたって」

「そんなこと言ったって誰も信じないよ」

「でも事実だからさ。どうせ言ってもわかってもらえない、はダメだよ。大事なことはちゃんと言う、はボンちゃんの宿題だな」

「…。苦手なんだもん」

「だからそこを頑張るのが宿題!」

「ボンちゃんすごいよね。人が困ってたらすぐ助けられるなんて。急にできることじゃないよ。すごいよ。すごい」

私が何度もすごいを連発していると、ボンちゃんはぷいっと向こうへ行ってしまった。

「ニワカさん、ボンちゃんっておとなしい子なんですか?」

「おとなしくは、ない。あのね、薮田さん。ひとつ言っておかなきゃいけないことがある」
ニワカさんの表情がとつぜん真剣になり、私はドキッとした。

「どんなにすごいと思っても、むやみに褒めない。相手を評価してるってことになるから。ここでは、評価につながるような言動はしない、がルール。そのまま相手を受け入れることを覚えてほしいの」

「あんなにいいことしたのに、褒めちゃいけないんですか?どんどん褒めろって、世間ではよく言うじゃないですか」

「あのね。いいことをして褒められる、でもそのいいことの基準は?いいことをしなかったときの自分はダメな自分、って思っちゃう子もいる。自分の感情や思うことに、ほんとはいいも悪いもないでしょ?」

「それはそうですけど…」

「幸か不幸か、ここを一歩出たら、周りは誰かの評価だらけじゃない。自分は褒めてるつもりでも、それって実は自分の価値基準で言えば、ってことなんだよね。知らないうちに、自分のものさしでいいの悪いのって言ってるわけ。皆あまりにも無意識のうちにやってるから、気がつかないけど」

「だからここではね、評価めいたことはいっさいしない。危ないこととか、傷つけるようなのは注意するけど。あ、傷つけるっていうのは、本人も含めてね」

「ふうん。なんか難しそう」

「こどもだけじゃなくて、大人に対してもね。とにかくそのまま。そのまま受け止める。って言っても、やっぱり何かしら言っちゃうんだよね。つい。で、いかんいかん、これは私の勝手!って振り払って、私は鏡、私は鏡って唱える」

「鏡、ですか?」

「そう。鏡がいいとか悪いとか言わないでしょ?ただ、映すだけ」

「そんなことできるのかな」

「慣れだよ、慣れ。もしやらかしちゃっても、ここに来てる人は、あ、これはこの人の意見だよね、って受け取って聞いてるから大丈夫」

「でも、ここだけのルールなんか作っちゃって、ほかの場所で困ったりしないんですか?」

「できればこれが普通になってほしいけど、今はまだこの中でだけ。ただ、少なくとも誰かの基準で楽しくなったり悲しくなったりすることは減るはずでしょう?そして、自分が何を思うかは自分が決めていいんだ、ってわかるでしょう?それを誰もができるようになったらいいなと思うわけ」

「そんなこと、なぜここでやるんですか?」

「ここはただの施設じゃないのよ。将来に向けて、いろんなことを試すテストコミュニティみたいなところなの」

ああ、しまった。また妙な道に踏み込んでしまったか。試すって何?
だから私の選択は…。どうしていつもこうなるんだろう。

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