ドリームダイバー・01 劉永信目覚める

アラームでもなく、室友(ルームメイト)のたてる物音でもなく、自然と目が覚めた。
自然と、といっても爽快な目覚めにはほど遠い。
時計に目をやると午後の2時。
そして寒い。薄い掛布団を被り直した。
いつものようにソシャゲ『バイツァクリフ』に熱中し、また寝落ちしたようだ。どんよりと頭が重い。
PCは長時間入力がなかったので、オートでスリープしていた。
いつものパターンだ。
簡易ベッドから起き上がれぬまま、すぐ脇のサイドボードに手を伸ばし、昨夜の飲みかけの口の開いたペットボトルを手探りで求めた。
手をぶつけてひっくり返すコトもなく、うまく探り当て、持ち上げて少し振る。
以前、ゴキブリが入っていたのに気づかずそのまま口をつけて慌てたことがあったので、それ以来振って中身を確かめる習慣が身についている。
横着をして横たわったまま飲み口に唇をつけたが、少しこぼしたので観念して身を起こした。
喉を潤すと、キッチンスペースへ向かった。
といっても、ひとつの部屋をパーティションで区切って、空間を室友と分け合っており、流しと一口だけのガスコンロというキッチンとも言えないキッチンであり、両者に与えられた空間は、ほぼベッドだけで埋まってしまうカタツムリの家(ウサギ小屋)だ。
ガスコンロの脇にある共用の小さな冷蔵庫から、新たなペットボトルを取り出し、自分のスペースに戻った。
飲料はポカリスエットだが、正規品ではない。節約の為にケース買いにしている。
室友は留守のようだった。
冷蔵庫のマグネットで張り付けられたメモ、そこに記された「金曜日までに、家賃の支払を!」という催促の言葉が視界に入った。
夜、共に在宅の時は、ヘッドフォンが不可欠だ。それで互いの生活音をシャットアウトしている。
彼は古いタイプで、大人たちと同じに「冬に冷蔵庫の中のドリンクを飲むなんて・・」と批難を投げかけて来る。
友人の紹介でこの部屋に越して来ただけで、反りの合う相手ではなかった。

マウスをゆすって再度PCを目覚めさせたが、チャットダイアログに残されたフレンドたちの会話も5時間前を最後に、もう誰もいなくなっていた。
記憶を手繰ってみた。
“ボス戦はこなしたんだっけ・・?”

リザルト画面のデータを見ると、所属するパーティが目標としていた中ボスへのアタックは玉砕して終わっているようだった。
その中ボスへ向かう辺りで、睡魔に抗えなかったらしい。
データ画面の一番隅に表示されている総プレイ時間数、いや最近はもっぱらチャットばかりなので正しくは総ログイン時間と言うべきか、は、1千時間を越えている。
“このゲームを始めたのが、4ヵ月位前だから・・、えーっと・・”
ネットニュースで「国内にゲーム依存症の者が増えている」と報じられていた。そして認めたくないが、今の自分がその一人だ。
“現実から逃れたい一群って訳だ・・”
ログインしている間は、みじめな自分とは違う選ばれし勇者でいられる。
永遠にそれに浸っていられる訳じゃないのも判っている。
画面片隅のフォルダを見つめた。
中には、書きかけの論文と、それに関連する資料のファイル群が納められている。
そのフォルダにポイントを合わせて・・、でも開く気になれなかった。

「そうだ。家賃だ・・」
財布の中にいくらあったっけ?
サイドボードの引き出しに手を伸ばしかけて、それを止めた。
見るまでもない。あと100元札が一枚と小銭が入っているだけだ。とても家賃の額には足りない。
数日前に、ゲーム内のウォレットに入金してしまった。
それすら、ほぼ底を尽きかけており、ボス戦に有効な強力なアイテムは、指を咥えて眺めている事しか出来なかった。
パーティメイトからは「お前が足を引っ張っている」と、そう言われた。
マウスの調子も悪い。
一昨年の光棍節で買ったものだが、連日のハードな扱いでガタが来始めている。これも買い替えないといけないのだが・・

パーティの仲間、彼らの素性は大まかにしか聞いていないが、学生ならとっくに学校で黒板を睨み、社会人なら職場で仕事に勤しんでいるはずだ。
“それなのに、オレは・・”
いや、きっとパーティの仲間も同じような境遇なのだろう。
だからこそ、深夜まで一緒に冒険を続けられるのだ。

