口裂け女と八尺様、あとVTuber伊東ライフ ~八尺様はなぜエロくなったのか?
ここ最近、暑くなった同時に八尺様の再ブームが来た感じがある。
なぜ、ここ最近で再ブームとなったかまでは分からないが、確かに八尺様と日本の夏を描くのに適している面もあるだろう。
また、直近では『バイオハザード ヴィレッジ』で登場するドミトレスク夫人のモデルの一つに八尺様が上げられていた。そして、彼女もまた色んなネタ性から話題となっていたことが、引き続き八尺様の再ブームとなったのかも知れない。
さて、今の八尺様を語る上で欠かせないのが、エロさである。だが、本来の八尺様はインターネット上に書き込まれた創作怪談とされる。エロでは無く、恐怖を与える怪異であるのが正解。
では、なぜ八尺様はエロいのか?
これはオカルトでの変移、そして、サブカル的な変移で見ていくことで共通点が見えてくる。そして、その流れが恐怖の対象であった八尺様とエロさが結びつくと感じた。
今回はこれについて語っていきたい。
口裂け女と八尺様
女性の怪異といえば、口裂け女は欠かせない。この口裂け女は八尺様と比べて多くの点で違う。
口裂け女にしても「私、綺麗?」と聞くだけに、口元以外は綺麗とされ、エロの対象になり得る素質はある。しかし、船や馬が擬人化、好奇な姿で描かれる中でも口裂け女はエロにブレることなく、絶対的な恐怖を与える存在として、未だ揺るぎがない。
この差とは何だろうか?
これに関しては、ネットで語られている動画があり、そちらを参考にしながら語っていきたい。
吉田悠軌氏が動画内で語るには、口裂け女などの赤いイメージを持つ女と八尺様等の白いイメージの女は、性的にネガティブかポジティブかで分類している。
この根本的な性のイメージは口裂け女はエロくない、八尺様はエロいと本能的に悟っているのではないだろうか。
もっと深く語るとR18認定されてしまうため、ぼやかして語るが他の赤い女の系譜を見ると、テケテケの下半身がない。産女などの出産などで亡くなった妖怪。そして、口裂け女の場合は裂けた口は女性の性の象徴とする説もある。
つまり、口裂け女らは女性の性の欠損が共通しているだけに、エロに結びつかないのだろう。
(その点に関しては、こちらで詳しくまとめられています)
一方、八尺様のエピソードでは魅入った男性を自分のモノにしようとする取り殺すとされている。取り殺すというのは人間側の目線かも知れないが。
この魅入るという要素は、山の神の見られる傾向である。そして、山の神とは一般的に女神とされている。
総合建設会社である大林組ですらも、山の女神について紹介しているページがある。確かにどんなに安全を意識して対策しても、トンネル工事での危険をゼロにすることは不可能である。だからこそ、昔からの言い伝えを大事にするのも理解できる。
今の日本においても山の女神を信仰して、山での安全を祈願することは珍しくはない。それだけに八尺様という女性に魅入られるというエピソード自体も受け入れやすいのかも知れない。
また、白い女というと幽霊画も白である。幽霊画の多くは女性という印象だが、幽霊には足が描かれないのが一般化している。まあ、またぐらいまでは描かれているのも一般的である。
確かに幽霊とエロというのは確かに無くもないが、幽霊画という長い歴史の中ではそういった部分は少数派でしかない。
それでも幽霊の有名エピソードには「飴買い幽霊」というものがある。
これは今までと違い、深い母性を示すエピソード。死んでなお、生まれた我が子を育てる話である。
この事で怪談でありながら、恐怖でなく美談としても語られる。また、日本各地に似た話があり、出来過ぎた話からも飴屋の宣伝話ともされる。現に未だに売られている飴屋もあるぐらいである。
さて、赤い女と白い女への転換期は、私は『リング』の貞子にあると思っている。これは次に語るサブカル的な面でも年代がマッチすること、赤い女と白い女の両性質を貞子が持っていることにある。
