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こんなクラスをのぞむ人と、その追及者

Twitterあらため、「X」で再び火柱が上がった。なんでも学校の先生が自分のクラスで張り出しているこの絵が気に食わないのだと言う

「こんなクラスがいいな」

取り立てて怒り狂う要素がどこにあるのかわからないので、いくつか反論を紹介しよう。

どうも「望ましい子供に誘導する姿勢」が批判の対象であるが、かと言って「得意なことを伸ばす」「苦手なことを減らす」のも教育であるという点からは、このポスターと著しく見解が異なるようには見えない。

劣悪な家庭環境の子供への配慮が無い、という意見。いいねの件数は多いが、どちらかというとこの反論が直接的に当てはまるのは「忘れ物をしない」だけだろう。

確かに、家庭で虐待を受けて愛想良くする余裕のない子もいるのだから、そういう子への配慮をすべきとの意見かもしれない。が、いまいち反論としてずれている感が否めない。

こちらはなかなか本質的な反論である。そもそも社交性を強く推奨する内容が望ましくないと。

いずれもいいねの件数は4桁を超え、広く賛同を集めていることが確認できる。他にも「こんなクラスが管理しやすい」だろう、などという批判も見受けられた。

これを受け、この作者の教師は書き込みを削除してしまったようだ。さらに反対派が理想のポスターなるものを作り出したのがこちらである

「こんなクラスが安心」
直接的反論ではない点に注目
(=各項目を全て裏返したものではない)

こちらはこちらで、「これだと学級経営が回らない」「クラスの統制が取れない」という指摘が寄せられているが、どうも反論者が言いたいのはそこではないようだ。

どうやらキーとなるのは「楽しくない気持ちを大切に」「つらくても笑えは地獄」「話したくない日があっても良い」という項目である。

そう、表題的には目的が違うはずの2枚目が、1枚目の反論として成立しているのは、まさにその点であり、「こんなクラスがいいな」の要素のうち、炎上ポイントは社交性を強要した点といえよう。

ここまでであれば、単なる意見の対立、方針の違いであろう。しかし火柱はそれでは収まらない。

怒り狂い、勤務先を特定し、そして糾弾を始める人

どうやら心底「社交性を強要する」教育方針が嫌いな方がいるようであり、あえてリンクは貼らないが、過去の書き込みから人事異動情報を調べ上げ、某市の某小学校の教諭ではないかと特定した人物がいるようであり、さらに電凸を加え彼の上司たる校長先生に「見識を問う」らしい。

ついでにその人物(以下、追及者氏)は、その人物の学歴を調べ上げ、偏差値が低い、頭が悪いなど怒り心頭であられる。たいそう恐ろしい話である。ついでに勤務時間のXへの書き込みをリストアップし、処罰を要求するご様子だ。

やはり、社交性のない人間に、社交性を強要すると、それほどまでに恨みをかうということは、教育方針はともあれどうやら事実である。

あなたはどんな人と働きたいか

現代社会のニーズは複雑怪奇であり、長時間労働&大量生産では成果が上がらなくなったと言われて久しい。教育方針も時代に合わせ、社会のアップデートと共に移ろいゆくものなのであろう。

しかしながら、常に不機嫌、顔だけでなく中身も陰険で、意思疎通を計ろうとする意欲に乏しく、気に入らない意見が目に入れば、相手の弱み、失点を探し出し、勤務先に電凸を加え、処罰を要求する人間と、「こんなクラスがいいな」の世界観における社交性を備えた望ましい子、どちらと一緒に過ごしたいか、働きたいか、という点では、答えは見えているはずだ。

なんと言っても、社会は進歩している。親の職業や出身地に縛られてきた時代と違い、人々は自由に仕事を選べるようになった。そんな時代に、わざわざいやな奴と一緒に仕事する理由など、どこにもないだろう。

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