見出し画像

錠粗悪會

 鉄の味が口の中に広がるなんていうけど、実際に口の中が血で満杯になると、血の味はやっぱり血の味でしかない。第一、鉄なんて齧ったことがないんだから鉄の味なんか分かる訳ない。
 遠退く意識の中で、そんなことをぼんやりと考えていた。
「おい、気絶してる暇なんかねぇぞ」
 顔をあげようとして左頬を殴りつけられた。衝撃に目の前がチカチカする。口の中の違和感を舌で探すと、最悪なことにまた奥歯が折れたらしい。当然、口の中もズタズタに切れていて、殴られ過ぎてもう訳がわからない。
 地下なのか、窓の類はなし。足元は水で流せるように緩やかな斜面になっていて、俺の血は溢れたそばから排水溝へと流れ出ていく。金属製の椅子に縛りつけられてるけど、服を着たままというのは唯一良かった事だ。
 血を吐き捨てると、折れた奥歯が床に転がった。
「いい加減、力を貸せよ。霊能力者さんよ。俺も手荒な真似はしたくねぇんだ」
「なら、止めれば?」
 もう一発。今度は鳩尾を思いきり蹴りつけられた。息ができない。胃の中身が喉元に迫り上がる。
「お前、一般人じゃないな。普通はもっと泣き喚くもんだ。これだけ痛めつけられりゃあな。その右腕も抗争か何かでなくしたのか?」
「事故だよ。俺は一般人。……真っ当な霊能者でもねぇよ」
 左眼の目蓋が腫れ上がっているせいで、まともに目が見えない。右眼でどうにか見える目の前の男は、いかにもヤクザと言った風体の大男で、ゾッとするほど表情がない。多分、今回みたいに人を攫って痛め付けるというのも日常茶飯事なんだろう。
 しくじったな、と今更ながらそう思う。普段から大野木さんの忠告を聞いておくべきだった。
「なぁ、お兄さんよ。俺はアンタに仕事を依頼したいだけだ。何も難しい事じゃねぇ。いつもアンタがそうしてきたみたいに、死者の声を聞いて欲しい。そして、答えを見つけてほしい。それだけだ。治療費も払ってやろう」
「へぇ、無事に家まで送り届けてくれるのかよ」
「当然だろう」
「嘘つけ。俺の経験上、アンタみたいな人間は用の済んだ人間を生かしちゃおかない」
 そんなマトモな人間が、こんなことをするもんかよ。
「お前、死ぬのが怖くねぇのか」
 どいつもこいつも同じようなことを言う。
「そんなの遅かれ早かれだろ。俺も死ぬ。アンタも死ぬ。死なない人間なんていねぇよ」
 違いねぇ、吐き捨てるように言って、男が血塗れのYシャツを脱ぎ捨てる。その血は全部、俺の返り血だ。あいつは血の一滴だって流しちゃいない。
「右眼で霊を見るそうだな。——なら、左眼はいらねぇよな」
 痛みのせいでうまく笑えないのが気に入らないけど、こういう時は強がると決めている。
「ふざけんな。勝手に人のチャームポイントを増やすな」
 男が残忍な笑みを浮かべる。
「なら最初からもう一度だ。歯が残ってる内に協力した方が身の為だぞ」
 冗談抜きでどうにもならない。
 怪異相手ならともかく、こういう純粋な暴力には為す術がない。

ここから先は

11,524字

¥ 300

宜しければサポートをお願いします🤲 作品作りの為の写真集や絵本などの購入資金に使用させて頂きます! あと、お菓子作りの資金にもなります!