ただ、両性質とはいったが、映像媒体でのメディアミックスで分離したともいえる側面ある。そもそも、貞子のビジュアルは顔が隠れる長い髪と白のワンピースは映像化の際に作られたと語られている。
この白のワンピースは八尺様に通じ、顔がハッキリしない点も同様。
そして、貞子は原作小説を読んでいると分かりやすいが、性のポジティブとネガティブが物語の起因になっている。
一旦、話が長くなるため貞子に関してはここで締めるが、口裂け女は1979年の春から夏に語られたとされ、八尺様は2008年にweb掲示板。そして、『リング』は映画1998年である。この年代というのが次に関わってくる。
八尺様とVTuber伊東ライフ
次はサブカル視点で語るため、話題は怪談から猥談じみたモノになっていくのはご容赦頂きたい。それでも、既に女性の性に関しては触れているのですが。
それで語る軸が、VTuber伊東ライフとなる。
紹介でVTuberとしているのは現在、配信活動に比重を置いていることと、VTuberでの姿がサキュバスをモチーフにした巨乳美少女、というよりは高身長の女性である。
ビジュアル面でも八尺様と類似する。
さらに、氏が描くジャンルはおねショタが多くある。他にも氏の扱うジャンルには「がんばれ♡がんばれ♡」以上のモノがあるが、ここで語れる内容ではないので、省略させて貰う。ただ、性的に受け身をジャンルの主体にしている。
ここも八尺様のエロさと共通している。それだけに八尺様とVTuber伊東ライフを語ることに不自然さはなく、比較対象にも適している。
特に2メートルを越える八尺様にとって、相手が成人男性であろうとおねショタのようになってしまう。
余談となるが、藤子・F・不二雄の短編漫画で「やすらぎの館」という作品がある。巨人症によって非常に大柄の女性が出てきて、社会的成功者を体格だけでも子供の様にあやすという作品がある。エロこそないが大の大人すら母体回帰させる様子が、いいようのないか感覚に襲われるだろう。
さて、伊東ライフ氏はフリーランスだけに、作風など含めてご自身で冷静に分析している。また、長くエロコンテンツに関わっていたこともあり歴史的背景など含め、かなり把握している。これらの発言には歴史的に裏付けが取れており資料的価値が高い。
切り抜きとはなるが、イラストにおける巨乳の変移に語っている時があった。
この巨乳への推移に関しては作家、ゲームシナリオをしている鏡裕之の記事でも同様な事が書かれていた。
2000年代初頭、ぼくが『巨乳教室』というエロ小説をアップしている時、絵なんかついていなかったけど、毎日6000人の人がアクセスしてくれた。理由はエロくて面白かったからだ。
90年代は巨乳好きにとっては不毛の時代だった。エロ漫画でも、なかなかいい巨乳フェチ漫画がなかった。表紙が巨乳でも、中身を見たら全然違うものってことが、多々あった。
つまり、2000年以降でサブカル的な性的な嗜好は、巨乳への流れが変わっている。
それを示す有名な台詞として、「貧乳はステータスだ!希少価値だ!」というモノがある。これには更に元ネタがあって、それは2004年発売のPCゲーム『SHUFFLE!』でのやや異なる台詞とある。
この台詞からも貧乳であるとが、やや自虐的に語られている。これが2000年以降であり、八尺様の登場は2008年。先にも語った通り、貞子は1998年である。
八尺様の登場と、時代が巨乳へと移行していた頃と重なる。
もう少し時代的な流れを語れば、「バブみ」という言葉がある。「母性を感じる」、「甘えたい」などの感情が含まれるネット用語の一つである。
この言葉の最古は2014年6月前半ではないかとされる。
世が求めていたエロが、八尺様に備わっていたのである。ただ、即、八尺様=エロになるには当然、八尺様自体の知名度が広がる必要がある。
八尺様のえちち化に関しては下記の動画でまとめられていたので、そちらを参考にしたい。
【ゆっくり解説】八尺様って何?八尺様えちち化の歴史
(上記の動画には年齢制限があります)
