人間歴27年最終記

今日は7月7日。

世間では、例のカップルが勝手に一年に一度しか会わない条約をこの日に設定してくれたおかげで七夕だなんて呼ばれている。

まだ梅雨も明けきらないこんな日に「晴れたら会おうね」とか言っちゃってる時点でこの日を候補に出した方はあんまり会う気はないんだろうな。

これにあやかってスーパーや駅などいたるところで短冊に願い事を書いて吊るすイベントさえ催される。

もうあのカップルよりも自分の願望の方が勝ってるあたり人間味が感じられてなかなか面白いイベントではあるけど。

だれも今年は会えるかしらなんて肝を冷やしている人はいないのだろう。

どうも人間は他人については興味が薄いらしい。

しかしおれはこれまでの25年間ほどは肝を冷やしていた。


おれの誕生日みんな覚えてくれているのかしら、と…。


明日で人間を始めて28年目に突入する。

昔も今も誕生日になるとそわそわする。

これは、もしかすると誰かに祝われるのではないかと。

でも実際「おめでとう」と祝われても少し恥ずかしいし、それを聞きつけた周囲の人間はこれ見よがしに「おめでとう」の連射をかましてくる。

どうやら輪の中心になるのが苦手なようだ。

スポットライトをあてないでくれ状態になる。

舞台俳優のくせに。

これには「おめでとう」に対するうまい返しが分からないと言うちゃんとした理由もある。

これまでの全27回(赤子時代も数える)の誕生日はすべてうまい返しを見つけられず失敗に終わっている。

毎年失敗から始まる新たな歳。

だけども、毎度「忘れてないかしら」とドキドキするのだ。

非常に面倒な人間に育ってしまった。

そんなおれにも毎年誕生日を祝ってくれる人がいる。

そんな友人たちとは、LINEのスタンプをプレゼントしあうのだ。

あって困らないし、高いものでもない。

相手の趣味や、自分がどう捉えられているのか知れることが単純に楽しい。

是非これを読んでいる友人はスタンプをプレゼントして欲しい。

そして万札に帯を付けてポストに投函して欲しい。

人間歴28年目と言っても、実際生まれてから2、3年は記憶すらないのだから正しくは25歳と言っても嘘にはならない。

いや、さすがにそれは厳しいか。

このようにおれにとって誕生日を迎えること、歳を重ねることが嬉しくはないフェーズに入ったのである。

恐らく子供のころに思い描いていた「大人像」から遠くかけ離れていることが要因の一つだと思われる。

子供のころに接していた20代後半て、かなり大人の印象があった。

でも、実際大学1年生のころ大人だと見上げていた大学4年生が実際は社会的には子供であったということと同じ現象だと思う。

さらには、数十年前は仕事に明け暮れる落ち着いた人が大人であるという印象だったことに対し、昨今では若々しくプライベートも充実した人が良しとされるように時代も変わってきている。

こんな言い訳をつらつらと書き連ねてはいるけど、実際は納得のいく30代を迎えられない焦りを感じているのだと思う。

胸を張って今を楽しめる歳の取り方をしたいなと常々思う。


実際、あと何度迎えることができるかも分からない7月8日。

うちは癌家系でもあるし、僕自身健康的な日々を送っているかと言うとそうでもない。

かと言って、長生きしたいかと問われればそうでもない。

身体的に生活が困難になる前には死んでおきたいと思う。

両親を見送るくらいはしたい。

結婚や子供、家族なんてのも分からない。

200歳を迎えられるくらいでいい。

それでも最近は大切な人と新しい一日を迎え、そして一日を共に終える、そんな風に誰かと時間を共有することの素敵さを理解できるようにはなった。

これは結婚に限った話ではないけど、これを素敵だと思えるようになったのだ。

今まで結婚だとか人と生活するなんて自分には難しいと思っていたけれど。

街を歩いていて見かける家族の光景にその素敵を感じて微笑ましくなるほどに。

人間を27年してきて、最も良い変化のような気がする。

しかし、こればかりは自分だけには分からない。

やはり200歳くらいまでは粘りたい。


まだ何も知らない頃の継夏






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