【つながる旅行記#215】大城山の山頂と毘沙門堂の不思議な行事
前回は学習展示館で昆虫パラダイスだった。
思わぬ世界の昆虫たちに衝撃を受けつつ、知識も蓄えたところで四王寺山の山頂へ向かうことにする。
そういえば地名についてあんまり触れてこなかったので今更解説すると、
この山全体が『四王寺山』と呼ばれていて、それぞれのピークが『水瓶山』だったり、今から向かう最高地点の『大城山』だったりするようだ。
山の名前はしっかり把握しようとすると大変なことが多い。
鳥居をくぐっていくと、その先には毘沙門堂があった。
近くの看板の解説によると、毎年1月3日には「四王寺毘沙門詣り」というものが行われるという。
参拝者はお堂の前に置かれたお盆からお賽銭を借りて帰り、翌年参拝するときにはその倍額を返し、またお盆から借りていくという。
これをこなすと1年間お金に不自由しないと伝えられているのだ。
(誰がそんなことを伝えたのかは不明である)
最初にお金を貰えるというのが非常に斬新なこの行事だが、持ち逃げされたら大損じゃないか?とも思ってしまう凡人の自分。(くれるお金は少額なんだろうけど)
……いやまてよ?
持ち逃げする後ろめたさの方がダメージがあるか……?
お金を返さなかったらなんだか罰が当たりそうだし、そもそも倍額返せば1年間お金に不自由しないという特典もある。
となるとこの手法は、再度この場所に来るモチベーションを圧倒的に高めている気もするような……。
うーむ、これを考えた人はなかなかの切れ者なのかもしれない。
そんなわけで、気づけば大城山山頂に到着。
道が非常に良かったので楽々である。
自然も歴史も昆虫も楽しめて、凄く良い山だなと改めて思う。
ここからの展望は福岡市と太宰府市の間にある大野城市を見る形になる。
どんなものが見えるだろうか。
なんだあのモコモコした林は……?
北海道の防風林のごとく真っすぐ伸びた林があった。
そう、これが大野城と同じく防衛の要衝、『水城』なのだ。
白村江の戦い(663年)の敗北後、唐・新羅連合軍の日本侵攻に備えて大野城などが築かれたことは以前語ったが、山城を築くなんてことはそう簡単に出来ることではない。
なので当時の日本人は山城だけではなく、『水城』という長大な土塁と外堀を先んじて作り、筑紫平野への侵入を防いでいたのだ。
水城が出来たのは敗戦後の翌年、大野城は水城完成の1年後である。
なんだかもうとにかく急ピッチで建設していたことが伺える。
そして実はこの四王寺山は、戦国時代にも岩屋城の戦いというかなり熱い物語の舞台にもなった場所なのだ。
秀吉が来る前に九州を統一しようと攻め上がる本気モードの島津軍と、763名で必死に時間を稼いだ高橋紹運の物語は壮絶の一言。
やはり古くから重要拠点だった場所は、時代が変わっても重要拠点ということなのだろう。
しかし九州の戦国武将の話なんて以前は全然興味がなかったのだが、やはりその土地に旅行をするとめちゃくちゃ頭に入りやすいのを改めて感じる。
これがアンテナが立つというやつなのだろうか。
やはり旅は良い……!
太宰府に来てまさか山登りを楽しむことになるとは思っていなかったが、やってみたらもう大満足。
四王寺山、登ってみて本当によかった。
しかし時刻はまだ15時だ。
この後どこかに寄ることは十分可能である。
……行ってみようか。さっき見た『水城』に。
近くで見たら新たな発見もあるかもしれないし。
そんなわけで、もう少し観光していこう。
当時は本当に健脚だったなとメタなことを感じつつ、
次回へ続く……!
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