あるエンジニアの半生
wirohaさんのnoteが話題になっていて、興味深くも、俺の半生は、割と普通な男のオタク人生なので、特に面白みないか~っと思い、特にアクションを取ってきませんでした。
ですが先日、Clubhouseでの雑談で、「自信を持ってもらうには、体験談はなるべく種類があったほうがいいと思う」という話になったので、自分も投稿しとくかなと思って、投稿してみることにしました。なお、その時に一緒に雑談に加わっていただいた、きのこさんの投稿はこちらです。
どんな人間が書いてるのか?
まず、自分語りをする前に、どういった人間が書いているのか、ということを簡単に。性別は男で独身で、36歳のアラフォーに突入しました。オタクですが、最近はあんまり世間のオタク趣味に追いつけていません。もっぱらKindleでラノベを漁っている日々です。2011年に入社した外資系IT企業にかれこれ10年近く勤めており、2017年から本社のあるアメリカに転籍して、現在は日本から8000km離れたアメリカ西海岸からこの文章を書いてます。
幼少期
私の両親はともに小学校の教師でした。なので、基本的には夜に親が帰ってくるまで家でお留守番している、いわゆる「鍵っ子」でした。主な遊びは、学校の校庭でサッカーをするか、近くの池に行って釣りをするといった、今と比較すると、信じられないくらいアウトドアでした。ですが、運動音痴であったこともあり、あまり小学校のコミュニティでうまく立ち回れていなかったように感じていました。いじめられていた訳ではないと思いますが、「しかたなく遊んでもらっている」感じが最後まで抜けませんでした。一言で言えば「馴染めてなかった」、そんな感じです。そんな中、小学校6年生の頃から行き始めた塾の存在は大きかったです。塾に行くと別の学校の生徒がおり、勉強意識の高い生徒が集まるので、勉強の話をしても嫌な顔をされることはありませんでした。幸い、それなりに良い成績を出すことができていたので、私はそこでやっと「認められた存在」になれたように感じていました。
中学校
中学校はそのまま、その地区の中学校に進学しました。中学校では、持ち前の運動音痴を遺憾なく発揮して、インドア系まっしぐらでした。中学校に行っても、相変わらず塾のコミュニティのほうが居心地が良かったり。ちょっと成績が良かったから、調子に乗って生徒会に参加したり。さらに調子に乗った結果、怖い先輩からトイレに呼び出されて殴られて、お灸をすえられたり。今思うと、なかなか波乱に満ちた中学生活を送った気がします。
ここまでソフトウェアエンジニアになるエポックメイキングとなるような出来事はなかったと思います。実際子供の頃になりたかった職業は、医師だったり、研究者だったりしました。頭がよかったら医者になってお金持ちになれるよ、ということを言われて育ったからかもしれません。
高校
高校は、地元で有名な高校に受かったので、進学することにしました。実家から300kmほど離れた学校だったので、寮生活が始まりました。この高校生活は楽しかった半分、辛かった半分と割と自分の将来を決めるいくつかの契機になった期間な気がします。
高校一年生のときは、とにかく勉強がうまく行かず、一番荒れていたと思います。周りが天才、秀才ばかりで、俺はダメ人間だと思いこんでました。悪いことも、馬鹿なこともやった気がします。その頃から現実逃避に始めたのがプログラミングでした。最初は解けない数学の問題をプログラムで解くという、チートツール的な使い方でした。不純な動機でしたが、プログラムを書くのが楽しかった思い出があります。当時の自分は「俺はプログラマとして生きていきたい。高校やめて専門学校行きたい」と言って親を困らせていた記憶があります。同時期にオタク趣味にもハマっており、毎週末のようにANIMATEに行ってはラノベを買って読んでいました。「キノの旅」とか読んでた記憶があります。
高校二年生からは、オタク趣味、プログラム趣味と勉強を並行して行えるくらいには落ち着いてきました。そして、この頃には、俺は医者よりプログラム書いて飯食っていく人生も、良いのではないかと思い始めてました。私の荒れた高校一年生を知っているからか、親も特に反対はしませんでした。
浪人生活
高校はなんとか無事に卒業することができました。ですが、現役のときは、周りに流されて、前期は東大理一を受験してあえなく玉砕、後期は京大理を受けて、同じく玉砕。何も考えてなかったので、滑り止めなども受けておらず、そのまま浪人コースと相成りました。浪人中も相変わらず、勉強したり、むしゃくしゃしたらプログラム書いたり、今考えると割と綱渡りな浪人生活してました。
大学
大学は、結局東大を諦めて、京大を目指すことにしました。当時の情報学科は、ほんとに人気がなくて、倍率も2倍切っていた記憶があります。「隣のやつを倒せば受かる!」という気持ちで臨んでいました。
