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[ためし読み]『香港危機の深層 「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ』「はじめに」

香港で大規模なデモが発生・拡散した2019年の夏の終わりに企画され、その年末に緊急出版された『香港危機の深層 「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ』。その後、香港国家安全維持法が施行され、香港情勢は大きく変化し、また国際社会は民主主義とは何かを問われ続けています。

政治・法律・経済・社会・文化・歴史・台湾など多様な関連分野から研究者たちが香港問題の本質に迫った本書から、緊急出版をせずにはいられなかった背景を解説する「はじめに」を公開します。

【目次】
はじめに 倉田徹  ←公開

第1章  逃亡犯条例改正問題のいきさつ ―法改正問題から体制の危機へ 倉田徹
第2章  香港における法治、法制度および裁判制度 廣江倫子
【コラム】香港終審法院 ―法治の守護者 廣江倫子
第3章  「一国二制度」の統治と危機 ―複雑化する政治と社会の関係 倉田徹
第4章  香港に見る格差社会の「機会」の変容 ―若者の社会的階層の移動から 澤田ゆかり
第5章  ネットがつくる「リーダー不在」の運動 ―通信アプリ「テレグラム」から見る運動のメカニズム 倉田明子
【コラム】対外アピールの場としてのツイッター ―周庭氏インタビュー 倉田明子
第6章  香港人アイデンティティは〝香港独立〞を意味するのか? ―香港〝独立〞批判と〝自治〞をめぐる言説史から 村井寛志
【コラム】世界都市の舞台裏 ―マイノリティたちの苦悩 小栗宏太
第7章  わたしの見てきた香港デモ 小出雅生
第8章  香港ハーフから見た香港人の絶望と希望 伯川星矢
【コラム】香港デモの記号学 ―パロディ、広東語、ポップカルチャー 小栗宏太
第9章  新界、もう一つの前線 ―元朗白シャツ隊事件の背後にあるもの 小栗宏太
【コラム】村と祭りと果たし合い ―新界の「伝統」から考える元朗の白シャツ集団 倉田明子
第10章  共鳴する香港と台湾 ―中国百年の屈辱はなぜ晴れないのか 野嶋剛
口絵 香港デモ ―刻々と変動する現場から
香港年表・2019年反逃亡犯条例運動クロニクル
執筆者紹介

◇   ◇   ◇

はじめに

 中国は、西暦の下一桁が「九の年」に危機を迎えるというジンクスがある。一九八九年には北京で天安門事件が発生し、一九九九年には法輪功信者が北京・中南海(中央政府指導者の住居地区)を包囲したとされる事件が発生した。二〇〇九年には新疆ウイグル自治区で騒乱が発生した。そして、二〇一九年には香港危機の発生により、このジンクスはまたも当たってしまったということになろう。

 しかし、二〇一九年に香港が中国の危機の震源地となることは、おそらく前年まではほとんどの者が予想しなかったであろう。民主化や政治・社会の変革を求める街頭の政治活動や様々な社会運動は、政府からの強い圧力によって排除され、ほぼ「鎮静化」したと見られていたからである。

 二〇一四年、香港では、行政長官の「真の普通選挙」を求める市民が道路を長期にわたり占拠して民主化を求める「雨傘運動」が発生した。しかし、運動参加者の要求は中央政府に無視され、民主化は実現できなかった。北京が対話に応じないことから、雨傘運動後には香港の若者の「中国離れ」が進み、「一国二制度」の「五十年不変」が期限を迎える二〇四七年以降の香港の前途について、自ら決定することを求める「自決派」や、大陸よりも香港の利益を優先することを説く「本土派」などの新しい政治勢力が台頭し、香港の独立を訴える「独立派」まで出現した。雨傘運動によって政治に目覚めた彼らは、選挙で議席を得ることを目指した。しかし、これらの新しい主張は、中央政府と香港政府を完全に怒らせた。政府は二〇一六年以降、多くの新しい政治勢力の若者を「独立派」と断定した上で、これは「香港は中国の一部」とする香港基本法に違反する主張であるとの理由で、それらの人々の立候補手続きを無効とし、出馬資格を奪った。雨傘運動終結後には関係者多数が逮捕され、中でも「暴動罪」に問われた者には厳罰が科された。香港独立を主張する「香港民族党」は禁止された。こうして、雨傘運動後の政治運動は大打撃を受け、市民運動は「無力感」がキーワードとなった。親政府派の最大政党である民建連が、日本の清水寺で行われるイベントを模して年末に選んだ二〇一八年の香港の「今年の漢字」は「順」であった。抵抗運動に勝利し、政策や法律が順調に成立する状況が出現したはずであった。ところが、そのわずか半年後、香港は「順」はおろか、返還後最大の危機を迎えることになったのである。

