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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第86回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載86回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

あまりにも有名なドイツの鉄十字勲章

さて、ここで戦功勲章としては最も有名なドイツの鉄十字勲章(アイザーネン・クロイツ)を取り上げようと思う。ドイツの前身プロイセン王国でも黒鷲勲章、赤鷲勲章など国王直属の騎士団の勲章は存在したが、やはりナポレオン戦争の時代となって、もっと身分制度と無関係に、功績のあった将兵をたたえ士気を高めるような新時代の勲章が必要となったのである。
すでにフリードリヒ大王が同様の趣旨で一七四〇年にプール・ル・メリート勲章orden pour le meriteを制定している。フランス語で「汝の功績に」という意味の名称で、貴族出身でない平民でももらえるようにしたのは、当時として画期的だった。同勲章はプロイセンの最高軍事勲章となっていたが、基本的に相当な功績がないと授与されず、また対象も、貴族・平民の身分差別は撤廃されたとはいえ、将校以上に限られた。もっと対象範囲が広く、一般国民から徴兵した下士官兵にも授与できる勲章が必要とされたのである。
プロイセンの新しい勲章は、純粋に戦争での活躍をたたえる戦功勲章として制定された。この点で非常に新しい考え方のものだったといえる。また等級も単純明快で、ほぼ下士官兵用と想定された二級鉄十字勲章、将校以上用の一級鉄十字勲章、軍司令官クラスを対象とした大十字鉄十字勲章が設けられて三等級制だった。
しかし大まかなランク付けはあっても、基本的には貴族・平民の身分も、軍隊内での階級すら考慮せず、よくやった人にはよい勲章、という実力本位の勲章となっていったのである。もっとも有名な例は第一次大戦における伍長勤務上等兵アドルフ・ヒトラーの一級鉄十字章叙勲であろう。相当に例外的とはいえ兵士にも叙勲のチャンスがあったという実例である。ヒトラーは総統になっても終生、胸にこの一次大戦の鉄十字勲章を着用した。自分が最高権力者なのだからもっと上位のどんな勲章もお手盛りで自分に授与できたわけだが、無名兵士時代に実力で獲得したこの勲章に愛着があったのだ。
ナポレオン戦争のさなかの一八一三年、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世(一七七〇~一八四〇)がこの勲章を制定。当初は布製のリボンを組み合わせた十字形の飾りだったが、常用するには脆く、デザイナーのカール・フリードリヒ・シンケル(一七八一~一八四一)がシンプルな金属製の鉄十字のデザインを提案、これが採用されて以後、長きにわたりドイツを代表する勲章となった。シンケルは後に建築家として大成し多くの建築物を残すが、彼の畢生の作品の一つは無名時代に考案したこの勲章に違いない。
この勲章は平時には授与されず、プロイセン、ドイツが戦争するたびにその都度、再制定される。ナポレオン戦争版(一八一三)、普仏戦争版(一八七〇)、第一次大戦版(一九一四)、第二次大戦版(一九三九)がある。オリジナル版は1813と制定年が刻まれ、その後のものは表面に新たな制定年、裏面にオリジナルの1813が刻まれた。
ナポレオン戦争での勝利の後、その立役者のゲプハルト・フォン・ブリュッヘル元帥には、もっと上位の、大十字鉄十字勲章やプール・ル・メリート勲章よりも上位の勲章が(救国の英雄だから当然ではある)必要とされ、大十字鉄十字勲章星章が制定された。星形の装飾がついた巨大な鉄十字勲章であり、ブリュッヘルの星(ブリュッヘルシュテルン)の異名がついた。この後は、第一次大戦でやはり救国の英雄とされたタンネンベルクの戦いの覇者、パウル・フォン・ヒンデンブルク元帥(後の大統領)が授与されたのみである。
第一次大戦までは、一部の司令官クラスは大十字鉄十字勲章を、また功績の高い将校はプール・ル・メリート勲章を首からリボンでつり下げ、それ以下の将校、兵士は左胸に一級、二級の鉄十字勲章を着ける、ということだった。特に二級については、リボンだけをボタンホールに飾るのが一般的だった。
第二次大戦では、王室・皇帝をいただかない中で、王室との結びつきが強いプール・ル・メリート勲章に代わる新たなナチス版の上級勲章が必要となり、首からリボンで下げる騎士十字鉄十字勲章(リッタークロイツ・デス・アイザーネンクロイツ、一般には騎士十字勲章)が制定された。ドイツ軍人が詰め襟の制服を好んだ一つの理由と思われるものである。さらに戦争の進展に伴い、柏葉付き騎士十字勲章、柏葉剣付き騎士十字勲章、柏葉剣ダイヤモンド付き騎士十字勲章、黄金柏葉剣ダイヤモンド付き騎士十字勲章が相次いで制定された。最高位の黄金……は、実に六百台近いソ連戦車を破壊した空軍地上襲撃航空団のエース、ハンス・ウルリヒ・ルーデル空軍大佐だけのために作られたものだ。これらの騎士十字勲章は身分も階級も全く不問で、功績が大きければ無名の一兵士にも与えられた。騎士十字勲章は総統から直にもらうもので、持つ者の威信はきわめて大きく、これをのど元に光らせている者は大抵のルール違反も見過ごされ、また将官用のホテルの宿泊が認められるなどさまざまな特権があった。
また、第二次大戦では、英国あるいはソ連を降伏させた暁には、空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング国家元帥にナチス版の星章が授与される予定があったが、ご存じの通りの結果なので実現しなかった。ただし、ゲーリングに対しては、対仏戦での功績をたたえ大十字勲章が授与された。これはナチス時代にはゲーリングただ一人に与えられたものである。


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