海辺にて

 晴れてきたなと思い,本から視線を外して腕時計に目をやると,まだ午前8時30分だった.足元に落ちた自分の影の輪郭がくっきりと見えるようになり,背中にぽかぽかとした陽気を感じ始めていたものだから,もうてっきり10時くらいにはなっているのかと思った.
 1時間半くらい前にこの海辺に到着した時はまだ曇っていて,湿気を含むひんやりとした空気があたりを覆っていたはずが,空を見上げるといつの間にか雲一つ見つけられないほどよく晴れて,日差しも強くなっている.
あたたかいと思っていた背中はむしろ暑くなってきた.上着を脱ぐか迷うところだ.
逡巡の末、上着に手をかけながら前方に目をやると、太陽の光に照らされて、こころなしか海の青さも増している気がする.

 自分の心情を,日記とは違った形でノートに書き留めるのは久しぶりかもしれない.日記は一日の終わりにその日の出来事を思い出しながら書くのに対して,今書き連ねているこの文章は今起きたこと,思ったことをそのまま書いている.随筆と呼ぶのが正しそう.
 太陽の下で、自然のど真ん中でペンを持つなんて何年ぶりだろう.そもそも私は今、何故鋭い日差しの中で海と向かい合ってペンとノートを握りしめているんだろう.
ほんの数時間前,深夜にふと思い立って衝動的に荷物をまとめて海へ向かう電車を調べて飛び乗り,気が付いたら海辺の流木に腰かけてコンビニのおにぎりを頬張っていた.
そして今,だだっ広い海を前にただ佇んでいる.きっとどうしても1人きりの時間が必要だった.

・・・

 持ってきた,星野源さんの「いのちの車窓から」を読み終えた.今日,ここでこの本を読んだ記録に写真を撮ろうと思い表紙を見て,

「あ」と声が出た。

そこにあるのは海だった.

 偶然か必然か,目の前にあるものとまったく似た青色が,四角く切り取られて本の表紙の中に鎮座していた.ほんの1週間前,この本を手に取り何の迷いもなくレジまで持って行ったあの日から,この本は私を海に連れて来ようとしていたのかもしれない.

 星野源さんは長いあとがきの中で,”この本を旅に連れていこう”と考えている、と述べていた.今日は偶然が重なる.私が今たった一人で海辺の流木に腰かけて本を読んでいる理由は,”一人旅がしたい”だった.自分の心に水と栄養をたっぷりと注ぎ込み,潤すための,私の,私だけのための時間.
そんな時間をしばらく取れていなかった.

図らずも私はこの本を連れて旅に出た.この本が私を旅に連れてきたのか.いや,本と2人で連れ立ってきたと言ったほうがしっくりくる.

 潮騒を聞きながら本を読むのはとても心地のよい時間の過ごし方だとわかった.なにより,時間がゆっくりと進む.
まだ,9時57分.
おそらく読み始めたのが8時くらいだった気がするから約2時間ほどで読み終えたのか.

 座りっぱなしで本を読み,凝り固まった体をほぐしていると,やっぱりどうしても海に入りたくなってきた.自分のことなので絶対に入りたくなることを予想してショートパンツを持ってきた.
持ってきたが.
着替える場所のことを考えていなかった.
周りを見渡しても人目を遮れそうなところはない.
6月下旬の,海水浴にはまだ早いこの時期に海の家は開いてなどいない.
かと言って,ここまで歩いてくる途中に見つけたコンビニまで戻るのは面倒だし,いい年した女が砂浜でパンツ一丁になって着替えるわけにもいかないよな…

結局,着替えることは諦めた.
履いていたスキニージーンズをひざ下までたくし上げて,ざざーんと押し寄せる波に足を踏み入れた.冷たい.じゃぶじゃぶと音を立てて歩き回ると,足の裏にはじゃりじゃりとした砂の感触.
波打ち際は砂の粒が大きい.
そうだった,すっかり忘れていた.
踏みしめた砂の感覚とともに子供のころ家族で海に行った時の記憶もよみがえってくる.
子供の頃,この中くらいの大きさの砂粒が好きで好きで,家に持って帰りたいと駄々をこね,母親に渡された小瓶に色とりどりの砂粒を詰めた.あの頃は何もかもが新鮮で,細かい砂についた色さえ心の底から美しいと思えるくらい,世界を間近に観察し,対峙していた.

 砂の感覚だけでこんなに鮮明に記憶が呼び起されることに驚きつつ,泡立つ波打ち際で海水に足を浸しながら,昨日親友と通話しているときに言われた言葉を思い出した.

「君は良くも悪くも、お人好し過ぎるんじゃないの。」

今月に入ってから同じようなことをもう3人くらいに言われていた.
自分のこと、自分の気持ちをもっと優先したほうがいいと,何度も聞かされたけどいまいちしっくりこない.なんというか,そんなに自分をないがしろにしているつもりはない.
でも現に今,自分に余裕がなくなって,これまでは笑って許せていた小さなことが許せなくなり,ありとあらゆる人との関りを断っている.
この自分の感覚と現状のギャップはどこから生まれているんだろう.
空と海の境界線を眺めながらしばらく考えた.

”お人好し”
文字にしたそのまま,私は人間が好きなんだろうな,と思う.可能な限り全ての人間を愛していたいという気持ちが根底にあることに気がついている.或る人が、犬が好きと発言するのと同じように、私は人間という種が好きなのである.
だから自分にとって多少苦手なことをされても,きっと悪気があるわけじゃないし根はきっといい人なのだと、そう無意識に思っているから笑って許せるし,相手との関係も継続できる.でも,心のどこかではその人との間にうっすらと溝が作られていて,その事に気が付かないまま何度も何度も繰り返すうちにいつしか大きな谷のようになっている.
大抵の場合,自分と相手との間にある溝の存在に気付くことができた時にはもう修復不可能な深さで,その渓谷を私には飛び越えることができなくて,静かにその場を離れるしかない.何を伝えるわけでもなく,本当にただその人の前を去る.これはもう変えることのできない私の性なのかもしれない.どんなにお気に入りの髪留めでも,使い続ければじきに壊れる日がやってきてしまう.意思だけでは回避できない破綻の瞬間はどこにだって存在する.
私は積み重なった亀裂が大きくなって心が割れてしまうまで気がつけない,ただそれだけのこと.

22年生きてきた中で幾度となく同じことを繰り返してきたような気もする.

でも結局,この考え方・生き方を変えられるかと言われたらきっと凄く難しい.この世界と人を見てきて,自分の経験と照らし合わせて,何度その思考パターンを変えたとしてもたどり着くのは人間が好きであるという結論だと思う.

だからもう,避けられないなら,こういう生き方しかできないから選ばされたと思うよりも,自ら選び取ったと思いたい.
そう思った.
例えそれで何回同じ目に遭っても,麻痺することなくちゃんと毎回傷付いて,悲しんで,もう一度人と向き合える人間になりたい.
それでいいや.
これを今回の一人旅で見つけた答えとしよう.