厳罰化はより良い社会を作るのか
悲惨な事件が発生する度に厳罰を求める声が聞こえてくる。
最近では、池袋の交差点で母と娘の二人の命が失われた事故や、京アニ放火事件といった大衆の感情を揺さぶる事件が起きたことは記憶に新しい。池袋の事故では、逮捕要件を満たしていないにも拘らず感情的に逮捕しろと云う人や、まだ現場検証もままならないうちから死刑に処すべきといった声が少なからずあった。それどころかその感情的な意見に対し、法律を用いて制止しようとした人達は擁護していると思われ、社会の敵と看做す動きさえあった。
逮捕要件は、刑事訴訟法で定められており、法治国家である以上大衆の一時の感情で変えることはできない。しかし、逮捕要件の拡大や、厳罰を求める声が多くあることから法改正すべきか考える必要はあるのではないか。
法律を厳しくしたら良くなる?
確かに、捕まりたくない、刑務所に入りたくない、死刑になるかもしれないという心理にさせるために法律を厳しくし、厳罰化することは犯罪の抑制に繋がるとして正当化されてきた。
しかし、抑制に繋がるという理由で法律を厳しくし、一時的に人権を制限する逮捕の要件や刑罰の基準を下げても良いのだろうか。
犯罪を減らすという名目で過度に抑制するようになった場合、証拠もなく疑わしいという段階で拘束されることになりかねない。前述したような感情を揺さぶる事件が起きたときに、自分は逮捕されないから大丈夫などと安易に考え厳格化を求めていけば、気づかぬうちに自分の行動と拘束される基準が近づいていく。
例えば、ある思想をもつ人が起こした事件をきっかけに、その思想が直接関係がなかったとしても、事件を起こす引き金であるとして法律で制限されたとする。その思想を制限することは犯罪を抑制すると正当化されているため、その時点で犯罪をする気がなくても、その思想を持っているという理由であらゆる行動が制限されてしまう。以前まではその思想を持つことは自由であると認められていたにも関わらず、過度に抑制を求めていけばこのような事態が起きかねない。
法律を厳しくするということは、犯罪を抑制すると同時に自分自身の行動を制限し、自由のない社会へとつながる危険性を孕んでいる。そして、犯罪の抑制と自由の制限との境界線を定めることは容易ではない。そのため、一時の感情に左右されることなく慎重に判断しなければいけない。
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