【つながる旅行記#285】静岡市とタミヤとタミヤなサイクリング
前回はデカすぎるあれこれが盛り沢山の海洋科学博物館を満喫し、清水区を楽しみ尽くした。
ところで、清水市ではなく清水区というのはどういうことなのだろう?
そう、実は自分が前回巡っていた清水は、静岡市なのだ。
(静岡市は葵区、駿河区、清水区で構成されている)
というわけで、せっかく静岡に来たのだから清水区の西にある静岡市の中心地も見ておかねば。
(なお静岡県の人口一位は、西の果てにある浜松市)
そんなわけで、相棒(自転車)とともに静岡市を走り抜ける。
一応今日の目的地は決めているのだが、あれこれ自分のペースで他のものを見ながら行けるのも自転車のいいところ。
初めての街を楽しみながら見ていこう。
しかし静岡市、思った以上にしっかり都会である。
それでいて少し足を伸ばせば自然は大量にあるし、ここからでも富士山はまあまあ見える。
こりゃなかなか良いところなのでは……?
おや……?
あの遠くに見える幼少期に死ぬほど見たマークは……!?
TAMIYA(株式会社タミヤ)!!
そう、タミヤは自分の幼少期をミニ四駆で彩ってくれた会社なのだ。
車好きである父は、自分を含めた兄弟たちみんなに湯水のようにミニ四駆のパーツ代を注いでくれた。(あとコース代や電池代も)
自分たちはギヤ比だとかベアリングだとかは全くなんのこっちゃながらも、「速くなったらいいな!」という希望を胸に、テキトーにパーツを組んで楽しんでいたのだった。
なんだかあらためて思い出すと知能の低さが垣間見える話ではあるが、まあ楽しかったから良し!!
なお、父は「これで息子たちも車に興味を持ってくれるぞ……!😊」なんてことを考えて自分たちにミニ四駆を買い与えてくれたのかもしれないが、
現在に至るまで、兄弟全員全く車に興味なしという惨憺たる結果となっている。
(親の気持ち考えろよ……!)
いや〜しかしタミヤが静岡に本社があったなんて知らなかった!
なんでも、静岡市はそもそもプラモデルの街として有名だそうだ。
かつては潤沢な木を使用した木製の模型産業が盛んだったのだが、戦後プラモデルが入ってくると、「木工ではできなかった表現ができるぞ!」ということで各社がプラモデルへと華麗に乗り換え、技術を磨いていったらしい。
静岡のイメージはお茶しかなかったが、これは意外な情報だ。
そして近くの看板が「−痔 END−」と「お茶のタミヤ」というカオスさ。
色んな意味で良いもの見れたなと思っていると、近くにタミヤ発祥の地の石碑があった。
この石碑の出来た経緯も調べたら面白そうではあるが、まあ今日の目的地はタミヤじゃない。
自転車を走らせる。
いやなんかまた「タミヤ」が見えたんだが……?
しかもこっちはなんかさっきより建物がすごい!?
まあそりゃそうである。こっちが本当の本社なのだから。
(さっきのはタミヤの物流センターだったらしい)
なにやら中に入れば木製模型時代からのタミヤの歴史が学べるとのこと。
だがしかし、今日は別の目的地があるのだ。
涙を飲んでスルー……!
はい。というわけで今日も博物館です。
いやはや……この趣味は全く飽きる気がしない。
周囲には再現された穀物庫が見える。
そう、ここは登呂遺跡。
弥生時代の集落の実態を初めて学会に提示した、国の特別史跡だ。
(戦時中に工場作ろうと思ったら見つかったらしい)
さてさて、どんなものが見られるのやら……!!
本日は閉館致しました (月曜日)
…………。
……まあ、こういうの初めてじゃないから。
切り替えていこう。
ほら、再現された住居跡とかは見れるしさ!
はは……
次回へ続く…!