君を自分と同じ「普通の人間」に引きずり落としたのを今でも後悔している。遠くへ行ってしまう君を引き止める方法を、それしか知らなかった。今なら、引き止めたりしない。あの頃、そうしていたなら君は「遠くへ行ったからといって通じあえなくなるなんてことないよ。」と言ってくれただろう。
 廊下をすあしで走る音。君の窘める声から十分程経って「珈琲要る、」と控えめな少女の声が聞こえた。「要る。」と答えるとお盆を持った少女は廊下から火照った顔を覗かせて「どうぞ。」と珈琲やミルクののったお盆を差し出した。自分の分を取る。
「通学お疲れさま。」
 少女は苦笑してセーラー服のスカートをひらりとさせ出て行った。
 とても良く学生時代の君と似ていた。人と上手く付き合えないくせ人から良く好かれ、それを退屈そうにかわす所とか、時折目の中へくらやみを招く所とか、思案に耽ってコップを落とす所とか。
 仕事が一段落したのでリビングへ顔を出した。君は少女とあやとりをしていて、もう一人の知り合いの男はみかんをはみ、年末の特番、の再放送を見ている。自分も倣って、あやとりをする二人を視界の端へ残したまま、再放送を見た。去年と今年、今年と来年、目の前へ突き付けられると今年の自分を掘り起こして焦った。毎日毎日をそれなりにこなしていても、何にも出来ていないような気分になった。
 不器用な少女は赤いひもに苦心している。もし出来るなら、一番良いのは其処と代わることだと今でも思う。だけれども、もしもなんて無く、いっそ清々しい程、君と少女は仲良しである。
「おかわり要る、」
 赤いひもを放棄した少女は甘える猫のような目をしていた。少女のことを娘のようにあいしているからしっとなんてする訳もなかった。「要る。」「俺のも。」一寸、しっとを含ませ、君は少女へマグカップを差し出した。「分かってるよ。」と答える少女を見つめる君を、見つめる。大丈夫。君は少女のいっとうせい。

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