会いにくる理由
蒸し暑さにやられて寝不足気味の私。
でも今は朝からの雨で少し肌寒いくらいだ。
そして隣で手が冷たいと、私の首から背中にかけて暖かい所を探すこの男は多分恋人とは呼べない人。
私がこのマンションに越してきた日はあいにくの雨の日だった。
それでも、多くない荷物に『助かった〜』と話す若い業者さんにお礼を言って予定より早くひとりになれた。
(おまかせプランにしておいて良かった)
濡れた服を脱ぎ捨てて簡単にシャワーを浴びる。
それから細々とした事は後回しにして、下にあるコンビニに朝用のパンと、引越し蕎麦代わりの冷やし中華を買って戻る。
エレベーターを降りて玄関前で立ち尽くす男が目に入って、足を止めた。
(早く家に入って)と願いながら角の壁へとへばりついた。
私の願いも虚しくなかなか入ってくれない。 (あっ!もしかしてここの住人でなく、中の人に追い出されたとか、それならばあまり顔を合わせる事も無いかな)と諦めて部屋に帰る事にした。
それがいけなかったのか、良かったのかはまだ答えが出ていない。
とりあえずこの男はよく鍵を忘れてきてしまう事だけはわかった。
人見知りの私がお隣さんになったこの男と親密になるのは割と早かった。
私がコンビニから帰ってくると玄関の前で立ち尽くす姿をよく見かけたから。
そのまま玄関先に座り込むこの男を尻目に、自分だけ部屋に入る事に罪悪感を持ってしまった。
「また…鍵忘れたの?誰かに泊めてもらうとか…彼女とか?」
「……彼女いない」
「いや、友だちでもいいと思うけど…」
「連絡取れない…スマホも忘れた」
(これは…どうすれば。もう遅いし)
昼間はまだまだ暑い日もあるが、夜になると涼しくなってきた10月。
真冬ではないが放っておくのもと思い、ひとつまみの勇気を投げてしまった。
その日に甘え上手な事と、手が冷たい事がわかった。
それからは鍵を忘れると私の部屋の前で待っている様になった。
何度目かで私たちは付き合っているも同然らしい事がわかった。
「言葉が欲しかった?」
と聞かれて子どもじゃ無くなった事もわかった。
ふと、普段は何をしているのだろうと考える事がある。
私と違ってちゃんと毎日出勤する会社員なのは、会話で察せられた。
大学からの友だちとも、高校からの友だちとも、幼馴染とも付き合いがあると言っていた。
誰もと会った事はないが、私たちはふたりで出かける事もないし、鍵があれば私の部屋の前で待っている事もないので、紹介という場面にはならない。
私は幼馴染も学生の時の友だちも、社会人になった時も、その場だけの関係で次の場所まで持ち越したことがない。
今はおうちでお仕事をしているので、友だちと呼べる人はいない。
だから紹介する人がいないから気にしていなかった。
そう言われてみれば、私の部屋の前で待っているのをいつも鍵が無いからと思っていたけれど、それだけで会っているのなら、私たちは付き合っているも同然とは言わないのではないかと思った。
冷たい手が私の身体の暖かい所を探している時にそう聞いてみた。
一瞬手が動きを止めたが、その後何事も無かったかのように動きが再開された。
これが答えだよと示された気がした。
恋人として付き合っているわけでは無いのだとちやんと理解した。
それでも、こんなに鍵を忘れてくるのは私に会いたい気持ちはあるのだと思う。
それだけでいい…それでも続いてくれたらいいと冷たい手の感覚を追っていく。
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