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『スーツ=軍服!?』(改訂版) 第78回

『スーツ=軍服!?』(改訂版) 連載78回 辻元よしふみ、辻元玲子
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。
 
「ビキニ」はなんと、原爆実験から命名

女性用水着は上下に分離して以後、徐々に肌の露出が大きくなった。大戦後の一九四六年、フランスのデザイナー、ジャック・エイムが「世界一小さな水着」として「アトム」を発表。これに対抗して、同じくフランスの工業デザイナーだったルイ・レアールが、さらに必要最小限の生地に限定した水着を考案し、「世界一小さい水着より小さい水着」として売り出した。
レアールはこれを「ビキニ」と命名した。ちょうどこの年、アメリカ軍がマーシャル諸島のビキニ環礁で原爆実験をしており、これと同じぐらい世界を震撼させるだろう、という思いからだった。
こうして登場したビキニだが、最初は大胆すぎて普及せず、六〇年にアメリカでブライアン・ハイランドが歌う「ビキニスタイルのお嬢さん」がヒットしたが、この内容も「小さい小さい黄色の水玉ビキニ」を着た女性が恥ずかしくて大胆になれない、というものだった。
六〇年代まではビキニ禁止の海水浴場も多く、一般的になるのは七〇年代以後。こうして今ではごく普通の水着スタイルのひとつとなるが、女性が大胆になるまでには長い年月が必要だったのだ。

チャーチルの特別製のものを守った特製の下着

最後に、007愛用のシャツを作る、英国の名門ターンブル&アッサーについて一言。一八八五年にレジナンド・ターンブルとアーネスト・アッサーが開いたシャツの店で、第一次大戦後に派手な柄のロンドン・ストライプのシャツを売り出し、評判を取った。フランスのシャルベと並ぶシャツの名門だが、高級下着も作っている。下着の有名ブランドにもいろいろあって、たとえば女性下着から男性下着専業に転換して成功したスイスのツィメリーなど別格だが、ターンブル&アッサーが扱うのは、特別あつらえの下着だ。
戦時中、顧客のウィンストン・チャーチルが、空襲に怯えて市民が逃げ惑う中、責任者の首相がぜいたくな同社の下着の特注を続けているのはいかがなものか、と議会でかみつかれたことがある。当時はドイツ空軍の猛攻が連日続き、海上輸送路はドイツ潜水艦Uボートの攻撃で塞がれ、さすがの英国民も生活が窮迫し、ドイツ軍の上陸間近を予感して恐怖におののいていた。衣料品も配給制が敷かれていた時期である。
しかし、慌てず騒がずチャーチル首相は言った。
「ワガハイの一物は特別製であり、特別製の下着が必要なのですよ」
戦争のさなかにもこの余裕。こんな人物あればこそ、と頼もしく思える。戦時下の日本が上下を問わず倹約、倹約と騒いでどんどん窮屈になり、お寺の鐘まで供出して兵器を作ろうとし、冷静さを失い、一億玉砕などと偏狭なヒステリー状態に陥っていったのとは、およそ異なる。ぜいたくにも精神的余裕のために必要なものがあり、そして、非常時にこそ精神的な余裕を保つことが大切ですよ、と。見事なものである。


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