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夜行堂亜譚 残香

 私がまだ小学生だった頃の話だ。

 当時、私の家は学校から徒歩で30分ほどの場所にアパートを借りて暮らしていた。

 そこには歳の近い子供がたくさんいて、みんなでよく近くの空き地で鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりして遊んだ。夏の季節なら、それこそ陽が暮れるまで遊んでいたのをよく覚えている。

 男の子も女の子もいたけれど、女の子同士で遊ぶのはやはり楽しかった。それぞれが自分の大切な人形を家から持ってきて、空き地に広げた敷物の上でお人形遊びをするのが、何よりも一番好きだった。

 特に仲が良かったのは、道路を挟んだ向こう側の家に住んでいた桃花ちゃんだ。髪の毛がサラサラで、いつも良い匂いがした。

「お母さんが金木犀の練り香水をつけてくれるの」

 幼かった私は、桃花ちゃんから漂うその香りが大好きだった。金木犀という木があると知ったのは、それから数年が経ってからのことだったけれど。

 桃花ちゃんはおっとりとした性格の割に物怖じせず、意外にも行動力があった。それもあってか男の子にも人気があったけれど、彼女はいつだって私の傍に居たがった。それが、密かな私の自慢だった。

 きっかけは、誰から言われたのかさえよく覚えていない。ほんの些末な一言だったように思う。

 けれども、それまでは思いつきもしなかった私と彼女の違いを自覚するには、充分過ぎるものだった。一度比較し出すと、その差がありありと浮き出てくる。

 立派で綺麗な一軒家に住んでいて、沢山の玩具を持っていて、綺麗なお母さんがいつも美味しそうなクッキーを焼いてくれる。

 お人形みたいな瞳に、高く澄んだ声、肌は透き通るように白い。可愛い服をたくさん持っている彼女の隣を歩いていると、自分のことが酷く惨めに感じるようになっていった。

 二年生の終わりに、本当に些細な理由から喧嘩をしてしまった。私は桃花ちゃんを罵倒し、嫌味をぶつけた。彼女は私に比べて口がよく回る方じゃなかった。衝動的に言葉を使わず、しっかりと考えてから口にするタイプだ。だからこそ、口喧嘩で私が彼女に負ける筈がなかった。私はたくさん酷いことを言った。思ってもいないことを、ただ彼女を傷つける為だけに口にしたのだ。私たちはお互いに泣きながら相手の悪口を言い合った。それから仲直りする機会もないまま、春休みに入った。

 三年生になった時にクラスが離れ、習い事を始めた彼女とは少しずつ会う機会も減ってしまった。遊ぶ友達も次第に変わっていき、いつの間にか疎遠になった。

 それでも、決して嫌いになった訳じゃなかったのに。

 また昔のように遊びたい。そう思いながらも、仲直りをするきっかけを掴めずにいた。

 

 六月七日のことだった。

 本格的な梅雨に入る直前、激しい雨が朝から激しく降りしきっていた。

 夜、夕食を終えて家族でテレビを見ていると一本の電話がかかってきた。受話器を取ったのは母で、驚いた様子で何事か話していたかと思えば、血相を変えて私の名を呼んだ。

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