【短編小説】動くな
物静かで、昼間でも人通りの少ない住宅街。ある一軒家のリビングで、一人の男が二回りほど年上の女を、締め付けるような目付きで睨んだ。
「動くな……」
思わず開口したままで身体をとどめていた女は、背丈の高い男の顔を座りながら見上げ、密かに心拍数が上がっているのを感じていた。
「いいか、動くんじゃねぇぞ。さっさと金出せ」
女は男の言葉のなるままに頷いた。女は机の下に置かれた革製のバッグから財布を取り出し、男の掌にそっと置いた。
「よし……大人しくしてろよ、妙な真似したら承知しねぇからな」
テンプレの捨て台詞を吐き、男はすぐさま玄関の方へ走っていった。その家を後にする男の姿は、道路に向けられたガラス戸から女にも見えていた。
男が曲がり角で姿を消してから、女はゆっくりと立ち上がり、体勢を直してソファに座った。
「……ふふ、やっぱり可愛いわね」
体調を崩しているのに気が付いた反抗期の息子が、荒い言葉を使いながら照れくさそうに買い物に行く様を、母は微笑ましく思っていた。
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