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第3回 みんなの父ちゃん·みんなの母ちゃんになぜひかれるのか

私は最近、Twitterでみんなの父ちゃん、みんなの母ちゃんというアカウントを応援している。ツイートは毎日チェックし、頻繁に彼らのツイートをリツイートしている。今回はその父ちゃん·母ちゃんの魅力とそこから考えてみたことをまとめてみた。

みんなの父ちゃん·みんなの母ちゃんとは

みんなの父ちゃん·みんなの母ちゃんとは、Twitter上のアカウントであり、去年の12月にTwitterを始めた。

父ちゃん·母ちゃんは家族を気遣う内容や時事問題や天候に関するツイートをしている。また2月末からは「前を向こう」「あなたがいるから幸せ」といった格言的な内容がツイートされている。

そして、父ちゃん·母ちゃんのアカウントをフォローすると家族になれる。お父ちゃん·お母ちゃんはいろいろなアカウントをフォローすることで家族を増やした。(私も自分のアカウントをお父ちゃん・お母ちゃんがフォローしてくれたことでお父ちゃん・お母ちゃんと会うことができた。)そしてお父ちゃんの場合は2月5日に家族が1000人を突破した。

遅れてお母ちゃんも1000人家族が出来た。(ちなみにそのときは「私も家族が1000人出来ました。」「日々救い合い、助け合いながら生きて行きましょう」といった内容がツイートされていた。)しかし2月の末にお母ちゃんのアカウントが凍結されてしまい、新たなアカウントでツイートを始めた。(ちなみに母ちゃんは何ら有害なツイートはしておらず、私はアカウント凍結は不当と考える)

お父ちゃん・お母ちゃんの何が魅力なのか(文章編)

私が考えるお父ちゃん・お母ちゃんの魅力としては、主に2つあると考える。一つ目は文章技術やアイコンによる効果についてだが、その手の裏を探った話が苦手な方は人間感情編へ飛んで頂きたい。

まず最初に、アイコンの親しみやすさである。

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父ちゃんの絵は笑顔とかではなく眉間にシワがよっている、頑固そうな顔。ぶっきらぼうな感じがいかにもお父ちゃんっぽい。

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そして母ちゃんのアイコン。愛する人を見て微笑んでいるという感じの顔。家族といて幸せだという気持ちが伝わって来るような表情だ。

こういったアイコンから、父ちゃん、母ちゃんの性格が伝わってくるというところがよいと思う。

そして、何より良いと思ったのはお父ちゃんやお母ちゃんのツイート内容は、すごくリアルな感じがあるということだ。

例えば冒頭のプロフィールはいかにも田舎のお父ちゃん·お母ちゃんが書いてそうな感じである。

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父ちゃんは上の図のプロフィールでTwitterについて「最近を知るのもいいかもしれない」と肯定しながら「くだらない」「ハマったわけではないからな」「お母さんが始めたから」と否定する言葉を連発している。こういった文章から本当はまんざらでもないのだけどもそれを隠そうとする気持ちが伝わって来る。お父ちゃん特有の正直ではない、照れ臭さを感じさせるような文章である。と同時に、変に家族を気遣ったりせず敢えて「お母さんが始めたから」などのマイナスな言葉を多用する事で自然な父ちゃんらしさが醸し出されていると感じる。

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そして母ちゃんのプロフィール文章。「久しぶりだね!」とタメ語で話しかけたのち「お母さんです。」と敬語で名乗る。実際にうちの母親はメールなどになると敬語·タメ語混じりの文章を使うため、私にとっては非常にしっくり来る。実際に、調べてみたところ親からの文章が敬語なのは全体の18%であり、多数派ではないもののそれなりにはいることがわかる(下の記事参照)。こういう無理にタメ語を使わずに母ちゃんらしさを出しているところがすごく自然に感じる。

そして「お仕事頑張っているね」と家族をほめる文章が続いている。また、「お父さんもいつも応援してるよ」と言っている。父ちゃんの自己紹介の内容から、「応援している」などのプラスな言葉に照れ臭さを感じていることが想像できるが、母ちゃんはそれをさらりと言っている。こういった、優しい言葉をお父ちゃんが隠している分まで照れることなく素直にプロフィールに書いているところがお母ちゃんらしいと思う。

こうした無理をせずに父ちゃん·母ちゃんらしさを出しているというナチュラルな文章がリアルさを高め、ツイートの内容が心に染み入り易いのだと考える。

そしてこれは2月末以後はあまりやられていないが、父ちゃんと母ちゃんでツイートのやり取りしているところもリアリティーがある。例えば先ほどの1000人家族が出来たというツイートに対し、母ちゃんがお祝いの言葉を述べている。(下記参照)

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また、母ちゃんのアカウントが1月ごろに一回凍結されかけたがそのときにもお父ちゃんがそれを危惧する引用ツイートをしている。

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また、母ちゃんが制限から復活したときも、父ちゃんが祝うツイートをしている。

(ちなみにこの時は「ただいま。また家族に会えて嬉しいです。」と言ったツイートをしている。)