「劉永信!、君は村の誇りだ!」
村長は声高らかに村民の前でそうぶちまけた。
『80后の村の神童』の見送り。あの時、ほぼ全村民が集っていたのではないだろうか。
小学校で学業での頭角を現した時、祖父母も、親戚の大人たちも、大いに期待された。
出稼ぎで、見送り時には村いなかった両親からは、餞別の封筒が届いた。
永信は小学校に入学してすぐ、学業の面で頭角を現した。
中学に入ると、隣町に住む叔父が週に2回、家庭教師を連れて来てくれた。
家庭教師と叔父への月謝は、親と祖父母が工面してくれた。
学而思(中国全土に200都市に構える大手学習塾)に在籍していたというその家庭教師の教え方が上手く、永信の成績は更に伸び続け、全親戚、いや全村民の期待に応え、好成績で省都にある重点高校への進学を果たした。
そこでも寮生活の中で勉学に勤しみ、高考(ガオカオ・全国統一試験)で叩き出した成績は結果は、トップレベルの大学を選択を可能にした。
永信は当然、選択肢の最上位である上海の大学を次の学びの場と決めた。
この村から大学へ進学する者が現れたのは初めての事だった。
それも国家重点大学であり、しかも大都会・上海の大学なのだ。
寮から村に戻った時の、親戚や村人たちの雀躍ぶりには戸惑ったが、劉永信自身、この進学に胸が躍らない訳がなかった。
何しろ行先は上海なのだ。
「上海が一番の都市だよ。北京より上さ!」
隣家のおじさんは祝杯片手に、そう言って永信の肩を抱いた。

その中國きっての大都会、上海に居を移したのが7年前。
村では神童だったが、大学の教授たちから見ると永信はただの平凡な一生徒だった。
それでも、必死に課題をこなし、多くの同窓に負けぬ様、遅れを取らぬ様、過酷な競争に食らいついた。
学業をこなすのは大変だったが、それでも都会での物に溢れた便利な暮らしは永信を興奮させ、満足させた。
何より、大学卒業後の自分の輝かしい人生を想い描くと、早くも凱歌を叫びそうになるのだった。
“そうだ・・、村の人たちに見送られたのが7年前だ・・”
後になって気付いた。村人総出で見送ってくれたのは、経済発展から取り残された寒村で、何とか地元に利益をもたらしてくれるその足掛かりとして期待されていたからなのだと。
冷た過ぎるドリンクをちびちびと口に運びながら、この7年間と、今の自分の現状を想った。

「判ってるのか、永信?、次に家賃を滞納したら、お前、ヤバいんだぜ。俺だって余裕はないんだ」
今月だけではない、ここ2ヵ月分の家賃を室友にたて立て替えてもらっている。
来月分の立て替えは、さすがに断られた。
ただただ逃避するようにゲームにのめり込んでいる。
それが今の自分。
それが今の劉永信だった。

手机(スマートフォン)が通知の振動をして、その存在をアピールしてきた。
この念願のデバイスである手机は、一昨年手に入れた。
本当はiPhoneが欲しかったが、自分の身の丈に合わせて、その頃、人気の出始めた新興企業の小米(シャオミ)の品にした。
手机、もうこれなしの生活は考えられない。
画面ロックを解いて、確認すると、いくつかのWeChatのメッセージが届いている。
重慶で工員として働いている姉からのメッセージは開かなかった。
どうせいつもの愚痴と批難だ。
永信だけに期待が寄せられた事を、今でも根に持っている。
「家庭教師がついていれば、私だって!」
何度、その言葉を聞かされたろうか。
いや、あんたの頭じゃ無理だよ、姐さん。
それにここは中国なんだ。男児にお金をかけるのは当然だろう?
最近、姐は縫製工場から、もっと稼げる太陽光パネル製造工場へと移ったというが、そこでも仕事はつらい上に、給料も思った程は良くないらしい。
姐はただの労働者だ。
世界の工場である中國、その担い手の一員になったって訳だ。
でも自分は違う、そう思っていた。