 そう考えると、今回の危機については、実に多くの謎がある。なぜ、かくも根深い、長期にわたる危機が、突然に香港を襲ったのかということである。

 振り返ると、この危機の始まりは政治とは無関係の、一件の殺人事件であった。香港人の若い男が、交際中の女性を口論の末に殺害した事件の容疑者の引き渡し問題が、大国を揺るがす世界的ニュースになったこの香港危機の導火線であった。一体なぜ、問題は不断に大きくなり、ついには「革命」を叫んで警察官と激しく衝突するデモが毎日のように発生する、深刻な事態に至ったのか。

 そもそも「逃亡犯条例」改正問題は、刑事事件の容疑者の引き渡しの問題である。通常であれば、一般市民の多くに幅広く影響を及ぼす問題とも考えにくい(現に法改正を支持する側の者はそのように説明していた)。この改正案のどこに、「103万人デモ」(六月九日、人数は主催者側発表)や「200万人デモ」(六月一六日、同)が発生するほどに、市民に広く不安をもたらす法的な問題が潜んでいたのか。そして、香港の人々はなぜ、ここまで司法の独自性にこだわるのか。香港の「中国化」が進んでいると論じられている中で、香港の司法はどの程度、中国大陸とは違う特徴を持っているのか。

 また、香港の歴史を遡れば、英国植民地期においては、その不安定さが問題になることは少なかった。そもそも香港は「金儲けにしか興味がない」であるとか、「ノンポリ経済都市」などと、外から評されてきたのみならず、多くの香港人自身がそう自称する場所であった。民主主義が論争になることも少なく、民主化も英国主導による「上からの民主化」といわれ、政治運動も不活発であるとされていた。かつての香港政治研究は、民主主義を欠いた中での政治的安定確保の要因をそのテーマとしていた。なぜそのような過去の香港政治の特徴が吹き飛ぶほどの「政治化」が発生しているのか。

 そもそも、今回の危機も若者が中心の政治運動とされているが、現在の香港政治に不満を持っている層というのは、学歴や年齢層などのデータに照らせば、社会経済的側面ではどのような特徴を持つ人々なのか。政府が指摘するのは、不動産価格の暴騰による住宅難や、経済成長の鈍化に伴う社会的上昇の機会の縮小などといった経済問題である。若者たちは人権や民主、法の支配などの「非物質的価値」を強調し、経済政策によって問題解決を図る政府の主張にはむしろ反感を強めるが、デモの一部には深刻な社会問題についての不満も含まれている。実態としての香港の経済・社会問題はどのような状況にあり、それらの問題の原因はどこにあるのか。

 今回のデモには指導者がいないといわれている。過去の香港の抗議活動では、天安門事件当時の民主派の指導者・李柱銘(マーティン・リー)や、反国民教育運動のカリスマ中学生・黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、雨傘運動の引き金を引いた香港大学の学者の戴耀廷(ベニー・タイ)など、指導的な人物が次々と現れていた。これに対し今回は、半年も強力な抗議活動が続けられ、世界の注目を集めたにもかかわらず、従来の著名な民主活動家や民主派の政治家たちを除けば、いまだにこの運動からは特定のリーダーが現れていない。組織や指導者なしに巨大な抗議活動を実行することがいかにして可能になったのか。どこで、いつ、誰が、何をするといった決定は、どのようにしてなされているのか。インターネットが重要なツールであるが、その具体的なメカニズムはどういったものなのか。