動画内には八尺様の有名エロ漫画が出たのが2016年とある。ただ、これは単行本にまとめられた際であり、実際はもう少し前と見ていいだろう。
それと同時に八尺様を始めとする、インターネットからの怪談を元ネタとするだけの広がりを見せていたことになる。そして、巨乳だけでなく、「バブみ」などの母性的要素も時代的に合致してくる。
巨乳の流れは健在である。『五等分の花嫁』でも五つ子という点もあるが、皆が皆、巨乳で描かれている。
また、巨乳の流れで一部問題になったのが、赤十字コラボポスターで騒動になった『宇崎ちゃんは遊びたい!』だろう。この騒動は2019年10月頃である。
また、海外のゲーム作品、それでいて悪魔っ娘を題材にした『Helltaker』も巨乳のキャラが大半である。
そして、最近では『淫獄団地』において、2メートルを超える大女が登場している。少年漫画だけに暴力的な体格から繰り出される力というのは、名実ともに序盤の壁である、中ボス感を出している。
『淫獄団地』でもそうだが、ある種、前作といえる『搾精病棟』でもほぼ巨乳である。しかし、『淫獄団地』はまだジャンルをおねショタと見る事ができるが、『搾精病棟』に関しては男性マゾ向けである。
男性マゾ向けが、なんぞやというのは成年向けであること、あまり私がこのジャンルに明るくないため説明は避けるにしても、女性に主導権を委ねている部分がある。ただ、「バブみ」とは違ってくるが。
また、こういった受け身が今求められているジャンルであることは、伊東ライフ氏も語っている話である。
この受け身に関しては都市伝説でも同様な点がある気がする。
口裂け女は被害から避けるために能動的な行動が求められる。 「私、綺麗?」への返答であったり、「ポマード」と続けて唱えることであったりなどだ。それに対して、八尺様には被害から避ける一時的な手立てはあるが、基本は受動的に受け入れるしかない側面もある。
ここは八尺様の背景から、以前から生け贄的なモノを捧げられいたことを感じさせる節もある。それだけに、運命を受け入れる、受動的と感じてしまう。
サブカル的にも巨乳を求める傾向、更に受け身的になる傾向は、怪異としての赤い女と白い女への変化は何重にも重なっている。
これは単なる偶然ではなく、時代的な共通点と捉えていいだろう。
ただ、八尺様は受動的という点はおねショタとして解釈できなくもない点だが、上手く説明であったり、答えが出ず自分としてはモヤモヤとしている点である。
そもそも、口裂け女以前からある「赤い紙、青い紙」のような質問系の都市伝説は近年では聞かない。
それにインターネットの怪談でも聞くだけ、受動的になっているのと関係しているのではないかと私は思っている。口裂け女の話自体も口コミによる拡散、いわば能動的であり、ここに置いても拡散方法も違っている。
そして、年代的な境界である貞子も、この拡散という点から見ても両方の特性を持っている。一部ネタバレとはなってしまうが、不幸の手紙といった、ある種、ネットワークを使ったねすみ講的拡散である。
ここに関して、まだ私が体感的に感じている点であり、言葉としても、考えにしてはまだまとまっていません。
これに関して、皆様からもコメント、ご意見等があれば頂きたいと思います。
ともかく、時代的にも、体もデカければ、おっぱいもデカい、包容力もある。この男の子の夢を叶えたような存在が八尺様と繋がる。そして、田舎での一夏の思い出が加われば最高である。
八尺様のエロとは時代的な流れでも必然だったのかも知れない。
八尺様の真の恐ろしさとは
先に八尺様は受動的と語った際にも触れたが、基本弱点がない。一方、口裂け女などの赤い女には、被害から避けるための対策なり弱点がある。
これは八尺様が山の女神と見なされていることにも関係していると思う。どうであれ、神様である以上、退治する方法などないというか、想像すらしない話である。
だからといって、八尺様のエピソードでは魅入られた後でも何とか生存は果たしている。ただ、それも一時的に逃げるといった結末ともいえるが。
