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記憶はあるが記録のない『茨城への逃避行』を振り返ってみる

自分は遠い場所へ突然逃げたくなる癖がある。

もう書くのが何度目になるかわからないが、真冬の富士山駅や山中湖に突然出かけて凍えそうになり、朝になったらタクシーに乗って戻ってきたアレみたいなやつだ。(#2参照


これはただただ交通費と体力を無駄にする行動でしかないのだが、あの日のことはなんだかんだで記憶に残っている。

それにおかげでこうやってnoteで語れるのだから、あの行動には意味があったのだ。

(ソニーのクラウドサービス終了がきっかけで、まさかの当時の写真も出てきたし)


そして実は自分があんな行動を取ったのは1度だけではない。

自分が解離性健忘で記憶消去をしていないのなら、あと2回ほど同じようなことをしているはずなのだ。

一つは、千葉県の館山市

チーバくんの足あたり


そしてもう一つが茨城県の土浦の辺りである。

しかしその2箇所は写真を撮った記憶がない。

全ては自分の頭の中に残る記憶だけだ。


なんの因果か、最近買った謎のカフェインの錠剤(食品らしいが)を販売している会社の住所が茨城県土浦市というまさかの一致が起きたので、今回は茨城のことを思い出そう。

そのうち忘れてしまいそうなのが自分なので、備忘録も兼ねて。


とはいえやはり写真がないと記憶も相当断片的なのだが……。

(なんでカメラを使わなかったんだ過去の自分よ)



というわけで過去の自分の足取りを追ってみる。

当時の自分は仕事で悩みでもあったのか、なんだか無性にどこか遠くへ行きたくなっていた。

そして、「あ、湖行こう……」と思ったのだ。

(精神を病むと水のあるところへ行きたくなる癖でもあるのだろうか)

どんなルートで行ったのかはわからないが、江戸川区からは概ね2時間もあれば霞ヶ浦には着く。

行ったことのない場所という条件を満たす湖は霞ヶ浦だったのだろう。

そして自分は土浦駅に到着した。

たしか着いたときは暗かったはずなので、終電間際の電車に乗って行ったんだと思う。


しかしGoogleストリートビューで土浦駅の画像を見ても、とくに記憶は蘇らないな……。

土浦駅

なお当時の画像は1枚も存在しないので、この記事ではGoogleストリートビュー様に全力で頼っていきます!


ともかく、土浦に着いた自分は霞ヶ浦を求めて歩いていったのだ。

橋を渡って……

うっわこれこれ!! こんな場所を歩いた気がする!!

この桜川沿いの道を行くと、この先に霞ヶ浦が待っているのだ。

あ〜〜こんな感じだった気がするぞ……!!

そして確か田んぼみたいな風景があったような……?

これこれ!!この開けた感じ!!

まあ自分が行ったときは夜なので超怖かった記憶しかないが……。

しかし道が完全にサイクリングロードな気がするのだが、当時の自分は本当にこんなところを歩いたのか……?

でもこんな感じで霞ヶ浦を眺めて、「でっかい湖だなぁ……」という小学生みたいな感想を抱いたのは覚えている。

そして暗闇の中こんな場所に居るのでとにかく怖かった

……なにをしているんだろう本当に。

そして上の画像は川を挟んだ逆側にある道なのだが、この土手の上を歩いていた記憶もある。

終電で土浦に来たとすると始発までにはかなりの時間があるだろうし、自分はかなりの長時間うろうろしていたのかもしれない。

不審者すぎる


そして一番記憶に残っているのが、朝方にサンドイッチを食べたことだ。

このサンドイッチは江戸川区のコンビニで買ったものだった。

着いたときに食べる夜食として買っていたのだが、「暗くて怖いからサンドイッチ食ってる場合じゃねぇ!」という理由で朝になるまで食べられなかったのである。


自分はサンドイッチを食べて、「もう疲れたし帰るか……」と駅に向かった。

しかし長い間自分の背中で温められていたからなのか、サンドイッチは非常にヤバい状態になっていたのである。

長い電車の中で、明らかに異常をきたした自分の胃腸

未だかつてないピンチに、脂汗が出るほどだった。

危うく尊厳を失う危機だったが、どうにか上野駅のトイレにたどり着いて救われたのだった。


これが、霞ヶ浦への逃避行の記憶である。


・・・


(なんか忘れてもいい記憶だなこれ……)



いやしかしこの経験があったからこそ、お腹の調子が悪いときはトイレ第一で行動するようになったし、「サンドイッチは絶対に旅では携帯しない」ということを頭に刻みつけることになったのである。

この教訓はその後の登山にもしっかり生きている。

もう絶対にサンドイッチを背中で温めたりなんかしないのだ。


登山の携帯食は決して腐らないものを。

味なんかどうでもいい。悪くならないことが大事なのだ。


大いなる学びである。



そんなわけで大昔の記憶を振り返った。

思えば当時カメラを持っていかなかったのも、それほどまでに精神的に余裕がなかった証明なのかもしれない。

土浦と館山に関しては本当に行き当たりばったりだった。

今思うと富士山の深夜徘徊は多少の準備はしていたのだ。
防寒しないと1月の深夜の富士山駅なんて凍えてしまうから。

だからそのときはカメラPS VITA(地図用)も持っていったのだろう。


今更ながらに昔の謎の行動をしっかり振り返ったが、なんだかあのときの行動への理解が深まったような気がする。

今後あんな暴走をまた繰り返すのかはわからないが、準備だけはちゃんとして遠くへいくようにしなければ。


果たしてこの記憶を記事にして残す意味があったのかは微妙なところだが、とにかく食品の状態には気をつけろということで。

この記事を読んで、誰かが自分と同じ失敗をしないことを願います……!


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