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「夢」って結局なんなん。

昨日の私は、『夢』≒「自分の人生において、『これができたら最高やん!』って思うのはどんなこと?」ではないか、というところまで行きついた。

そして今日、友達と話をして「夢」について改めて考えたことがあるので、ここで文章にしてみたいと思う。

「夢」って「最高」のものじゃなくちゃいけないの?

『夢』≒「自分の人生において、『これができたら最高やん!』って思うのはどんなこと?」ではないか?というところまで考えた昨日。改めて今日、「夢」をテーマに友達と話をした。そして私の考えを話した後に、一つの問いをもらった。

「夢は中途半端じゃいけないの?」

ハッとした。決して「最高」のものである必要なんてない。なんなら「余白を作ること」こそが人生において大事なキーワードなのだと、去年気付いたばかりじゃないか。

小学生の頃から大学四年になるまで「国語の先生になる」という夢を持ち続けて失敗したことへの反省をすっかり忘れていた。まっすぐで、キラキラしていて、ブレることのない夢は、自分も安心するし、周りからも応援してもらえる。一方で、それ以外の選択肢が見えなくなってしまうという怖さがあるということに私は気づいていたのに、知らぬ間にまた、その沼にハマってしまうところだったのだ。

「夢」って、なんのためにあるの?

それからもう1つの印象に残った問い。

「あなたにとって『夢』は、なんのためにあるの?」

私にとっての「夢」は、方向性が定まることによって

 ・安心感を得ることができる

 ・モチベーションが上がる

という良さがあるかな、と思う。

そして気づいた。これを満たすことができるなら必ずしもそれが「夢」である必要はないのではないか?

では、他のもので満たせないものはなんなのか、それを考えた時に出て来た気付きがある。それは私が、「夢」がないことによって、「自分の人生ってなんだったんだろう」「自分は人生において何を成し遂げたっけ」と思うことが不安なのだ、ということ。何も成し遂げないことによって、自分の存在が無かったことになることを恐れているのだ。

この自分の考えに気づいて、何かと結果を追い求めようとする自分の性分を再認識した。もちろん、結果を求めることは私にたくさんの恩恵をもたらしてくれている。いつだって120%でやってきたからこそ、人から認められたし、求められたし、たくさんのチャンスを得ることができたし、自分自身を褒めてあげることができた。でも最近の私は、その世界観が必ずしも全てではないよな、と思いはじめている。

夢は「doing」、私が大事にしたいのは「being」

じゃあ私はどんな世界で生きていきたいんだろう。どんな「夢」をもっていたいんだろう。そう考えたときに、友達がこんなイメージを共有してくれた。

夢→doing/having

在り方→being

なるほど、そのイメージはとても分かりやすい、と思った。「私は◯◯をするんだ!」「私は◯◯になるんだ!」という「doing」は分かりやすくて楽だけど、今の私が握っていたいのはそういうものじゃない。もっと自分の根幹となるような「being」だ。

小さくたって「夢」。来月のことだって「夢」。

最後に友達と、「夢」に全然関係ない話をした。私が3月に、長期の旅をしたいという話。でもただの旅じゃなくて、何か特別なコンセプトのある旅がしたいという話。それが案外盛り上がって出た案は、

・オンラインでしか会ったことのない友達に会いに、全国を周る

・その人に1人、友人を紹介してもらう

・コーチングスクールの人とは、その人が紹介してくれる最高の場所でぺアコーチングをする

というもの。

これを想像した時、ものすごくワクワクした。

あ、これ、今の私の「夢」だって思った。

小くても、大きくても良い。

近くても、遠くてもいい。

「夢」は、ワクワクするものであって、決して自分を縛るものじゃない。

まずは自分が心の動く方向へ歩くことから、はじめよう。

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