欲と満足と無欲と。

 「自分は現状で満足している」と言ったらある人に、それでいいの?と言われた。欲は人を動かす原動力だと。 確かそう、その通り。でも...

 例えば今手取りで30万もらっていたとする。大半の人は少ないと思うだろう。じゃあ稼げるように職や環境をかえ、70万貰えるようになった。金が増えた分、買える物も、増えいいものを食べれるようになった。そうこうしていたらまだ足りないなぁと思うようになった。じゃあもっともっと金を稼ぎたい...いいものを手に入れていいものを食べていい生活をして、いいブランド物のものを着て、いい女を抱いて...人間の欲には限りがないと思う。 あれもしたいしこれもしたい。ないものねだり。

例えば今凄く好きな人がいて長い片思いをしていたとする。その人の為ならなんだってできる、命だって、、かけれるかもしれない。その人と一緒になれたら、満足できる、それだけで幸せ、、。でももし、自分がその人の為に必死になって悩んで考えて口説いて、一世一代の告白をして、もし、もし一緒になれたなら自分のものになったら、なってしまったら自分は満足できるのだろうか。 分からない。だから満足するしかないと思う。今あるものを見つけて大切にして満足するしかないと思う。

これは自分が今やってるトレイルランニングという競技にも同じことが言えると思う。 

目標の大会や順位やタイムがあったとして、必死に走り練習をし、ギアを揃え、補給やレースのコースから作戦や補給を考え、時間をかけレースに挑む。まあ順位に関しては、他人の調子や、山やサーフェイス、天候などの影響、自分にはどうしようもできない環境の関係もあるからなんとも言えないが。 そうこうして、自分が目標としていたタイム、順位を達成した。 1番をとった。大会記録を更新した。 でも自分に残るものはなんなんだろう。やり遂げたくて仕方がなかったのに。終わってみたら、心に空虚なものを感じる。もっとよく、強く、はやく走れたのではないか? もっと追い込んで、誰よりも、血の味がするような練習をもっと、もっと、もっと、、、。

満足できない。せっかくいい順位をとったのに、いいタイムだったのに。 欲を出し過ぎると幸せにはなれない。 それは自分が可哀想で惨めで。

「自分は頑張った。よくやったよ。」もっと褒めてあげなければならないと思う。これはうまくいった時に限らない。悪い時でも自分を褒めて認めてあげなければならないと思う。

でも自分が、幸せだなと思う時は、満足した時でも、欲を満たした時でもない。無欲な時が人間1番幸せなんじゃないかと思う。 もう何もいらない。裸の心で、裸のままで、何も持っていない自分を認めて。 

とはいえ欲が無さすぎるのも生きてはいけないので今は最低限の欲は持とうと思います。笑

<終わりよければ全てよし>

って言葉があるけど自分はまさにその通りなんじゃないかと思ってる。人生は、終わり方次第だろうと。 自分が最後、心の音が途切れる時に

「無欲」

であったなら、それは最高の人生だったんじゃないかなと思います。




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