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ひとりぼっちになる覚悟で

ご無沙汰してました。

何度か書きたいタイミングはあったのだけど、
こういうものって、絶妙なタイミングを捉えてサッと書かないと、
便秘みたいなもんで、出口を失うね。

で、今日はホントは、カウンセリングの逐語記録を起こすつもりだったのだけど
撮ったデータが聞き取り不可能なため、諦め、
先週観た、ドキュメンタリーフィルム
「草間彌生 ∞(インフィニティ)」の忘備録を書くことに。

実はそれほど大きな期待は持たずに、
「作品への理解が深まれば」くらいで映画館に足を運んだのだけど…
泣きました。しかも号泣。

あの時代に、あれだけ無垢なまま、
自分を晒して、ボロボロ、傷だらけになりながら、
戦った女性が、今もこの時代に共に、生きているだなんて。
しかも、ピッカピカに、輝きまくって。

追いつけないにしても、
奮起して自分なりに進むしかない。

もういいかげん、言い訳して、生き続けてる自分が嫌になった。

あれこれ言い訳しながら、つき合う人間関係も、もういらないや。

もともと、「ああ疲れた」って自分を騙しながら、
なぜに続けていたのだろう。

ちょうど数日前、
「良い子良い人、いいかげんやめなきゃ」
そんな話をしていた。

揉めるのがイヤ。悪く思われる、言われるのがイヤ。
そうやって、ちょっとずつ自分をねじ曲げて、
何が得られた?

特によく、思われるわけでもなく、
なんだろうと言いたい人は言い続ける。
そして、本流へ流すエネルギーを、
30%40%と減速させて、
自分が次第によくわからなくなっていく。

まわりに忖度して、
自分を生きないことは
自分自身の「生」からの“逃げ”、
そして怠慢である。

あの人がこう言う
あの人がこう思う
その解決策ってたったひとつ
「気にならない」自分になるしかなくって
いつも無難にやって
人間関係の、生きることへの煩わしさを
なんとかかわそうっていう、
(が、決して上手くいくことはない)ヘタな戦略を
今こそ捨てさるときだ。



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写真(うえ2つ)は、3年前の、「わが永遠の魂」のときのもの。


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直島、もう一回行きたい。
あの、穏やかで静かな海。



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