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「スーツ=軍服!?」改訂版 第32回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載32回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
注文あつらえにも段階がある

ここでちょっとわき道にそれた余談だが、同じ注文あつらえといっても、いろいろある。型紙からの完全なフルオーダー・カスタムであるビスポーク、原型があるものを微修正して体形に合わせるイージー・オーダーあるいはメイド・トゥ・メジャー(ス・ミズーラ、シュ・ムジュール)、そして簡易なパターン・オーダーと段階がある。ここは押さえておかないと話が混乱する。そして実際問題として、パターン・オーダーであってもビスポークと名乗ったり、またビスポークの意味でス・ミズーラと言ったり、けっこう国によりお店により業者により、または筆者により用語に混乱があることも知っておく必要がある。
最高レベルという意味でのビスポークというのは英語にしかないようで、イタリアなどではその最高レベルと、簡易のレベルのものを同じく「ス・ミズーラ」と称するようだから(これは落合正勝氏のクラシコ・イタリア関連の著作にある)気をつけないと予算がとんでもなく違ってしまう。当然ながらその段階で、百万円クラス、十~三十万円クラス、十万円以下といった目安にもなるので、注文あつらえにも程度があることは知っておく必要がある。

コネリーのボンド

さてそれで、初代のショーン・コネリーはサヴィル・ロウのフルオーダー・ビスポーク・スーツであった。典型的な英国紳士のたたずまいをテレンス・ヤング監督が求めたからである。原作のイアン・フレミングも相当に服飾にうるさく、原作小説にも描写があるのだが、タイトなスーツに黒いシルクニットのタイといういでたちが、ボンドの基本形である。世界中どこに行っても英国紳士そのものを押し通す。どうしてそれでスパイが務まるかとも思うが、頑固でふてぶてしいところが人物像である。ヤング監督は、自分がお気に入りだったテーラーのアンソニー・シンクレアを起用した。「ドクターNO」のためにシンクレアは三着のスーツを用意したというが、濃紺とグレーで、非常にかっちりした、いかにも英国式スーツだった。その後、コネリーが演じている間は、シルエットは少し当時の流行に合わせてコンチネンタル調に変化したが、シンクレアのスーツが用いられたようである。
一説によれば、皮膚のようにスーツを着こなす完璧な英国紳士、というイメージを作るために、コネリーは第一作の撮影前に役作りとして、二十四時間、寝るときもスーツを着るように命じられたそうだ。というのも、この時点で007はごく低予算のあまり期待されていない映画であり、コネリー自身もごく無名の役者で、高級スーツなどろくに着たことがなかったのである。

レイゼンビーのファッショナブルな007

二代目で、「女王陛下の007」一作にしか出なかったジョージ・レイゼンビーは、モデル出身の優男であった。野性味のあったコネリーとはタイプが違う。その衣装担当はシンクレアから、ディミ・メジャーに代わった。コネリー時代よりファッショナブルになったのは確実で、前にはなかったジャケット姿なども登場した。映画の中では、コネリーと同一人物と印象づけようとする演出が多いのだけど、とても同じ007には見えなかった。その理由には衣装の雰囲気の相違もあったらしい。
レイゼンビーは、はっきり言ってファンから不評だったために、ボンド役者としてはすぐに解雇となった。急遽、ピンチヒッター的にショーン・コネリーがカムバックしたのが「ダイヤモンドは永遠に」だ。ところが、この映画でのコネリー=ボンドはいくらか年を取った上に、クリーム色のスーツなど着込み女の子といちゃつくシーンが目立って、かなり印象が変わった。007の人気ぶりに、アメリカのテーラーから「アメリカを舞台にするシーンではアメリカのブランドを使って欲しい」という要望があったそうである。しかしタキシード姿でわざわざ敵の本拠に乗り込む気障ったらしいシーンなどは印象深かった。

ロジャー・ムーアはエグゼクティブ風

金髪の洒落男、三代目ロジャー・ムーアは、シリル・キャッスルで仕立てたスーツを着用した。ストイックだった服装の色調も変わり、どちらかというとカジュアルなブラウン系なども着るようになった。無地が多かったこれまでに比べ、ストライプのダブルのスーツなど、エグゼクティブのような服装も見受ける。ジャケット&スラックス(日本のファッション雑誌などではジャケパン姿などというスタイル)もよく見せる。
一九七八年にムーアが南仏に移り住んだ後は、ダグラス・ヘイワードの衣装に替わった。アメリカでボンドがCIAの職員と共同作戦をとったときなど、地味なトレンチ・コートのCIAと、仕立てのいいチェスターフィールド・コートのボンドは好対照だった。


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