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やっている感で、みちみちた明日へ
入学式の時期がやってきた
四月、それはこの社会における、最も晴れやかな季節。桜が咲き乱れる中、新しい場所へ、入園、入学、あるいは入社していくわたしたちの、節目の時期だ。私的なサークルであっても、やはり新人を獲得するイベントは重要であり、そして多くのあたらしい出会いが生まれるのも、この時期である。
公私を問わず、どんな組織も、新しいメンバーを迎えることで、その活力を引き出すことができる。
日本を悩ませる大きなテーマ、少子化対策
逆に、存続を願ういかなる組織にとっても、尻すぼみほど恐ろしいものはない。とりわけ、新メンバー確保は組織の至上命題である。国という組織であれば、生まれる子供の数が重要であることは自明であろう。
結婚と出生が必ずしもリンクしない、フランスのような国と違い、日本では出生に先だって結婚することが社会通念として存在するため、その婚姻率を引き上げることが、出生率向上の手段となる。
その課程で、内閣府が開催した「人生100年時代の結婚と家族に関する研究会」の会に呼ばれた小林 盾 教授の資料(結婚を推進するためのブレスト帳のようなモノ)が、どうやら左右の政治的正しさを踏み抜いてしまったようだ。暇な方は是非ご覧いただきたい。
https://www.gender.go.jp/kaigi/kento/Marriage-Family/11th/pdf/3.pdf
この資料の内容と、その提示している解決策については、蒼々たる左派の論客から、右派に類するであろう弱者男性論界隈まで、幅広く論じられているので、その是非についてはそちらを参照いただきたい。
本稿では、この資料であげられた、こちらのページのキーワードに着目したい。
![](https://assets.st-note.com/img/1649850829379-tBYVMRvb3r.png?width=800)
国家の行く末に影響するかもしれない
体重、ルッキズム?関係するかもしれないが、本稿のテーマは清潔感である
清潔である、というのはなにを指すのか、それは余程の変わり者以外、同意することができるだろう。誰がどう見てもハエが飛び交う饐えた匂いを漂わせるホームレスは不衛生であり、そしてピカピカになるまで石けんで洗った手は清潔だ。
おそらく、存在する菌を確認しても良いだろう。ある種「不衛生なモノ」を避けることは、われわれ人類の生存本能に由来していると同時に、医学的裏付けが成されているものである。コロナ以降とりあえずおいてあるハンドクリーナーを思いだそう。
しかし、清潔感は違う、清潔であることと、清潔感のある存在であることには、大きな隔たりがある。清潔であり清潔感がある存在を浮かべてみよう。白衣を着たピシッとした身なりのベテラン外科医なんかは、文字通り「清潔」かつ「清潔感」があるだろう。
で、その対極は既に提示したとおり、「ハエが飛び回る饐えた匂いを漂わせるホームレス」である。
ここまでの話を読んでいただいた皆さんは、もうお察しのことだろう。
「清潔」かつ「清潔感が無い」
「清潔でない」かつ「清潔感がある」
1と2は、理論上だけではなく、事実として存在する。これを例証したい。
「清潔かつ清潔感がない人」
これについては、容易に想像できる。珍しい列車が運行する際に、大挙して押し寄せる軍勢や、美少女ゲームのTシャツを着込んだ小太りの男なんぞがまさしくそれである。彼らは不養生かもしれないが、不衛生である根拠はほぼ存在しないというのに、清潔感がない。これは、否定しようも無く陳列された事実だ。
「清潔でないが、清潔感のある人」
これは、語義矛盾を喚起するため、一見すると想像することが難しいかもしれない。ただ、「練習後のテ二サーのイケメン王子」は当てはまるかもしれないが、あまりにもイケメン補正が強すぎるかもしれないので、「汗だく泥だらけの練習後のラグビー選手」なんかが適切なサンプルであろう。少なくとも、彼は清潔感のないキモい人間ではないと言える。
そう、清潔感の対義語は、「キモい」なのだ。
もう一つ、話題に上がる感がするキーワード「スピード感」について。こちらもまた実際の処理速度とは関係の無いものだ。無愛想な職人プログラマーの作った、いつできるのかわからなかったシステムは、ひょっとすると速いかもしれないが、その職人が「スピード感」があると見なされることは無い。
「はい、資料をただいま受領致しました」「来週を目処に○○が完成予定です!」といったハキハキとしたコミュ力の高い人間は、当然ながらスピード感があると見なされる。なんせ相手の仕事の進捗度合いを教えてくれるのだ。今何が起こっているのか分からないほど、スピード感に欠いた所業は存在しない。
結果として、スピード感のある人間で、スピードのある業務処理を行えない人間と、スピード感はないが、スピーディに業務を回すことができる人間が存在する。
![](https://assets.st-note.com/img/1649854191163-SMjsFjxAH1.png?width=800)
そう、スピード感の対義語は、共感と連絡不足である。
○○ではないが、○○感に満ち満ちた人間の方が、その逆より成功者と見なされることは、あまり異論が無いことだろう。その果てに、われわれは、「やっている感」を手に入れる。
その施策はともかく、指導者がすべきこと、それは○○を実行することでは無く、○○感を出すことに他ならない。具体的には、検討をすることだ。
振り返ってみよう、「清潔感の無い」人間に、講習によって「清潔感」を出させることは可能であろうか?石けんで手を洗うほど容易ではなく、それは、我が国の行く末すら左右する、重大な命題だが、その問いは、取り組んでいる感には影響しない。
実のところ、わたしたちが支持するのは、実際に行われる壁ドン講座ではなく、やっている感に満ちた政府である。
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