大負けしたその夜に、無駄にならないギャンブルについて本気で考えてみた。

みなさん、お元気ですか?
生きていていいことたくさんありますか?

人と人の良い出会いの確率なんて、気力さえあれば、試行回数を増やしていくことで必ず上がるんだとどこかのブログで読んだことがあります。

「そうだ。」「試行回数を増やすことで一定の確率に収束する。」

まるでリンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したニュートンのように、そろそろオレのギャンブルの運も上がるころだな。いつものように、頭に勝利の方程式を思い浮かべ、どんどん金を使い試行回数を上げていくことで、負けても負けても次は当たるんだと、高レートに掛け続けました。

まさに、サイコロを6回振ったら、1回ぐらい1がでると思ってしまう試行回数の罠にわたしはハマってしまっていたのです。

そして、気づいたときには、ギャンブルに大負けし、全てを失い散々な目にあったぼくは、晩飯を買う余裕などなく、スマホをいじってブログを書くことで何かにならないか?これも思考の罠なのかもしれませんが(笑)まじめな性格からか、ここに何か今日生きた証を残して起きたい。ギャンブルで失った何か?を取り戻したい。そんな気になったのです。

何を書けばいいんだろう?ぼくは思いました。そういう時こそ、自分のことよりも違う誰かのことを思い書いてみることではないか?

例えば、コロナや職を失ったりして、時間があって暇になり、ネットをやり、ポイ活で見つけた高還元の新規登録キャンペーンで競輪をやり始め、ハマってしまいいろんなものを失い自己責任という名のもと、社会から置き去りなされている人も多いんじゃないでしょうか?自分にとっては、暴力的とも言えるほど、右肩上がりの成長を続ける競輪、ボートレース業界に何か日本の将来の希望みたいなものはあるのでしょうか?

前置きが長くなりましたが、今日話したいことは、どう好きなギャンブルをやればもっと幸せを実感でき生活が少しずつでも豊かになるです。

以前、ネットのこれから

https://note.com/tuakahiro/n/nf384b39c312f

というブログを書き好評だったのですが、公営競技の利益を城の改修とかよりも、もっとインターネットやユーザーの個人に落として、1人につき15000円ぐらいの経済規模で生活改善ではないですが、ネット投票でやっている人はどれくらい使ってどれくらい負けてるか?わかるので、日本財団やミクシーとかから、いくら以上に使って負けている人に希望者を募って、お金を配って、実験的に人やAIによる新たなインターネット経済システムのプラットフォームの雛形の社会実験をやってみるといいんじゃないでしょうか。

具体的には、公営競技のネット投票のアプリと負けがこんでる人には、月15000円ぐらいのポイントで生活改善を促すtwitterのようなSNSアプリで希望者にはやりとりしてもらう。あと、そのSNSアプリ上のフォローフォロワーの関係でインターネットのデジタルコンテンツなどの割とたくさん売れても問題ない自由な経済と、物など買う制限やそのアフリエイトなど、限られた経済に分け、公営競技の個人の投票アプリの利益の数パーセントも入れたプラットフォームでの利益をどうフォローフォロワーの関係一定のルールのもと再分配するかを考えるアプリを財務を公開の上議論してアップデートしていくと、なにかインターネット上で再分配の新しい仕組みが形になっていくと思うんですよね。

現行の仕組みを利用してもらって、最終的には、なにがしらの自分の興味がある分野とかを見つけたり、自分の幸せにつながる人とのつながりを強化する形で公営競技の原資がインターネットに流れユーザー個人の利益につながる橋渡しになるといいですよね。例えば、クラウドファンデングの検索窓もこれから進化してくると思うので、さっきのSNSアプリとかで、フォローフォロワーの関係でそういう活動を追うことで割とインターネットで個人に、起業家の家入一真がCampfire起業時に言っていた、ゆるやかな金の流れが出来るはずです。

今日本社会に求められている効率化や、人やA Iによる再分配の在り方やキャッシュレス決済に買えるものと買えないものを制限する全体的な解のあり方は15000円ぐらいのインターネットプラットフォーム上では試行実験を繰り返すことで個人の幸せ度を上げる可能性があるのではないか?

わたしは、そんな気がしてなりません。

大衆のアヘンみたいなインタネットサービスを利用した草の根運動のことを長々と説明しただけじゃないか?こんなもの利用する時間なんてねぇよ。こんなの最終的には、インターネットやAIの奴隷じゃないか?そんな人もいるかもしれません。

確かに、ギャンブルは自己責任だし、払った金はほとんどの人が帰って来ない。しかし、よく考えてみてください。そういったギャンブルの選択肢が増えることで個人が豊かになる。その可能性はあると思います。日本社会が抱える効率化という問題と時代にそくした様々なアップデートの場は、割と日本社会の闇を照らすような気がします。そして、AIによる効率化された経済やコロナ禍での失業者の問題や引きこもり問題や高齢化問題など、この増えつづける置き去りにされる人々の問題は社会にも責任があるような気がしてなりません。宇宙事実開発に巨額を投じる人間の進化の歴史もとても素晴らしい話ですが、問題解決にあたって、思考停止になったり、先送りになっている現実に躊躇してはいけない。なにか本人が望めばフォローフォロワーの関係でインターネットでぐるぐる循環する月々15000円ぐらいの小規模な生活再建のメソッドやAIや個人の意志に基づいた経済がある気がしてなりません。

これも何かシステムの罠にハマっているのだろうか?🤔

また、今日も実は幻聴が聞こえます。あなたが思うようにわたしは考えていないかもしれない。しかし、信用すべき可能性にブレがない限り少しずつ弧を描くように進化していくのが人間の進化の歴史だと信じたいですね。しばらくギャンブルはやりませんが、問題解決に躊躇してはいけないなあと、正直アタマはあまり良くないですが、執念や勘の良さは長い人生でそのうち金になる気がしてなりません。

逆境や理不尽なこと与えると、人間の本質的な感覚に刺激を与えられて何か吸収したり感じたりする感受性が生まれていると勘違いし、そのハングリーな状態で生を実感した気になる。勝っている人は違いますが、あまりカネのないそういう人は欲があまりないというか。持続性がないというか。やっぱり貧乏人ですよ。もっと人に頼った方がいい。インターネット上で小規模でもそういうプラットフォームはあったほうがいい。フォローフォロワー関係での化学反応は様々な社会の不安を解消し、ギャンブルによる寄付につながると思います。

日本のこれからの社会は厳しいものです。しかし、インターネットでは個人が望みデータを公開し、人やAIによる制限がある限り、もっと全体の幸せ度を上げていいのではないでしょうか。そういう選択肢が結果的に、ポイ活より少し意味のあるもっとダイレクトなやりとりの経済の可能性を広げ、新たな収入の確保につながり、何か次のシステムへ移行しやすくなる再分配のプラットフォームになりインターネットの弱肉強食の閉塞感から解放されまた新しい文化や経済システムをつくっていく。社会変革を促す個人の選択の自由はインターネットではもうそういうとこまで来ているかもしれません。

ギャンブルに負けてせつに思った今日この頃です(笑)





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