熱量の隔たり

10年ぶりくらいに地元の友達と会う機会があった。

私は地元を離れていて、結構遠いところで暮らしているし、このご時世であってもSNSでつながっているわけではないので、お互い結婚してどんな生活をしているかは知らない。


他愛ない話をして盛り上がるなか、友人に「〇〇は推しがいるんだよね?私は推しを作ることには興味はないんだけど、推し活してる人の話聞くのは好きなんだよ」と無邪気に言われて、少し戸惑った。

同じものを見ている者同士の会話では簡単に話が伝わるのだが、はて、一般の旧友を相手に、どこから何を話したらよいだろうか。

自分の子供の話なら、相手も子供がいるし、そうだよね、こんなこともあるよね、みたいな話ができる。仕事のことも、まぁ基本的には人間関係だから想像できる。

しかし推しの話となると、写真を見せて「この涙袋に住民票を移したいのだよ」とか、「どこかから聞こえる精霊の呼び声のように透き通った声帯をお持ちで」とか語りだしたら、相手は引かないだろうか。

彼女のいわゆる「推し活」に対する解像度がどれくらいかによって話のが変わってくるな、と悩んだ。

「推しは現実の生活に存在しなくていい。ステージの上と下の距離感をずっと保っていたい。私はたまたま会いに行ったり話したりできる界隈にいるものの、相手からは一生モブキャラであってほしい。よく、推しみたいな人と結婚出来たらよくない?と言われることもあるけど、旅先で見たい景色と、自宅の布団は別である。まずそんな大前提で捉えてほしいんだけど、 今度までにプレゼン資料用意しておくから! 」といってその日は別れた。


ちなみに、つい便利だから使ってしまうが、 私は 「推し」や「推し活」という言葉があまり好きではない。

「推し」や「推し活」という言葉が流行れば流行るほど、私が好きな「その人」が推し活という現象にのった一過性の消費されるコンテンツとして、ひとまとめに扱われているような気がして嫌なのだ。

だからといって、その対象をどんな言葉で表現したらよいかについては、最適な答えが見つからない。

そんなこんなで彼女とはまた年末年始に帰省した際に、ほかの友人も交えて会うことになるだろう。

どうやって私が好きなものの話をしようかと、ずっと悩んでいる。

いっそ、このnoteの過去のエントリーを読んでもらうのが手っ取り早いのかもしれない。

けれど、それはちょっと、ご遠慮しておく。

noteで語られる話は、「どこかの誰か」のものだからこそ良いと思うから。

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