ひろゆきエビデンスと、神真都(やまと)の和多志(わたし)たちへ

中東やウクライナを巡る軍事行動、コロナという疫病、そして平成より続く長きにわたる不況、現代を取り巻く環境は、日増しに混迷を増している。明確なる答えを喪失した、この社会において、我々が下さなければならない判断のハードルは、どこまでも高く、そして踏まえなければならない前提は、どこまでも深く沈みつつある。

この混迷極まる社会において、明確なる答えを持った集団が現れたという。そう、雨宮純氏の取材された、「Q」に連なる伝承を奉ずる集団である。

彼らが付いた真相によると、我が国、いや、世界をコントロールしているのは、ガワだけがゴムでできた人間もどきであって、世界を支配する暗黒の組織が、コロナのワクチン接種などを契機に、世界の最終的な支配に乗り出しているのだという。

(本題とは無関係)名探偵コナンー黒の組織より

その権力は絶大だ、なんといっても、現職のアメリカ大統領を不正にも追放したのだ。この世でできないことなどおおよそ存在しないだろう。こちらは別の組織の説だが、「」なる単語もまた、かつて偉大だった日本人の文化を破壊するべく、戦後、GHQが「和多志」という単語から修正させたのだという。

この文章の読者として想定している、我々(永遠の)中学二年生には、容易に理解できる話だろう。彼らは、目覚めたのだ、額に輝く第三の目は、真実を見つめている。

ここで、戦前日本の偉大な文豪たちの作品を、彼らは一冊も読んでいないのではないか、という疑問は置いておきたい。なんと言っても無限の権力を有する、暗黒勢力である。子供にピザ屋で売春させていようが、図書館の書籍を全て差し替えていようが、それらの事実を葬り去ることは、たやすいことである。

現代の日本に住む私たちと、神真都の和多志たちを隔てたものは何か?それらは社会そのものへの信頼に他ならない、私たちはふつう、無駄な労力を割かないし、ふつうは、馬鹿げた陰謀なんて信じない。

コロナワクチンについて、この記事を読まれた方々は、よほどの理由が無い限り、既に接種を終えているだろう。我々は何故接種するという判断を下したのか。アメリカの製薬会社の発表が(おそらく)正しく、世界各国の判断が(おそらく)ただしく、世界のニュースが(おそらく)改竄されずに報道され、日本政府が薬事承認を(おそらく)適切な判断の下、行ったからに他ならない。

この、「おそらく」という信頼のチェーンが破損したとき、人は反ワクチンという疫病に感染する。身と蓋を取り外した、経済産業研究所の調査によると、低学歴で低収入、若く、精神を病んだメンヘラ女子が最も反ワクチンになりやすいという。

積極的にワクチンを接種したのは、その逆である。人生経験が豊富で、金を持っていて、学歴が高く、社会への信頼が厚い。順風満帆に生きてきた人、といって過言では無い。

しかしながら、私たちが正しい判断を行っているかどうかについて、常に疑問付が突きつけられる。今まで極論だけを並べて、キャラを立ててきた漫画家はともかく、反コロナワクチンの論客となられてしまった、京都大学の宮沢孝幸先生の唱えるように、ひょっとすると、抗体依存性感染増強(ADE)なる事象が将来発生し、何らかの健康被害を被るかもしれない。

わたしたちは正しい判断を、常に論理的に下せるものではない。我々はひょっとすると、何者かに騙されているのかもしれないし、とんでもない遠回りをさせられているのかもしれない。

そこで、現代日本に偉大な哲学者にして、知の巨人と呼ぶにふさわしい人物が舞い降りた。2ちゃんねると、数々のネットミームの生みの親、そして現職の政府参与にして成功した実業家という、時流に乗りたい人間がぶら下げるタイトルを総なめした王者、西村博之氏(以下、ひろゆき氏)である。

Twitterの拾い画像、ひろゆきコーナーの写真
https://twitter.com/okazsystem/status/1493204441000218627?s=20&t=9vdZTq_dID84c1cMWNUiOw

ひろゆき氏の活躍範囲は、とどまるところを知らない。政府のITアドバイザーだけでは無く、社会のあらゆる問題に対し、たちまちのうちに、それなりに筋の通った説を提起し、あらがう者を鮮やかに論破する。

一見、彼が打ち破られたかに見えたTwitterの争いも、ある程度の期間水をかけ続ければ、「専門家同士の争い」と見なされるという、言論空間の芸術的ハッキングによって、彼は森羅万象における、偉大な専門家という地位を確固たる者とした。確かに、学術分野の論客からの評判が低いが、その論客達が世間受けするようなことをたいして言えていていない、むしろ反感を買われている、という言論における自爆営業により、ますます彼の地位と好感は高まりつつある。

無論、ひろゆき氏の引用や要約が常に間違っているわけが無い、以下のように、原論文の著者から正しい解説である、と評されることがあることも事実である。

その、ひろゆき氏の放つ必殺技にして、今や小学生も模倣してやまないという、決めゼリフ「それ、エビデンスありますか」である。

当世を代表する偉大な哲学者、ひろゆき氏の決めゼリフ
現代社会における「スペシウム光線」「ライダーキック」「アンパンチ」に相当する

もはや、現代日本の市民空間において、この決めゼリフを吐かれた人間は、「ひでぶ」の叫びとともに消滅するか、一般市民に理解されない専門用語をならべたて、専門家だけは分かってくれる、と信じながら嘲笑されるか、そのいずれかしか残されていない。

ここに、語りえないことを語りぬく、この必殺技の名を、ひろゆき氏の偉大な業績を評して「ひろゆきエビデンス」と定義したい。

語りえないことについては、沈黙しなければならない」かつて、一世を風靡した哲学者ウィトゲンシュタインは語った。彼の、人間の思考の限界範囲を見定め、厳格に定義する哲学は、その潮流すら変える力があったという。

しかしながら、現代日本において、「語らない」などの選択肢は存在しない。ポリティカル・コレクトネスをはじめとし、コンプライアンスSDGsなど、たいして深く理解してもいないし、知ってもいないことについて、正しくない発言をすればたちまち失職、廃業の憂き目に遭うことは明白だろう。

私たちは岐路に迫っている。額の邪気眼:ダークアイを見開くか、語りえないことを、語り尽くすマニュアルを手にするのか。確かに、ひろゆきエビデンスを振り回すことは、平凡なる市民の幸福に繋がるのだ。

ウィトゲンシュタインの言葉は、歴史に名を残したが、彼の小学校の同級生の、もっとわかりやすい人間が、遙かに大きな影響を社会に与えたことは、誰の目にも明確だろう。

小学校の学級写真:ウィトゲンシュタイン(後ろから2列目、右から3人目)とヒトラー(最後列右端)
https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1293824413775749121?s=20&t=gdUzgdhRJqhrSZPoqZetpw

せめて「この文章、エビデンスありますか?」という問いに対してだけは、「ありません」と、邪気眼では無く、二つの目を見開いて答えたい。


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