八尺様がエロく描かれる中でも、弱点が追加されないのはある種に恐ろしさを感じる。そして、受動的な存在であることは今後においても、弱点が付け加えられることはないだろう。
また、八尺様のエロさに対して、ショタおね、ショタ男性側が主導権を取るのも解釈違いであったり、展開がしづらいだろうからメジャーとなる事も無いだろう。ここでも八尺様の優位性になる。
八尺様がエロいのかは語ったが、口裂け女のような弱点まみれにならないのはなぜたろうか?単におねショタ、母性といった言葉で片付けることも無理ではないが、それだけではない気がする。
まず、この神様に魅入られて、それから回避する話というのは、昔の国語の教科書でも掲載されていた「星が透けて見える大きな身体」にも共通する点がある。
そもそも、八尺様というのは創作怪談とされるわりには、下地がしっかりとしており、嘘と感じさせるアラがない。この下地というのは、国語の教科書などにも掲載されている要素の積み重ねと捉えることも出来なくはないだろうか。
そして、子供時代だけでなく現在の総合建設会社でも山の神の機嫌を伺って、仕事を行う点も同様に結びつく。
八尺様という話は、信仰に近い部分で我々に結びついている。それだけに八尺様は事実かも知れない。
ここはきさらぎ駅の様に、単に嘘、デマと扱わず、事実として考察されている点も似ている。また、きさらぎ駅同様、八尺様も事実として広く認知される要因も創作らしさがない事にあったのかもしれない。
誰もが持つ、潜在的な下地のおかげで。
また、去年はアマビエが絵描き界隈でも流行していたことからの、今年になって八尺様は何か関連があるようにも思えてしまう。
これを無理矢理解釈をすれば、八尺様は魅入った男性を閉鎖された部屋から無理矢理、外へと誘おうとしていた。
そして、近年、八尺様に描かれるのは、この夏の青空である事が多い。
そう、このコロナ渦とは真逆の光景が、八尺様がいる世界には写っている。
無意識下で、コロナ渦からの解放を願っている可能性は考えられなくもない。それは八尺様が願ってのことだとしたら、これほど恐ろしいモノはない。
ただ、八尺様のエロさに語って、山の女神と八尺様の類似点も語ってきたが、その容姿に関しても触れないわけには行けない。
これが八尺様の真の恐ろしさでもあり、弱点かも知れないので。
八尺様の説明でも帽子等のかぶり物をしているおり、その顔は見えないとされる。ハッキリとしているのは八尺という長身のみ。
そして、山の神は醜女とする伝承もあり、それもあって顔が醜いオコゼを山の神に供える習慣がある。そういった背景は知らない人間にとっては、オコゼに同情する有様であるが。
八尺様のエロさに対するカウンターは醜女であること。だが、このエロさが広く浸透した今の流れでは、八尺様が醜い顔をしていると言った所で信じる者は少ないだろう。そして、抱擁的なエロが求められている中では、それも拒否される。
また、船や馬、更には世界的にも悪魔すら擬人化される中では醜女など、本当に些細な問題でしかない。
こうなってくると、八尺様はますます完全無欠となってくる…
今回というか、都度、私の記事ではそうなのだが、結論ありきでまとめてしまった点もあるため、ごり押し感が強かったかも知れない。これは文章量が多くなることに対しての配慮とはいえ、もう少し説明した方が良かった所もあったと思う。また、推測の域を出ない部分も多々あった。
それでも八尺様という、人智の及ばない怪異だけに、どうしてもまとめられないのも仕方が無いと一応の言い訳をしておく。
最後に、八尺様と同型の怪異としては海外にはスレンダーマンがあるが、こちらも長身であるが、顔はのっぺらぼうではあるが、背広姿な為、男性とされる。ただ、スレンダーマンは都市伝説でありながら著作権で守られている。そのため、容易に語ることが出来ない。
現代の”名前を呼んではいけない怪物”となっている節もある。ここも八尺様のフリー素材ぶりとの対極には面白い点である。
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