 デモは「香港加油(香港頑張れ)」を多くの者が叫び、後には「光復香港(香港を取り戻す)」というスローガンを使うに至った。団結する香港人の間では、一種の「ナショナリズム」が生まれつつあるようにも思われる。しかしながら、今回の危機の発生後であっても、各種の調査を見る限り、香港人の多数派は決して中国からの独立を強く志向しているようには見えない。このように複雑な香港人の独自のアイデンティティは、どのような歴史の中で育ってきたのか。一方、中国政府や中国人は、今回の香港の運動を「香港独立」の運動として、早くから強く感情的に非難しているが、なぜ北京は香港の運動を万事「独立」と絡めて論じるのか。そうした香港認識は、香港人アイデンティティの成長に伴って生まれたものなのか、はたまた、中国共産党政権の香港認識の古くからの特徴なのか。

 また、今回に限らず、香港では大規模な社会運動や、街頭での抗議活動が、活発にかつ頻繁に行われてきた。返還後だけでも、二〇〇三年の「国家安全条例」反対の「50万人デモ」、二〇〇七年のスター・フェリーの埠頭取り壊し反対運動、二〇〇九年の高速鉄道の建設反対運動、二〇一二年の反国民教育運動と続き、二〇一四年には世界的ニュースとなった雨傘運動が発生した。日本ではデモがこれほど多くの人々を集め、政治を動かすことは近年では一般的ではない。香港においては、様々な政治・社会運動が、どのような人々の動きによって、デモなどの形へと昇華していくのか。そこではどういった人々の意識や感情が動いているのか。一般の市民は、どう政治情勢を認識して、当事者としてデモに向かうのか。

 とりわけ、「逃亡犯条例」改正反対デモは、当初から「絶望」が一つのキーワードとなり、白や黒といった葬送を思わせる服装が選ばれ、完全に覆面をした者による破壊活動も行われ、全体として暗く重苦しい雰囲気がただよった。一見、平和と繁栄を謳歌しているように見える世界的大都会・香港の若者は、なにゆえここまで悲壮感に支配されるに至ったのか。そして、「勇武派」と称される者たちは、なぜ愛する香港を破壊するような暴力行為にまで及ぶのか。彼らの論理と心理とはいったいどういうものなのか。

 また、今回のデモの一つの大きな特徴は、地理的な拡散である。従来、多くのデモは政府機関や大企業が集中する香港島で行われてきた。今回の「103万人デモ」と「200万人デモ」も、ビクトリア公園から政府庁舎前へ、という「定番コース」を歩くものであった。しかし、デモは七月以降、九龍半島や、郊外の新界でも発生するようになった。その中でも衝撃的だったのは、七月二一日の、新界・元朗駅での「白服の男」の集団による無差別襲撃事件であろう。この事件の背景には、香港島や九龍と異なり、新界に残る伝統的な農村とその文化、そしてニュータウンの混在という、独自の問題がある。平和な郊外の新界が、なぜ政治運動の舞台となったのか。あえて郊外でデモをすることは何を意味するのか。

 そして、今回のデモは世界的ニュースとなったが、中でも台湾では大きな反響を呼んだ。低迷していた蔡英文総統の支持率は急回復し、二〇二〇年の総統選挙戦の情勢にも大きく影響した。今回の香港デモの最大の受益者は蔡英文であるとの議論も広く存在する。しかし、歴史的には、台湾と香港は常に「運命共同体」の意識で相手を見てきたわけではない。かつて両者は相互にライバル視し、状況によっては論戦もしてきた。戦後史の中で、台湾と香港はどのような関係を展開してきたのか。そして、現在多くの台湾人と香港人が共鳴するのは、どのような背景によるものなのか。