合格したあとは、そのままプログラマ街道まっしぐら!にならなかったのですよね。今思い返すと、大学一年から三年までの3年間は、俺の人生で一番堕落してましたね。Ragnarok Online(RO)というネトゲに足を突っ込んでしまい、一日30時間プレイするような生活をしてました(ぶっ続けて30時間プレイして、寝落ちしてまた30時間プレイするの意味)。今考えると、よく留年しなかったなと思います。とはいえ、それなりにプログラマ的なこともやっていて、ROのギルドメンバーの利用するポータルサイトを作ったりしてました。
大学三年になったら、単位を取り終わって、ROもやることなくなってきたので、バイトを始めました。大学ベンチャーでPHPでCMSフレームワークを作る作業をやってました。最初は、ネトゲのサブPCを作る資金でも稼ぐか、という気持ちで始めたのですが、気づいたらそのバイトのほうが楽しくて、朝から晩まで入り浸ってました。
大学四年は、研究室への配属ですが、大学四年生の一年間は割と思い出すのも辛い時期なので、割愛します。この一年で私が学んだことは、自分は研究者には向かないの一点です。才能的な意味でも、環境的な意味でも、自分には合わないと痛感しました。人間不信というか、人間恐怖症になりかけたし、同じ境遇の同期や先輩、優しく接してくれた他研究室の方に助けられた一年でした。
大学院
大学四年生の頃に苦い思いをしたので、大学院では別の研究室へ進学し、研究室の方々には申し訳ないですが、主に就職活動を頑張りました。当時の自分としては、研究職として生きていくのが恐怖でしかなくて、なんとしても大学から遠いところへ就職しようと必死でした。リーマン・ショックの直後だったこともあり、倒錯していた当時は、情報系以外にも、メディアや、コンサル、とにかく所構わず応募していました。結局内定をいただけたのは情報系の会社だけだったので、今思えば時間の無駄だった気もします。
そんな研究室生活だったので、肝心の研究は、当時の研究員の方におんぶにだっこでした。お世辞にも良い学生とは言えなかったと思いますが、なんとか卒業させてもらえて、助かりました。未だに当時の指導教官の方には感謝してもしきれません。
社会人になって
私は新卒で今の会社に入社して、転職することなく、今に至っています。理由は、居心地が良いからですかね。今の会社では、素晴らしい上司や同僚に恵まれて、非常に充実した日々を過ごしています。難点としては、自分は大学生の頃に、勉強をろくにせずに遊び倒していたので、基礎的な教養でついていけないところがあることでしょうか。ありきたりな後悔ですが、大学時代にもっと数学を勉強していればよかったと思うところです。ですが、分からないことを分からないと言える環境で、それを学ばせてもらえる環境、それに恐怖する必要のない現在の環境に非常に満足しています。今思えば、大学四年生のときの環境の真逆ですね。心理的安全性は本当に大事です。
今後
ノープランです。一つだけやってみたいなと思うものとして、結婚があります。この人に会えないコロナ禍の状況で、パートナーのいる同期や友人が眩しく見えてきて、俺もそんなパートナーがほしいなぁと思うことが増えてきました。また、するかどうかは別として、子育てをするとすると、そろそろラストチャンスかなぁという思いもあり、まだ可能性があるなら、今から一念発起して婚活でも始めようかと思っているところです。
さいごに
あまり参考になる半生ではないと思いますが、私の人生経験からアドバイスできることがあるとすればこんな感じでしょうか。
・「馴染めないな」と感じたら、環境を変えてみるのも手かもです。学校で馴染めなかったとしても、塾や習い事で友達ができるかもしれません。コミュニティに馴染めないことは悪いことではなくて、単に運が悪かっただけです。
・高校の勉強ができなくても、それが全てではない。偏差値の高い進学校に行った人にありがちな壁だと思います。周りが天才秀才で、自分のアイデンティティが崩壊していく様な気持ちになるかもしれません。その時は、自分がのめり込めるものを見つけるのも良いと思います。そうすれば、天才や秀才を見ても「まぁ俺はプログラミングできるし!」って思うことで、精神的安定を得られるかもしれません。「人は人、自分は自分」と考えられるようになったら、勝ちです。「おめぇ勉強できるな!教えてよ!」と言えるくらいにまでなれば尚よし。
・高校の時の得意不得意で進路を選ぶよりも、やりたいことがあるならば、それを優先すべき。例えば、数学が苦手だから情報系を諦めるのは勿体なくて、大学の数学と高校の数学は全く違うし、いくらでも挽回可能です。そもそも「挽回」と考えることすら無意味かもしれません。特に工学系において、私は数学は一つのツールだと思っています。ツールを磨いたり誇るのも良いですが、それ以外にも必要とされているものは、たくさんあります。他のところを磨くもよし、あわせ技で勝負を仕掛けるもよし、裾野が広いというのも、ソフトウェアエンジニアリングの良い点の一つだと思います。
進路に迷っていたり、今の状況に馴染めていない方の参考になれば幸いです。
草々
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