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【小説】私の明日はどっちだ?7-③

人生の分かれ道に立ったとき、何を選べば正しくて、何が正しくないのか。それがわかっていれば苦労はないのに。こころはいつも霧の中…。

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しあわせはその辺には落ちてない

このところ、朝晩はさすがに冷え込むようになってきた。仕事に向かうときは自然と早足になり、ハウスに着くと中がふわっと暖かくてほっとする。今のところ私の職場は、広い公園のような場所にあるシニア向け施設で、みんなはハウスと呼んでいる。少し離れたところに誰でも入れるレストランがあり、来年には多少の自給自足を目指した農園が作られる予定だという。

増殖。こんな言葉が適切かどうかわからないが、私にはこの一帯でやろうとしているプロジェクトに、そんなイメージを持っている。ここにいる限りは閉ざされた社会なのだが、じわじわと地域になじみながら、明らかに新しいコミュニティをつくろうとしている。前までは、私もそんな理想の空間が現実にできるわけがないと思っていた。けれどここでいろんな人たちと関わるうちに、ゆるーく浸食していけば不可能とは言いきれないかも…と思いつつある。

とは言っても、そこで自分がリーダーとなって新世界を切り拓いているわけではない。あいかわらず仕事は効率という文字から程遠く、これなら任せて!といった技能があるわけでもない。辞めたいと思うことはなかったが、もう少しやりがいとかみんなから感謝されるとか、ささやかなしあわせくらいあっても良さそうなものだ。

「あーあ、なんかいいことないかなあ…」

「ないない、そんなものはないね」

こころの中でつぶやいたつもりが、実際声に出ていたことに私はぎょっとした。いつの間にか隣にはトミさんがいて、ご丁寧に返事をしてくれていたのだ。恥ずかしくて真っ赤になった顔を見られまいと、私はありもしない床のゴミを拾うふりをした。

「朝からしみったれたこと言って。いいことなんてそうそうあるわけないんだよ。ゴミみたいにその辺にぽろっと落ちてたら、ありがたみも何もないじゃないか」

トミさんは、サクラのない季節なら元気なんだろうか。口はいいとは言えないが、最近もめごとは起こしていないようだ。対応の仕方がまだわからないので、平和な日々は助かる。たしかに、しあわせがそこいら中にごろごろ転がっているわけはない。たまにしか出会えないからこそ、うれしさが何倍にもなるのだ。私の場合あまりに希少すぎて、喜びがムダに巨大化している気はするけど。まあ、トミさんもたまにはいいことを言うものだ。

「人生なんて、短いんだからね」

まったくだ。それはよーくわかっている。だが、トミさんはまだ生きているはず…。

「トミさん、まだ人生終わったことないじゃないですか」

ムキになって私が返すと、トミさんは人生なんて短い短い、あっという間だよ…とひとりごとのように言いながら部屋へ戻っていった。入れ替わるように入ってきた琴音さんが、苦笑いしながら私に言った。

「どうしたんですか、薮田さん。トミさんと仲良しじゃないですか」

「仲良し!?とんでもない。朝からお説教されちゃった。でもまあ、トミさんの言うことにも一理あったかな」

「へえ。めずらしい」

「いいことは、その辺には落ちてないって」

「たしかに。ごもっとも。名札付けて落ちてるわけじゃあないですよね」

「わかってはいるんだけど。毎日あいかわらずさえないなあって思ったら、つい口に出ちゃって。琴音さんなんかはきっと、自分なりに目標立てたりしてコツコツ努力してるんでしょうけど」

「まさか。私はいつも、目の前のことでいっぱいいっぱいですよ」

「だってさ、いろいろ振り切ってここに来てるわけじゃない。それだけで、もう立派。私なんて、いつも周りにどう思われてるか気になって仕方ない」

「そんな。あ、でも前の仕事辞めるとき、やっぱり親とか知り合いとかいろんな人たちに止められて。どうしてみんなわかってくれないんだろうと思ってました。でもいちばんブレーキかけてたのは、実は自分だったみたいで。夢をあきらめることイコール敗北、みたいに思ってたんですよね。それが我慢できなかったのかもしれない。何なんですかねー」

こんな風に考えがしっかりしていて行動力がある人ですら、何かしら悩んでいるのか。

「でも、最大の敵は自分だった、ってわかってからは、不思議なくらい周りの目が気にならなくなりました」

「すごい、やっぱりすごいよ、琴音さんは」

私よりずっと若いのに、私が文句ばっかり言っている間にいろんなこと考えて、自分がこうなりたいっていう方向に向かって歩いている。それに比べて私は…。人と比べちゃいけない、比べたって仕方ないとわかっていても、一歩社会に出ればどうしたって比較の渦にのまれてしまう。この人にはできるのに、私はなぜできない?私だって頑張ってるのに、なぜ?

最大の敵は自分、という言葉の本当の意味を、私は素直に受け入れることができなかった。


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