 これらの問題群に迫るために、本書は編まれた。執筆者は多くが香港研究に従事する大学の研究者である。その専門性はそれぞれ社会科学、人文科学の幅広い分野に及んでいる。それに加え、今回はジャーナリスト、学生、一般市民も執筆に加わった。現象としての大規模デモや激しい抗議活動の表層をなぞるだけではなく、制度・環境・歴史・感情など、容易には可視化されないものの、デモ発生や拡大の要因として不可欠なもの、すなわち今回の危機の深層に、本書は少しでも迫ろうと苦闘した。

 区議会議員選挙での民主派の大勝利という歴史的事件の余韻の中で、筆者はこの序文を執筆している。危機は大きな転機を迎えたが、まだ去っていない。物語の完結を待たずに出版される本書には、「はじめに」はあるが、「結論」はない。今、この危機がどのような結末に至るのか、誰にもわからないからである。一つのデモは永久には続くまい。しかし、半年にわたり危機が続いたということは、問題は決して単一のテーマにとどまるものではなく、危機が構造化していることのあらわれであろう。香港では「北アイルランド化」や「ウクライナ化」といった、混乱長期化の不吉な予言も出現している。

 しかし、結論がないからといって、本書の出版の経緯など、通常は巻末で読者の皆様にお話しすべきことについて書かずに済ますわけにはいかないので、今ここにそのための紙幅をいただきたい。

 本書の企画が浮上したのは七月三一日であった。同日、本書の執筆者の多くが参加している、学際的な私的研究会「香港史研究会」の定例会が、東京外国語大学の府中キャンパスで開催されていた。偶然会場近くを通りがかった、東京外国語大学出版会編集長の岩崎稔先生から、香港問題に関して緊急出版を行うというご提案を、編者二名に対して頂戴した。その場にいた数名のメンバーに打診したところ、いずれも二つ返事で執筆を了解してくれた。何人かの方には後にお願いして加わっていただき、合計一〇章の本書となった。編者からの執筆依頼を断られた方は皆無であった。かくも多くの方々が、短い時間のうちに、ご多忙の中で寝る間も惜しんで執筆して下さったのが本書の各章である。アイデアを下さった岩崎先生に感謝申し上げたい。また、執筆者それぞれのご尽力にも深く感謝している。香港に対して、返還以来最大の関心が向けられている今こそ、研究成果を少しでも皆様にお届けしようという、日本の香港研究の意地の結晶である。

 出版の過程では、執筆者や、コラムでのインタビューに応じてくれた周庭(アグネス・チョウ)さんはもちろんのこと、多くの方にお世話になった。写真家の初沢亜利さんは、今回のデモを機に編者が知り合うことのできた新しい友人である。香港でデモの最前線に立ち、素晴らしい映像記録を残しておられる。今回、表紙の写真などの提供をお願いしたところ、ご快諾を賜った。また、同じく写真家のニシナカリエさんは、大規模デモを六月の当初から記録していた、数少ない日本人のフォトグラファーであり、同じく快く口絵写真の提供を応諾して下さった。

(中略)

 本書を通じて、日本の読者の皆様の香港に対する関心をより強められたらと願っている。「九の年」に混乱の源となった、学生運動、法輪功、ウイグル族に対する、後の中国政府による「仕返し」が、香港で繰り返されることを防ぐためには、世界が香港を見つめ続けることが必要だからである。

二〇一九年一一月二九日
                     倉田 徹(立教大学法学部)

【執筆者紹介】
倉田徹
 くらた・とおる
立教大学法学部政治学科教授/香港政治

倉田明子 くらた・あきこ
東京外国語大学総合国際学研究院准教授/中国・香港近代史

香港危機の深層

【書誌情報】
香港危機の深層 「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ

[編]倉田徹 倉田明子
[判・頁]A5判・並製・392頁
[本体]1600円+税
[ISBN]978-4-904575-79-6 C0031
[出版年月日]2019年12月27日発売
[出版社]東京外国語大学出版会

※肩書・名称は本書の刊行当時のものです。

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