家業を継ぐとは新しいことに臆せずチャレンジしていく覚悟。継創(ツギヅクリ)トークvol.1を終えて
代々つづく、家の仕事を「家業」(かぎょう)と呼ぶ。
日本には長く続く「家業」(かぎょう)が多くあり、その数は世界の中で一番だと言われている。『ものづくりのまち』すみだにも、家業を持って生きる人が沢山いる。その中で、世代を越えたヒストリーをひき継ぎ、あらたなプロダクトやサービスを創りだし、次のステージに挑戦する人たちがいる。
「継創」(ツギツクリ)トークは、墨田区で家業を持ち挑戦している人にフォーカスを当て、新規事業や取り組み事例、家業ヒストリーの紹介を通じて、リアルに繋がる交流イベントだ。
2023年7月6日、大手町にある3×3 Lab Futureにて「継創(ツギヅクリ)トークvol.1〜家業×クリエイティブ×ものづくり〜2023」は行われた。参加人数は対面、オンライン合わせて延べ30名ほど。第一回目にも関わらず、多数の方にご参加いただいた。
気になる登壇者は2名。
株式会社石井精工 取締役 石井洋平
株式会社片岡屏風店 専務取締役 片岡孝斗
(事業のご紹介やお話しした内容は後述)
いずれも創業50年以上の老舗企業を継いだ若き挑戦者たちだ。
まずはじめに、墨田区職員(元産業振興主任主事)より墨田区のモノづくりにおける歴史、課題意識についてご説明いただいた。
いよいよ、登壇者の登場。一人目は石井精工取締役の石井洋平さんだ。
町工場に若者を。試行錯誤の末に見つけたもの~石井精工取締役に話を聞く~
石井精工は創業1959年、今年で64年を迎えるゴム成形用金型の設計・製造メーカーだ。そもそも金型とは何か。金型とは「同じ形状の製品を効率よく大量に生産する為の道具」である。金型業界において、ゴム型を作っているのは全体で3%程度。珍しいが故に閉ざされた業界であると洋平さんは話す。
自動車関連の会社に新卒入社した洋平さん。三年弱働いたところで、国内外での転勤の話が上がってきたという。そのタイミングでご家族の闘病生活が始まり、「将来家業を継ぐならば...」と会社を辞め、2011年に石井精工に入社。やる気に満ち、スタートしたはずが、前職の会社とのギャップにその思いはすぐ挫かれることとなる。
前職の職場は、主体性や責任感をもって働いている人が多かったが、家業である石井精工はというと、仕事に対する考え方や責任感が低い人が多くに感じ、先が見えなく、この先この会社でやっていくことに不安を感じたという。
そこで洋平さんは、常々興味のあったインテリアの仕事で将来独立を目指して、インテリアコーディネーターの資格を取得。父である社長に、覚悟を見せるため専門学校の入学手続きをし、入学金を払った状態で退職届を提出。社長と一か月ほど向きあう期間ができ、話を重ねていった。そして祖父の創業してからの想いや0→1の難しさ、どんな形であれ『1』のある尊さを再認識し、改めて自分は家業を守り成長させて行くべきと考え、「将来家業を通して、1→2,3を生み出し、最終的には自分のやりたい事も家業を守るってことにつながるようにやっていかなければいけない」と決心した。
気持ちが切り替わった洋平さんは、出来ることを増やして従業員に認めてもらうために誰よりも働いた。中でも社内の環境改善、意識改善を重点的に行っていった。徐々に会社は好転の兆しを見せ始め、自社製品「ALMA Aroma Pins(アルーマ アロマピンズ)」の開発に成功。開発に向けて動いたことで品質改善につながり、新たな技術創出が起きた。とりわけ、一番の目的でもあった人材の確保につながった。
ALMAは好調で、年々売り上げを伸ばしていく。若い人にも石井精工が認知された。しかし、ここからまたもや洋平さんの心情に陰りが見え始める。それは石井精工に興味を持ってくれた若者達は町工場が何か新しいことを始めたぞと、キラキラした世界を夢見て来る、が実際は9割がゴム成型用金型を作ってる実態、そのギャップに驚き離職率が急激に高まったという。町工場で長年やってきた職人と若者が相入れなかったのにも問題があったと洋平さんは語る。
