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拝啓、今まで私と出会ってくれたすべての人へ

拝啓、私が生まれてから今日に至るまでの25年の間に、私と出会ってくれたすべての人へ
今日はみなさんに謝らなければならないことがあります。
それは、私はみなさんのことを愛してなどいなかったということです。

二十五年間、気が付かなかったこと

私は自分のことを非常にエゴイスティックな人間だと思っています。そしてそれは私の脳内の話だけでなく、実際にそうであると自覚しています。
でも別に、そのことに対して悲観はしていません。むしろ、この性格のおかげで今までの私の人生はたくさんの恩恵を受けてきたと思っています。だから、そんな自分のことが決して嫌いではない。肯定的に捉えている。
でも、私が思っている以上に、私という人間は自分本意な性格だったみたいです。

昨日は1日、私がこの世に存在する人類の中で1番優しくて寛容だと思う人と一緒に過ごしていました。
その人と対話する中で、はじめて気がついたことがあります。
それは、
私は人のことを本当の意味で愛したことがこれまでの人生で1度もない
ということです。
人間不信なわけではありません。私は人のことはちゃんと好きにも嫌いにもなることができます。誰かを大切に思ったりすることもある。「愛している」という感情を抱いたこともある。
でも、私がこれまで抱いてきた「愛」や「大切」という感情は、すべて私への「見返り」の上に成り立っていたものだった、ということに気付いてしまったのです。
「大事にしてほしいから私も大事にする」、「愛してくれるから私も愛する」。私の「愛」は、そういう見返りを得るための道具でしか無かったのです。
私はこのことに気がついて愕然としました。
人一倍損得勘定をする人間だという自覚はありましたが、まさかここまでだとは思っていなかった。
こういうことを言うと、優しい私の周囲の人たちは「そんなことないよ」と言う風に声をかけてくれます。でも自分のことだからわかるのです。私が見返りを期待せずに人に愛情を注いだことは、これまで一度たりとも無かった。

結構、ショックでした。
自分は純粋に「誰かを愛する」と言うことのできない心の貧しい人間だと思いました。
そして同時に気付きます。
・私は人の立場に立って思いやるということをほとんどしたことがない
・私は人に対して感謝の気持ちをもつことがとても苦手
こんな人としてできて当たり前(本当は当たり前などではないのだけども)なことすらできない自分は、なんて傲慢な人間なんだろう、そう思いました。
それと共に、そんな傲慢な自分のままで二十五年間いられたのは、ひとえに周囲の人たちに恵まれてきたからだと心の底から思いました。
今までありがとう、みんな。

「愛するということ」は、技術である

「人のことを本当の意味で愛せる人間になりたい!」
私は心の底から、そう思いました。
でも、「愛する」ということは本当に難しい。というか、もはや「愛する」ということがなんなのかすら、私には分からなくなっていました。

でも、このことだけは気付けた。

愛は技術である
『愛するということ』エーリッヒ・フロム

『愛するということ』という有名な本の、一番はじめに書いてあったことです。
昨日この本を紹介されて「ぜひ読みたい」「今の私に一番必要な本だ」と思っていたタイミングで、今日たまたま本屋を見かけました。「これはご縁だ」と思ったので、早速本を購入してせっせと読んでいます。

人を「愛する」というのは、技術だそうです。勝手にできるようになるわけじゃない。理論と実践が必要で、努力も不可欠。
私は「愛する」ことが何なのかを、言ってしまえば本当の意味では何一つとして理解していなかったのだと思います。
私はたった今、二十五歳になりました。
このタイミングで、今までの人生で感じたことのないほどのインパクトのある気付きと変化することへの願いを感じることになったのには、何かのご縁を感じます。
大きな転換期を迎えたと思いました。
私はもうこのままではいられない。
変化しなくてはならない。

昨日私にこのことを気が付かせてくれた人は、最近恩師にこう言われたと言いました。
「今までの二十何年間変わらなかったことを変えるには、同じくらいの時間がかかると思った方がいいよ」
もしそれが本当だとしたら、私は五十歳近くになるまで、人のことを本当の意味では愛することができないかもしれません。
でも、昨日の私が気付いてくれたから、もう大丈夫。
これから始まる長い二十五年の(ひょっとしたらもっと長いかもしれない)道のりの一歩目を、今確実に歩き出せたと言う感覚が掴めたのです。

この文章を改めて自分で読み返してみて、なんだか明るくもなければ、真面目くさったような雰囲気の文章になってしまったな、と自分でも思います。笑
実際、自分の華やかではない一面に気が付いてしまったことに、強い衝撃は受けています。
でも、今はそれよりも、「これから私は先に進んでいける」と言う確信をもてていることに、じわじわと内から湧き上がってくるような喜びを感じている。
だから、もし心配してくれている優しい人がいたら、心配しないでください。
これは前向きな一歩です。
甘いだけじゃない、深みのある、ほろ苦い味わいの誕生日になりました。今まで味わったことのない、大人の味です。

今まで私と出会ってくれて、これからも私と一緒にいてくれる人へ

こんな私ですから、これからもみなさんにたくさんご迷惑をおかけすると思います。

私は今、心の底から願っています。
謙虚になりたい。
人に感謝ができる人間になりたい。
無いものを求めて嘆くのではなく、あるものを愛おしめる人になりたい。
そして、人のことを、本当の意味で愛せる人になりたい。
何年かかるかなんてわからないけど、不器用なりに少しずつでいいから進んでいきたいと思います。
もし間違った道を歩んでいたら、その時はそっと教えてほしいです。
どうか、これからも私という人間を、どうぞよろしくお願いします。

敬具

追伸 今まで私と出会ってくれた家族、親戚、友人、同僚をはじめとするすべての人へ、心からの感謝を。
いつも本当に、ありがとう。

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