もうひとつのメッセージは、学友からだった。
「一人、欠員が出た。来るだろう?」
5年前の上海万博、それに備えての都市開発で、重機が郊外を掘り起こした時、思わぬ遺構にぶち当たった。
明の時代の物だ。
大学卒業が近づいていたが、考古学を専攻した永信に、教授から発掘作業のアルバイトの勧誘があった。
その後、就職先の決まらぬまま、大学院へと進学し、その院を卒業した今でも、発掘アルバイトが唯一の収入の手段になっていた。

“本当に、何で考古学なんて専攻しちまったんだろう・・”
考古学なんて、就職には何の役にも立たない。
いや、何を専攻しても楽勝で就職できると、そう目測していた。
目当ての会社のその席が、ことごとく学友や他者で占められていき、それでも仕事のグレードを落とせば、給与を妥協すれば、就職は出来たはずだった。
“いいさ、このまま考古学の道に進めば。いづれはその教授に、いや権威にでもなって、連中を見返すんだ。故郷に錦を飾るんだ・・”

大学院での2年の履修を終え、卒業前に学術員への試験に臨んだ。
「そういったのに受かるのは公務員の子女、つまり共産党の関係者だけだぜ」、そう忠言する者もいたが、永信には自信があった。
そういった風潮はかなり是正されていると聞いていたし、大学院でも好成績を修めていた。
博士号取得の時の、論文の評価も悪くなかったはずだ。
しかしダメだった。
上海へと移った頃、華やかな大学のキャンパスで夢を描いていた。
折しも大学入学のその年は、北京オリンピックで国中が沸いていた。
続く上海万博では、両親と姐とが揃って永信の下を訪れ、意気揚々と万博会場と上海の街とを案内したのだった。
今ではそれら全てが、幻の様に感じている。

「卒業生は就職先には事欠かない。それもみな稼げる職だ」
学友は、いや、教授たちも異口同音にそう言っていたはずだ。
「これからの中国は、オレ達80后と90后で担って行くんだ」と。
そんな時代に生まれた自分は最高に運がいいと、自分の人生を中国の栄えある未来に重ね合わせていた。

しかし、見渡すと就職にしくじったのは永信一人だけではなかった。
何割かの卒業生は、行先も定まらぬまま、団体戸籍を抜けた後も、この上海の街の、その片隅にある手狭な部屋で暮らしている。
それすら室友と分け合わねば、家賃を払い切れない。
考古学でなければ、もっとビジネス向けの何かを専攻していれば、こうはならなかったろうか・・

「そうだ。選ぶ道を誤ったんだ・・」
この上海に来たのは間違いだったのだろうか。
もっと故郷に近い地方都市の、もっとグレードの低い大学を卒業していたなら、職にありつけたろうか。
自分は、高望みし過ぎたのだろうか。
中学生の頃、一度、里帰りした母が思いつめた顔で言った。
「2人目は社会扶養費(事実上の罰金)が要ったんだよ。それでもお前を産んで良かった・・」と。
(一人っ子政策当時であっても、田舎では子供を2人持てる地域も多かった。地域によって社会扶養費の要・不要や額面は異なった)

劉永信は深くため息をついて、手机の画面を見つめた。
まずは、財布を満たさなければならない。
「ああ、頼む」
他の補充員が見つかる前に、素早く、短いメッセージを返した。
発掘作業の日程は、明日からで、発掘状況によるが、数日は続くだろう。
アパートのどこかの部屋の、誰かの下手くそなラップが、微かに聞こえて来る。
まずは何か腹に入れようと、料理の支度を始めた。
冷蔵庫の中の食材は残り少なく、ドリンクも残り1本だ。
手机の複数のアプリからの、課金の請求もいくらかあるはず。
早急に金が必要だ。

今晩のゲームは、早目に切り上げなくてはならない。
夜更かしした頭で、身の入らぬ作業をした為に、現場の監督者から忌み嫌われ、欠員ができない限りは声がかからなくなった。
それを取りなしてくれた友人の面子を潰す訳にはいかない。
明日は寒さに備えて、しっかりと着込んで行く必要があるだろう。
現場で手がかじかむ事を考えると、やはり断ろうかと、明日もゲームに興じ、布団にくるまる日にしようかと、そんな魔が差すが、そんな想いを何とかねじ伏せた。
「必ず、23時にはログアウトするぞ・・」
まだ目覚め切らぬ体のかすれた声で、劉永信はそう小さく呟いた。

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