人材を集めていくにあたり、夢見てくる若者の理想と実際とのギャップを埋めなければいけないと、募集の仕方を試行錯誤していった。コロナ禍に入ったタイミングだったことも機となり、石井精工はYouTubeを始めた。
YouTubeが功を奏してか、コロナ禍の時に入った5人の新入社員たちは現在も勤務を続けてくれている。そんな新入社員たちは石井精工の実情を知ったとしても、それを不満ととらえずに、課題として受け止めてくれているという。そんな彼らを大切に思い、洋平さんは若者が町工場に定着していくにはどうしていけばよいのかをこれからも模索し続けていく。
お二人目は片岡屏風店専務取締役 片岡孝斗さん。
新旧カルチャーの融合を目指して~片岡屏風店専務に話を聞く~
1946年、初代片岡治郎によって創業する。屏風の製造・販売全般を行う数少ない屏風の専門店。東京に残る、専門店として位置づけられている唯一のお店。
孝斗さんは、元々音楽大好きっ子。(現在もDJとしてステージに立つことがある)中学生の時に音楽の本場であるアメリカへ行く機会があり、そこで日本の文化に関して何も答えられない自分に悔しさを感じ、家業である屏風に目が向いたという。
大学を卒業したタイミングで二度目の渡米の機会が訪れる。今度は、外から見た日本を理解したいという思いを携えて行くことになる。日本語の美しさなどに現れる日本の大きなバックグラウンドを屏風を通じて伝えていきたいと、その当時から考えていた。このあたりの考え方が家業を継ぐ経緯でもあり、今も根底にある考え方だという。
帰国後、屏風の材料を作っていた新潟の企業に、一年間出向をする。「当時は行きたくなかったが、結果的に技術を学べたし、友達も出来たから良かった」と振り返る。一年の修業期間を得て、ようやく正式入社。職人として、自らの手で屏風を作っていく。
そんな中、2015年にHPをリニューアルした。ここが一つの転換期となり、それまでお雛様の問屋などを相手にBtoBのやり取りしかしてこなかったのが、アーティストとのコラボや記念日に撮られた写真を和紙に出力したものだったり、いわゆるBtoCの取引を行っていく。
2020年の2月にSNSを通して一人のスウェーデン人と交流を重ねるうちに、五人のアーティストとコラボした屏風作品をスウェーデンで展示することになった。
2022年には、その5人のアーティスト達を日本に呼んで、スウェーデン大使館で展示を行った。その後、毎年何かしらの機会があり、イギリス、イタリアで仕事をしている。
このころから、屏風が屏風ってだけではなく、家具としての屏風、アートとしての屏風に変容してきた。やりたいことができてきて、華やかに感じるかもしれないが、帰ったら家族が屏風を作っていて、アプローチの仕方の違いでぶつかることも屡々。そんな時でも、父である社長へのリスペクトは忘れていないという。
まとめ
最後に、お二人に質問が飛んだ。
家業・伝統・歴史などしがらみがある中で、新たな挑戦をする際に大切にしていることは?
洋平さん 新たな挑戦が家業を守っていくべきであって、逸脱しすぎないこと。
孝斗さん 価値を自分自身で定義していく。(海外を相手にすることが多いから)自信をもってアピールしていく。
お二人の姿勢の根底には、先代からの技術には敬意を払うが、そこには甘んじず、リスクは承知の上で常に新しい何かを模索し続けていく覚悟が感じられた。
素敵なお話をどうもありがとうございました。
お二人の家業が気になる方はHPをチェック!
【石井精工HP】
【片岡屏風店HP】
〇ファシリテーター 五十嵐寛之
五十嵐製箱株式会社 営業部副部長
日本ファミリービジネスアドバイザー協会シニアフェロー
創業1926年のダンボールケース製造業を家業に持つ。持ち運べるイベントブース「ハコベル」を開発。独自に「家業マルシェ」「家業部」を主催し、ファミリービジネスの理解を深めるための活動を展開中。
■主催
It’s(Inherit the Sprites)実行委員会[(株)石井精工、ツバメ研磨工業所、(株)片岡屏風店、五十嵐製箱(株)、キップス(株)、Ucycle LLC]
■協力
エコッツェリア協会
写真 細田侑
編集・執筆 林光太郎
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