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これは、あそび環境だろうか in 北九州02

八幡製鉄所が拡張するに辺り、工業用水が不足、ついては渓流をせき止めて用水を確保!これが戦前の富国強兵時代のスピード感であり、恐ろしさ。今なら当然環境アセスと地域説明会。

しかし、そんなこんなも自然と時間は飲み込んじゃうな、という楽観と、再自然化は容易じゃない、もう戻せないんだなという悲観と。

森の奥深くにたたずむ古城のような風情。ここは河内堰堤。これが1927年の竣工当時は東洋1の規模だったというのだから、この90年ほどで世界の土木技術が、ひいては世界自体が、どれ程変わったか、人間が変えてしまったか。
工業用水利用の機能はまだ現役。水が大切なことは永遠。

圧巻の細部。資料にはコンクリートダムと書かれているのに外観は精緻な石積み。コンクリートを守っているのだろう、鎧のような被服。現代のインフラを、これほどの慈しみというか、執念を持って設計施工されるだろうか。

まだ重機が発達していない頃の仕事は材料が小さくキメが細かい。自然素材は緑ともなじむ。失われた渓流は戻らなくても、新しい環境ができたのでは、と、ここは受け入れるところから。

市街地から車でたったの10分でこの深山幽谷のような風情。貯水池は周回できるように遊歩道が整備されており、ジョギングやサイクリングを楽しむ人もたくさん。

堰堤に流れ込む川では水あそびもでき、BBQ をする人、ソロキャンプをする人、、、
そうです。ここは確かにあそび環境。

周回道路には、経営難で閉鎖されたドライブインもあれば、自転車で立ち寄れる新しめのサ店もあり。捨てる神あれば拾う神あり。営業にとって神とは、訪れる人。

富国強兵から敗戦高度成長、バブルから失われた20年。時代の呼び方は変わっても、人が自然にあそぶことは変わらない。一方で、厳しい自然の中では多くの人はあそべない。

工業化によって、渓流よりも人があそびやすい自然環境が作られた。人はこれが自然なんだと解して、これからも愛するだろう。たとえ製鉄所がなくなっても。

では、製鉄所がなくなった時、この環境を愛する人は残っても、環境の維持に投資する人は残るだろうか。
あるいは、環境を愛する人も残るのだろうか。

人がいなくなった時には渓流に戻るのだろうか。

02終わり。

つづく。

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