小説の創作クラスタを見ていての話 ~主語の大きさをどう図るか?
■漫画と創作の話題、トレンド入り
昨年から『タコピーの原罪』(著者:タイザン5)や『ケモ夫人』(著者:藤想)など読んでいると、とんでもない作品があるのかと思っていた。そして、それが商業作品としても展開していることにも驚愕していた。
ただ、その反面Twitterに流れてくる創作クラスタ、主に小説家の話題は、これらの漫画のムーブメントと反対を行く保守的な考えが展開されている。
それは書籍化されて、名を売れていくことが基本であり、正道といった具合だ。
確かに、奇をてらうのは漫画作品では割と多くある。反面、なろう系というコンピュータRPGをそのまま小説に持ってきた奇をてらった作品であったはずなのに、今では一手法として確立している。更には今の読者もそのスタイルから外れることが嫌う傾向すらある。
私はなろう系に初めて触れたとき、その「奇」に驚愕はしたが、次第に今の様式美となってしまった今のなろう系には興味を失せていた。そんな中で『タコピーの原罪』、『ケモ夫人』と出会えば、革新的な「奇」に新たな驚きを覚えていた。
そして、『タコピーの原罪』、『ケモ夫人』は「奇」でありながら、話題性も含んでいた。漫画が投稿される度に話題になっている。
話題性ついでにいえば、作品の内容から毎回、Twitterのトレンド入りしていた『淫獄団地』だが、その性的な内容ゆえにトレンド規制させられたともいう。
ただ、この瞬時的にもトレンド入りする話題性は今の時代、大きな武器であるのは間違いない。これに関しては、とある漫画家も昨今では作品作りに喉から手が出るほど欲しい要素と語っている。
一方、小説家の創作クラスタは先日では貨幣に関して、かなり話題とはなっていたがそれは創作論といった具合。ここで盛り上がっても即作品や投稿者の名前に結びつくことはなかった。
むしろ、Twitterという誰もが見られるSNSの中でやり取りされているだけに、関係の無い人には少し変な風にも見られていた部分があった。話題になっても、クラスタに属していない人にとって、負の感情を持たれかねない部分でもある。
■国民的とクラスタの違い
さて、こう自分も語ってきたが、これが大多数に受けいられる話かは自分自身、疑問な部分もある。むしろ、今のネット環境によって国民的な感性の統一はなくなり、個々のクラスタへと変移している部分もある。
以前から岡田斗司夫も講師として、現在のアニメを見るスタイルが以前から変化したと実感して、指摘していた。
確かに、昔であれば『ドラゴンボール』は600万部の週刊少年ジャンプで連載されており、アニメにしても多くは水曜19:00から放送されていた。だからこそ、連載時の『ドラゴンボール』は日本国民であれば、内容を抜きにすれば名前だけなら誰もが知る作品であったはず。
また、その知名度は現在において海外にも知られている。それは漫画、アニメというメディアによるモノだ。
しかし、今はネットにより有名作品もマイナー作品も同列になっている節がある。その結果、一部での話題性がネットの総意的と勘違いされる場面が多々ある。それは漫画やアニメに限った話でもないのだが。
これがよく言われる「主語の大きい」。少数派で発言であっても、あたかも大多数と聞こえてしまう話だ。
小説家の創作クラスタの話題性は「彼らの界隈」での話であるはずが、あたかも文学界の総意的に語られる「主語の大きい」と変化している気がする。
これは先に述べているように、私にも当てはまる話である。これは個のクラスタでは当たり前であっても、全体では違うという話。そして、私、彼らの発言、行動を間違っているのではない。別のクラスタに通用しないだけ。
『ドラゴンボール』のような国民的な存在、または共通の尺度なき時代においては個々で語られることになり、あたかも「主語の大きい」という話になってしまう。
■ラノベ作家、年収8000万
さて、とあるテレビ番組の情報でラノベ作家は年収8000万という情報が流れ、ネットは大きく話題になっているが、ここもラノベ界隈に限定されている気がする。
そして、この年収8000万が間違いではないかという声もあるが、恐らくソースにしたであろう情報源はあるのでは年収8000万というのは一応の信憑性はあるようだ。
ただ、こちらのサイトでは「売れっ子作家」での平均となる為、この年収は本当の意味でトップ10ぐらいでの平均でもあるようだ。
また、最近アニメ化したラノベ作家の最高月収も1000万ぐらいと、ぼやかしながらも発言しているので、年収8000万に関しては全くのデタラメではないようだ。
一部では年収8000万とはいっても、大半の文筆家はそんな高給取りではない。「ラノベ作家 年収」と検索すれば、人並みの年収以下という情報が出てくる。
そのため、大半のラノベ作家は大喜利化、目をそらす者が多い印象。そして、真に稼いでいる人は無反応な印象がある。
それもそうだ。スネ夫のイヤミに腹を立てるのは貧乏人だけで、金持ち同士ではマウントの取り合いになどならない。
さらにいえば、同人作家で1億も稼げる時代でラノベ作家は年収8000万というのは多いか少ないかといわれれば、微妙な話である。確かに様々な条件がある為、一概には判断は出来ないが。
■創作クラスタは大きいが…
自分が知人との話の中で、「なろう系はアニメ化されるほど知名度があるのに、日常会話に出ないのは不思議だ」と語っていた。それを聞いたとき、確かにと思っていた。
その知人以外では、なろう系の会話などする事は無い。精々、ネットミーム化した部分だけ触れる程度だ。
ただ、この答えも個々のクラスタだから感じる話。なろう系に擁護、批判的な立場を取る人間も、ここなろう系クラスタに属している。作品を知っているからこそ、批判が出来る。知らなければ、通じはしない。
大半の人はなろう系がアニメ化されても話題にしない。アニメ自体も見る人が減っている時代だから、それも仕方が無い。
創作クラスタは確かに規模は大きい。それはなろう系のアニメ化、商業展開するほどの知名度を有している。ただ、昔ほどのアニメ化に意味を持たない時代になっている。
それだけに「主語の大きい」が図れない時代にもなっている。『ドラゴンボール』のような国民的な計りもない。国民的アニメ『サザエさん』とて、時代が変わりすぎて、今後は寄り成立しづらくなっていくだろう。
未だ1家に1台のブラウン管テレビがある茶の間で食卓を囲むなど、ほぼ幻想になっている。
そんな個々、多様性の時代で創作クラスタの話題性は正しい、間違っているは関係なく、一筋縄では行かない事になっている気がする。それだけに多様性を意識していないと「主語の大きい」という事になってしまう。
まあ、私という個人の感想ではあるが。
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