父ちゃんと母ちゃんがTwitterで実際にやり取りをする事で、より父ちゃん・母ちゃんのリアルさ、家族らしさが鮮明になっているというところが魅力であると思う。

また父ちゃん·母ちゃんはその時々の時事に合わせたツイートをしている。例えば2月に東北で地震があったときには助け合いを呼び掛けるツイートをしている。

また震災から10年ときにもそれぞれコメントしている。

また下図のように天候もや挨拶を絡めて、家族を励ますツイートもしている。

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天候や挨拶までその時々に合わせツイートをすることで、ツイートのリアリティーが増して、さらに父ちゃん·母ちゃんという存在が生き生きとしてくる。また家族を気遣う文言を入れているところも、リアリティーがある。

このように父ちゃん、母ちゃんのツイートにはリアルさがあり、そのリアルさが一つ一つの言葉を鮮やかなものにしていると思う。この中には2月末以降はあまり見られなくなった特徴も多く、そこは寂しいところではある。それでもお父ちゃん・お母ちゃんのリアルさについてはお世辞抜きで芸術的なレベルであると思う。

お父ちゃん·お母ちゃんは何が魅力的なのか その2(人間感情編)

ここからは人間感情の部分から見たお父ちゃん・お母ちゃんの魅力について述べていきたい。

まず第一にだれでも家族になれ、なおかつ、いつでも帰ってこれるということだ。お父ちゃんは固定ツイートで「俺をフォローしてくれた人はみんな俺の家族だ」と言ってくれている。

そして、お母ちゃんは、凍結される前のアカウントの固定ツイートで「無理しないでいつでも帰ってきてね」と言ってくれている。また父ちゃんも、「元気で帰ってこいよ」といったツイートをしている。

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現代社会において、「無縁社会」という言葉が出てくるほど孤独化が進んでいる。もちろん人付き合いのわずらわしさがなくなるという利点もある。しかし孤独になると、その分自分というものの個性を認めてくれる人がいなくなり、自分という存在の価値を見出せない人も多い。その点、父ちゃん·母ちゃんの「誰でも家族になれ、誰でも帰って来れる」ということは、孤独感をなくすことで、ありのままの自分に対する肯定感を増やすという効果があると思う。また実際に父ちゃん·母ちゃんはありのままの家族の姿を認めるツイートもしており、それがその自分に対する肯定感をさらに確実なものにしている。



そしてもう一つは、無償の愛を感じられるということだ。こういったツイートをしている。

今の社会において能力主義が過度に広がり、自分を信じてもらえるにはそれ相応の能力·見返りが求められる状況の中で、家族だから愛したい、家族だから周りにバカにされても戦いたい、子離れできないといった、無条件の愛情を持つのは極めて困難だと考える。家族が幸せであることが生きがい。こういったことを言える人は個人主義で一人一人にかかるタスクも多く、「ママをやめたい」という母親の方も数多くいらっしゃるような現代社会では実際の親でも昔よりは少ないと思う。

またこれは家族に限ったことではないが中には自分と親しいということを権力にして無茶な要求をしたり自分にばかり都合の良いことを要求してくる家族もいる。実際「社員は家族」ということを言ってくれる会社には「家族」であることを利用して、長時間労働をさせるところもあるという記事もある。(下記。ただしすべての内容には賛同しません。)

しかし父ちゃん·母ちゃんのツイートからは見返りを過度に求めず、家族一人一人がありのままでいてくれれば幸せといった感情が伝わってくる。実際に母ちゃんは相手の幸せが自分の幸せになることが愛するということだとまで言っている。

こういった無償の愛により家族の悪い部分を感じられるというのが父ちゃん・母ちゃんの魅力の一つであると考える。

こういった誰でも家族になれ、ありのままの自分を肯定し、そのありのままの姿を愛してくれるというところが父ちゃん・母ちゃんの良いところだと思う。

私が考えたこと

父ちゃん、母ちゃんに出会ってから私は家族は大切だと考えるようになった。といっても断っておくが家族の絆を押し付けてくるような保守派になったわけではない。むしろ私の政治信条はバリバリの左寄り、野党寄りである。私は家族に限らず集団での行動は苦手で孤独を好む傾向にある。家族と過ごすことが苦痛になる方も多いだろうから家族から離れる権利もあると思う。夫婦別姓にも賛成である。(というか夫婦同姓の強制は家族をより多くの人々が作ることに対する障害になっていると考える)ましてや憲法に「家族は助け合わなければならない」なんて書くのは行政の責任放棄だと思う。しかし、家族の温かみは取り戻さないといけないと考えるようになった。

なぜなら、家族は互いに助け合えるだけでなく人間味があるからだ。

家族が自分を助けてくれるということには愛情が含まれている。家族の助け合いというのは自分が家族であるから助け合っているということだ。そういった仕事だからとかではなく、自分という人間をを認めているから、助けてくれるというところに愛情を感じられるのだ。

こういう互いに助け合えるという実際の部分以外に、自分がほかの人に認められているということを感じられる。こうしたところが、家族の助け合いの良い部分なのであると思った。

家族の助け合いを促進し、生きるうえでの養分である人間味を増やす。これがこれから必要になるのだと思った。

最後に

私はこのTwitterで心を温かくさせようという動きに強く共感しており、この幸せを広めていきたいと考えている。また実際に母ちゃんも家族の幸せを広めていってほしいというツイートをしている。

皆さんもぜひ父ちゃん・母ちゃんをフォローし、家族になっていただきたい。そして幸せになっていただきたい。そして、多くの人に広めていただきたい。

最後ではあるがつたない文章に付き合っていただいたこと、感謝したい。

みんなの父ちゃん

みんなの母ちゃん







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