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みんなライトノベルの位置づけを勘違いしていない?

私は明言する、『ラノベは文学では無い』と。

近年のライトノベル、ラノベ人気は若者文化だけで収まらないモノである。

ただ、そんな中で『ラノベは文学では無い』と議論がよくあるけど、これに関しては大概的外れな意見をされていることが多い。なぜなら、この『ラノベは文学では無い』という点のみで議論しているからだ。
そして、この話題は炎上しやすいとされるのは、的外れな意見だから食い違いしか起こらず、話は噛み合わないのである。

だから、私は明言しましょう。『ラノベは文学では無い』と。
そして、その理由を分かりやすく語りましょう。

これを物事を変えて考えるとすぐに分かる。ですので、この議論内容を『映画は芸術では無い』と変えてみてみましょう。
基本的に議論すべき内容に大きな変化は無いと思います。むしろ、映画というシェアが大きな話となり、こちらも同様な議論が尽きない案件です。
でも、皆さん感じるでしょう。

『映画は芸術では無い』という言葉だと比較的共感できることに。

さて、この点を少し補足してみましょう。確かに映画には芸術性を多く含んでいます。文化としては欠かせない分野であります。しかも、文学と比べて若手である映像という存在なのに。

だが、それなのに『映画は芸術』と明言しにくい。

それはまず、映画というのは娯楽である側面が強いこと。
娯楽である為、提供する側は芸術性を阻害して大量に作られる。もちろん、その中で芸術性を出すモノ、商業的な流れに反抗して芸術性にのみ特化した作品もあります。
しかし、どちらにしても映画とは、お金を払って娯楽を得る行為であることには間違いありません。

次に、アカデミー賞を始めとする名のある映画賞も、ある一面では映画の質を保証する宣伝文句でしかない。これは映画の宣伝CMを見ていれば分かる話です。映画賞は箔として使われている。当然、映画の芸術性に対して純粋に評価される場合はあります。
ただ、近年のアカデミー賞などを見て分かる様に政治、世相の色が強く、やれ保守だ、やれ白人だと語られ、結果よりも注目されることもあります。

これでは『映画は芸術』よりも『映画は政治』と言った方が正しくなってしまいます。そりに風刺、逆に政府の宣伝に使われてきた媒体、映画にはそれを否定できない歴史があります。

つまりはこう長々と例を挙げられる様に映画を単純に芸術と言いきる事が出来ない背景が様々あります。

さて、話をラノベに戻しましょう。まずラノベは本として売られています。この点は映画と同じで娯楽を売っているのです。

ちなみに日本で最も知れ渡った文学賞の芥川賞と直木賞の違いをご存じだろうか。雑学としてもよく言われる内容だけにご存じの方も多いだろう。

芥川龍之介賞、通称芥川賞。通常、優れた純文学を書いた新人に与えられる文学賞。
直木三十五賞、通称直木賞。無名、新人または中堅作家だったが、現在ではほぼ全ての作家による大衆小説に与えられる文学賞。

直木賞自体が大衆小説、娯楽性、商業性を重視した文学に与えられるのである。一方で芥川賞は純文学。まさに相反する文学性である。

この商業的な文学をどう捉えるかが『ラノベは文学では無い』の議論を的外れにさせるのです。
先にも映画で例えた様に芸術と娯楽は相反する。そして、映画は商業と成り立っている娯楽が圧倒的に強い。大衆小説とてこの括りは同じであろう。

その双方に確実に言えることは『映画、大衆小説は娯楽である』になる。

では、大衆小説は文学か?だが、直木賞は文学賞だ。
もはや、議論は『文学とは何か』になる。
こんな中で『ラノベは文学では無い』という点で議論しても的外れである。

私が明言して『ラノベは文学では無い』といえるのは、本来、議論すべき文学とは何か定めているからだ。

私自身、ラノベは娯楽であると考えている。だから、大衆小説として見ている。さすがに純文学とは言いがたい。ただ、『新世紀エヴァンゲリオン』は純文学か否かは決めがたい。ただ、私小説とは言いきってもいいが。

基本的にごくわずかな例外はあれど、『ラノベは娯楽である』と考える以上、芸術、文学という点は本来は付与されるおまけとして見ていい。必ず、売れる要素ではないからだ。
だから、一部の例外を除いては『ラノベは文学とは言えない』となる。

ただ、私があくまは『ラノベは文学では無い』と明言するだけであって、それが真実では無い。別に逃げの姿勢でもないが、私は私の意見を明言、ハッキリと言っただけである。例は上げても、説明しただけです。
まあ、これを逃げの姿勢と攻められても仕方がない事ではありますが。

しかし、こう補足的に言うのには理由があります。
この明言によって、貴方の考えは否定するモノではない。

大事な点はここです。今の時代、SNSで語られる話、議論は断定して語られる事が多い気がします。それは様々な要因がありますが、自らの正しさを主張することに重きがあり、またの代弁者としての位置づけがあると思います。
アカデミー賞などの政治、世論に影響されている点とも重なると思います。
また、確証バイアス、認知バイアスといってモノも関わっている気がします。

この『ラノベは文学では無い』に関しても、ある種、決めつけ論で議論されている。そもそも文学自体、芥川賞と直木賞という相反する賞があるように『文学とは何か?』とは簡単に答えの出る話では無い。
決めつけてしまえば、思考を停止できるのである意味では楽だ。

そもそも、それが分かっていれば芥川龍之介なり、太宰治なり、他の文豪達も自殺しなくて済んだかもしれない。

『ラノベは文学では無い』とは詰まるところ、『文学とは何か?』という哲学に行き着く。

私は『ラノベは文学では無い』と明言し、『ラノベは娯楽である』と考えています。あくまで今のところは。今後、生きていく中でこの考えは変わる事は多々あると思います。それは探求しているからこそ。

実際、この考えにしても簡潔に述べただけである。本来、ライトノベルに限定しても歴史、成り立ち、時代的推移はもちろん、作品単体事でも見ていく必要がある。
そもそも、元である文学も比較していかないといけない

でも、こう考えるのは今は突き進むための指針が必要だから。形無き本質にのみ捕らわれれば、文豪達もハマった闇へと引き込まれるかも知れないからだ。そして、多くの情報の精査も必要である。
断言することは考えの道を定めること、迷いを少なくする手段。そして、その結果が思ったモノと違っていれば、やり直せばよいだけである。

この明言によって、貴方の考えは否定するモノではない。また、貴方の考えを聞かないという発言にもならない。
私は私の考えを伝えた。貴方も貴方の考えを伝えればいい。

ただ、論点が定まったところでキリが無い議論には変わりがない。
そして、私自身考えを、明言、ハッキリ言えても、これが答えとはとても言えない。悟りのような、道半ばである。

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