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序章

初めましての方、初めまして。
いつも応援してくださっている方、いつもありがとうございます。
綴音 夜月(つづりね よづき) と申します。

2023年1月15日 ずっと目指していたものになるための活動を始めました。
そうです
【小説家】です

もともと小説にはあまり興味がありませんでした。
図書館で借りる本は、年度末に発表される多読賞目当ての偉人の伝記。
それも漫画です。
【羅列された文字を読む】
という動作に敷居の高さを感じていたんです。
小説を読むことを躊躇する小学生の自分がいました。

ただ中学校になり、だんだん意識が変わってきたんです。
本の解釈の自由さに救われる場面に多く出逢ったんです。
人との会話には必ず切れ味の悪い腑の落ち方があると思うんですけど、
本は腑に落ちなかったとしても、そこから自由な解釈が許されていて
誰もそれを咎めない。
『そんな受け取り方もあるんだね』
と人の感情に寛容さを与えるものが本だったんです。

そこからは物語の中で人の感情が鮮明に描かれている本を
よく読むようになりました。
誰かの生死という事実の後に、各章ごと紐解かれていく人の感情、思想。
概念的な臓器を観察するような本。

ここが、私が小説に触れるきっかけです。
心地よい程気味の悪い情緒の描写に救われたこと。


話は少し変わりますが、私自身の活動の中で掲げていることがあります。
【 絶望下での光 記憶上での鎧 を綴り続ける 】
抽象的すぎるので、ひとつずつ説明していきましょう。まず、

【絶望下での光】
誰にでも訪れると思うんですよ、どうしようもなく絶望する時。
きっかけや明確な原因がなくても

『生きていくことは不可能なのかもしれない』と

自分の無力さを突然痛感する時。他者から情緒を揺さぶられる瞬間。
影濃く根付くトラウマ。数え切れないのですが
でも、そう苦しんだ時にも時間は進んで、
誰も待ってはくれなくて、望む終わりは来ないんです。
きっとこれもまた絶望を加速させる材料になります。
これは私の感覚に過ぎませんが、そう絶望した時に
『わかる。みえるところ全部絶望だよね』
ってなんの生産性もない共感に救われる瞬間があると思うんです。
それの一番身近な形が愚痴なのかなとも思うんです。
きっと誰も解決策なんて求めてないんですよ。
だって解決しないから。
でも、救われたいんです。我儘なんです。
ただ、『我儘だ』と呼ばれる泥臭い感情、感覚は
生々しく泥臭さい感情に救われるものだと私は思っています。
だから、生々しく喜怒哀楽を吐き出す。書き散らす。
そういう存在を文字という寛容な無機質に託したい。
これが私のひとつの活動目標です。

【記憶上での鎧】
思い返してみてください。音楽に背中を押される瞬間ってありませんか。
失恋した時、自分と重なる失恋ソングを聴いて傷を癒やしませんか、
頑張りたい時、勇気を託すような歌詞の歌を聴きませんか、
可愛くメイクしたい時、可愛い曲を聴いて気分を高ぶらせませんか、

それって全部ある種の『鎧』だと思うんです。
戦う準備はできた、でも拭い切れない怖さが邪魔をしてる。
きっと無意識のうちに、その存在に守って、攻撃力を上げてもらってるんです。
綴音の描く小説は誰かにとってそういう存在であってほしいんです。
読んだ時、思い出した時。誰かの感情が動く存在。
その人を守って、一緒に最前で戦う存在。

綴音の描く文字が『鎧』として生き続けますように
これがもうもうひとつの活動目標です。

そして今回、もうひとつお話したかったこと。それは
【何故noteを始めたのか】
ということです。

小説かなら自分の中の感情は小説で消化するべき。
という意見はすごく真っ当で自分自身も強く同意します。
ただ、私がこの活動で最も重要視していることは
【生々しさ】
なんです。
もともと、想像力が豊かな方でもなく、
与えられた情報に感化される側の人間でした。それは今もそうです。
ただ、考えることは人一倍すきだったんです。
拗らせた思考癖があって、その残った部分が
今の綴音の活動なんです。

だから、小説家『綴音 夜月』と
それを綴る生身の『綴音 夜月』を

裏表で残すことで誰かの何かになれることを縋ったんです。
『小説』を読んでいただく中で、もちろん純粋な気持ちで
読んでいただくことはすごく幸せなことです。
余計な先入観が邪魔をして作品に色をつけてしまうことは
私自身したくありません。
だから投稿サイト、Twitterとは別のコンテンツでの
【内側の発信】
をしていくことを決めたんです。

私の小説を手にとってくださった方が、後からここにきて
『この本を描いた人にも人間味がある』
ことを実感していただけたなら本望です。
それは私自身、人間優等生じゃないから。
誰かが絶望した時。
成功者をみて自分を蔑むことがあります。
その成功者と映っている人の人間味に触れた時、
妙な安心感があるんです。

誰かが鎧を被りたい時。
「自分もいつかは」
って夢を身近にみることが自分の中で許されるんです。

だからここに
『生身の綴音 夜月』
を残しておきたいんです。


題名にもありますが今の綴音はまだまだ序章の序章です。
数え切れない作家さんに影響されて、感化されて、学んで、吸収して。
指摘を受けて、修正して。
繰り返していきます。
なのでこれからもよろしくお願いします。
それが私の今の夢です。

そんな夢を全力で駆けている綴音は今、
幸せな序章の中にいます。



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